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35.灰色のメイドの証言

 ノイマン子爵邸は、アルヴェン伯爵邸に比べると、ずいぶんと小さなお屋敷だ。やたらと真新しいと思ったら、まだ建てられて数年しか経っていないらしい。


 手入れは行き届いているけれど、室内を彩る装飾品はとても少ない。貴族の邸宅というよりは……役所と例えるほうがしっくりくる雰囲気だ。


「ずいぶんすっきりしているのですね」


「ええ。セドリック様はごちゃごちゃと飾り立てることを好まれませんから。掃除が楽でいいですよ」


 メイド長はまるで自分が誉められたかのように、にっこりと笑った。


 家令の方にも正式にご挨拶した。目にも鮮やかな群青色の髪をしていて、ずいぶんと若い。魔術師の方で、セドリック様の補佐も兼任されているそうだ。


 表情や声色に少し冷たい印象を受けたけれど、全く嫌な感じはしない。真面目で、誠実そうな方だと思った。


 上からの風通しが良く、使用人同士の仲もいい。与えられるものは全てがびっくりするほど良い物だった。住む部屋も綺麗に整えられていた。私はメイド長のアンナと、最年少のリーネと相部屋だ。ふたりとも、いきなり現れた私にとても気さくに接してくれた。


 窓からはのどかな田舎の風景が一望できて、星空が綺麗に見える。王都から出たことのなかった私には新鮮な光景だった。


「夜は冷えなかったか?」


 セドリック様が朝礼の場に姿を現し、私に声をかけてくださった。常に旦那様や奥様の機嫌を伺い、小さくなっていた暮らしと全く違う。


「あっ。おはよう、クララ」


「おはようございます」


 ルシアお嬢様と朝の廊下で出会うという体験も初めてだった。


「よく眠れた?」


「おかげさまで……」


「よかった! お仕事頑張ってね」


 そう言って、お嬢様は花が咲いたように笑う。髪をひとつにまとめて、見覚えのある濃い灰色の服に身を包んでいた。実家から持ち込んだものだ。


 だけど朝日を浴びたその姿は、今までのようにくすんでなどいない。


 お嬢様は朝から庭仕事をして、そのあとはエルンスト様とともに書類をまとめる仕事をする。お嬢様が望んで引き受けられているそうだ。


 それが終わると部屋にこもって刺繍をして、夕食後には難しい顔をして書き物をしていた。


「私ね、色々とできることが増えたの……みんなみんなこのお邸の皆様のおかげ」


 夜のご挨拶に伺った時、お嬢様はそう言って得意げに笑った。セドリック様がいない邸で、お嬢様は立ち止まることなく動き回っているのだ。


 その姿は前向きで良いもののようで、だけど私は不安になってくる。


 もしかすると、ご自分からここを離れられる気なのだろうかと。


 私は、喉元まで出た言葉を飲み込んだ。


『ルシアには、まだ何も言わないでほしい』


 主人の命令を、破るわけにはいかない。



 ◆



――私がノイマン子爵家に来るまでの経緯はこんな感じだ。


「アルヴェン家のメイドのクララとお見受けする」


 お使いを頼まれて雑踏を歩いていると、いきなり男の人に声をかけられた。かなりの長身で、薄汚れたローブを纏っていた。大きなフードは顔を隠すためのものだと気がついて、強盗だ、と直感した私。


 しかし抵抗する間もなく腕を取られ、恐怖で声も出せないままひと気のない路地裏に連れて行かれてしまう。


「不躾にすまない、危害を加えたりはしないので安心してほしい」


 薄暗い路地に低くも澄んだ声が響く。男の人は周辺を改めて確かめてから、フードを脱いだ。


 その下から、ところどころが虹色に輝く漆黒の髪と、紫色の瞳が現れた。高貴な身分の方なのは一目で分かった。まるで破落戸のような薄汚れたローブは身分を隠すためのものだったのかと気づいたと同時に、さらに事態が読めなくなってくる。もちろん私に、そのような方との繋がりはない。


「あなた様は……?」


 やっとの事で声を絞り出した私に、ローブの男性は声を抑えて応えた。


「セドリック・ノイマンと言うが、わかるだろうか?」


 私は呆然とする。その名前には聞き覚えがあった……ルシアお嬢様を、魔道具と呼んで買った人。


「……っ!! あの、ルシアお嬢様は、ご無事なのでしょうか」


 無礼は承知で飛びついた私に、セドリック様は微笑んでみせた。冷たいほどの美貌には合わない、優しげで柔らかいものだった。


「彼女は、私の賓客として丁重に扱っているから心配いらない。とても元気にしているよ」


 その一言で、全身から力が抜け、頬を伝うものがあった。


「よかった、よかったです」


 セドリック様は、泣きじゃくる私に何の抵抗もなく綺麗なハンカチを差し出した。もちろん受け取るわけにはいかないと思ったけれど、そっと手に握らされる。


 私の呼吸が落ち着くのを待って、セドリック様はようやく口を開いた。


「私から、あなたにたっての願いがある。どうか聞いてもらえないだろうか」


 そう一気に言ったセドリック様は、灰色の髪の、使用人の私に向かって深く頭を下げた。


 貴族が、平民に頭を下げるなんてよほどのことだ。命をよこせとでも言われるかと覚悟をしたけれど、『願い』はとても簡潔で、しかも私にとっても願ってもないものだった。


「我が家で働いてほしい」


 その数日後、見習いの時から……人生のちょうど半分を過ごしたアルヴェン家に別れを告げた。誰からも引き止められることはなかった。お嬢様と心を通じ合わせていた私も、この家にとっては厄介者だったのだと、そのとき初めて知った。


 わずかな私物と小遣い程度の退職金を手に、セドリック様に指定された場所に向かった私は驚いて腰を抜かしそうになってしまう。


 立っていたのは……やはりフードを目深に被って顔を隠しているとはいえ、セドリック様ご本人だったからだ。お仕事のついででだと言うことだけど、主人自らがメイドを迎えにくるなんてことがあるのだろうか。


「ついてこい」といったように手で合図され、人目を忍ぶように裏路地に入ると、そこにはルシアお嬢様が旅立たれた日に見た黒塗りの馬車が止められていた。


「さあ、手を」


 セドリック様に誘われ、馬車に乗り込む。私のような身分の人間には死ぬまで縁のないはずのもの。


「急いで戻るが、着くのはおそらく夜になる」


「……わかりました」


 ふかふかとしたビロード張りの座席に落ち着けずにいると、セドリック様はまるで旧知の人間を見るような優しげな笑みを私に向けられた。


「あなたとは、一度じっくり話をしたかった」


 紫色の瞳の輝きに目を奪われる。


 私と彼をつなぐものはひとつ。だから、何についてなのかは考えるまでもなかった。


 ◆


 ルシア・アルヴェンという人について話したいと思う。


 アルヴェン伯爵家に生まれた彼女。しかし、彼女の髪はなぜか私たち平民と同じ灰色だった。貴族の資格である魔法も使えず、ご両親からは無能と罵られていた。


 恥として北側の陽当たりの悪い部屋に隠されて、滅多に外に出てくることはなかった。家の中ですら自由に歩くことを許されなかった。


 孤児院からアルヴェン家にメイド見習いとして雇われた私に最初に与えられた仕事は、一日に三回、『お嬢様』にお食事を運ぶことだった。具がほとんどない冷えたスープに、乾いたパンがほんの少し。


 貴族様はもれなくご馳走を食べていると思っていた私は、そのあまりの粗末さに驚いた。けれどその戸惑いも、初めての仕事を言いつけられた緊張のせいでいつの間にかどこかに飛んでいってしまった。


「失礼します」


 部屋に入るときは、そう言えと教えられていた。少女と言える歳の私の腕にも軽いトレイを片手に持って、ドアを開き、さらに教えられた通りの文言を口にした。


「お嬢様、お食事をお持ちしました」


 そう言うと、窓辺に立っていた女の子が振り向いた。


 目が合った瞬間、胸がきゅっと絞まった。


 よく晴れた空のような青の瞳。だけど光はなく、表情は虚ろ。長い手足は、使用人の私よりもずっと細かった。髪は手入れもろくにされず傷みきっている。いちおう服は整っているけれど、まるでボロボロになって捨てられたお人形のようだった。


 お嬢様は私から視線を外さない。少しの間丸かった目が、やがてゆっくりと細められた。


「ありがとう」


 一度聴いたら忘れられない、小鳥のように澄んだ声。食前の祈りを捧げる姿は、とても清らかなものに見えた。


 お嬢様に構うと旦那様と奥様に目をつけられる……そう言われていたけれど止められなかった。


「あの、私はクララと言います。ここで、働かせてもらうことになりました」


「そうなのね。よろしくね」


 そう言ったお嬢様の淡い微笑みに、私は心を掴まれてしまったのだ。


 お嬢様は私がそばにいることを許してくださった。とはいえ、お食事を運ぶときに、少しの間言葉を交わすだけの関係だったけれど。


「仕方ないの。私は、灰色だから……」


 どんなに理不尽な目に遭っても、お嬢様はぱさぱさに乾いた唇から何度も同じ言葉を繰り返す。


 それから何年も経ったある夜のこと、すっかり成長されたお嬢様は、廊下に漏れる灯りの上に立っていた。贅の限りを尽くした下のお嬢様の成人祝いの席を、ドアの隙間から静かな瞳で眺めていた。お嬢様は当然、同席させてもらえない。


 お嬢様は家族に見つかる前に部屋に戻ると、私に向かってポツリと言った。


「本当に綺麗になったわ。お祝いのドレスもとても素敵だった。まるで宝石みたい」


 柔らかい声色は、嬉しそうでもあり、悲しそうでもあった。お嬢様は、いつもくすんだ色や暗い色の服ばかり着ている。


「そうですね」


「私は、いつ生まれたのかしらね」


 お嬢様は自分の誕生日を知らない。私のような平民ならまだしも貴族のお生まれだから、出生の証明もきちんとされているはずなのに。理由は簡単で、今まで一度も自分の誕生日を祝われたことがないから。


 答えに迷っていると、お嬢様は静かに目を閉じた。


「……知ったところで、意味はないのだけれど」


 意味がないなんてことはない。いつなのかが分かれば、私は必ずお祝いするのに。


 翌日。心ない使用人が旦那様に告げ口して、お嬢様が祝いの席を覗いていたことがばれた。


 激昂した旦那様に棒で執拗に叩かれて。奥様には耳を塞ぎたくなるような罵声を浴びせられた。お嬢様には悪気なんてない。自分と血を分けた家族の誕生日を、密かに祝っていただけ。


「……大丈夫よ。そばにいてくれてありがとう」


 ボロボロになったお嬢様は、私にそう言った。いつもそうだ。ここまでされても家族に対する恨み言のひとつも吐かない。そればかりか、何もできない私に、ありがとうと微笑んでみせるのだ。


 どうにかして救われてほしいという願いも虚しく、お嬢様は、ある魔術師のもとに魔道具として売られることが決まった。


「私は、人間ですらないのね」


 涙をこぼしたお嬢様を、私はぎゅっと抱きしめた。


 身寄りのないメイドの自分にはお嬢様を外に逃がす手助けもできず、お嬢様が売られていくのをただ見ていることしかできなかった。


 お嬢様が過ごしていた部屋はその日のうちに片付けられ、物置として使われるようになった。長年同じ家で暮らしていた家族が欠けたというのに、奥様やお子様達も、誰もお嬢様の話題を口にしない。


「邪魔者が消えて、せいせいする」


 唯一、旦那様からはそんな言葉が出てきた。セドリック様からから受け取った金貨を嬉しそうに数えながらだった。


 もちろん使用人たちも、誰もお嬢様のことなんか気に留めていない。お嬢様の名前は、ずっと前から禁句となってしまっていた。


 こんなにも優しい人が、どうしてこんな目に遭わなければいけないのだろう。


 どうか、お嬢様が少しでも明るいところで、心穏やかに生きられますように。


 私は毎日の祈りの中に、願いをひとつ添えることしかできなかった。


 ◆


 私たちを乗せた馬車は、北へ進んでいる。


 ノイマン子爵は、私の話を苦しそうな顔をして聞いて、拳を強く握っていた。


 そして、ぽつりぽつりと語り始める。お話の全てを理解することはできなかったけれど、気持ちは痛いほど伝わってきた。


 まずはご自身のこと。任務中に魔獣に襲われて大怪我を負い、その毒や受けた治癒魔法の影響で、魔力がすぐ枯れてしまう体になってしまったこと。


 その欠点を補うために、お嬢様のことを軽い気持ちで買ったこと。けれど、今は女性として誰よりも大切に思われているということ。


 人として許されないことをしたと悔いておられるということ。


 罪を告白するように弱々しいながらも、芯の通った声色に、一握の迷いが晴れる。


 そして、自分がアルヴェン家から引き抜かれた意味についても理解した。


「……私は、お嬢様を繋ぎ止めることがお役目なのですね?」


 しかし予想に反し、セドリック様は目を少し伏せ、首を横に振った。


「違う。彼女がもし俺の元を離れることになっても、恩人であるというあなたといつでも気軽にやり取りができるようにしてやりたかった。あなたがアルヴェン家にいるままでは、絶対に叶わないことだろう」


 今度こそ、本当にあっけに取られた。この方は、お嬢様をこれからもそばにと強く望みながら、なぜか自ら手を離そうとしている。


 あまりにも不可解で、けれど続けられた話を聴いてすぐに理解した。


 きっと、セドリック様は自分からそれを望む権利はないと思っていて、そして、お嬢様がご自分を選ぶとは思っていない。


 それでも、お嬢様の幸せを一番に考えておられるのだ。


「あの。お嬢様には」


「……ルシアにはまだ何も言わないでほしい。全てが整ったら、自分の言葉で告げたいと思っている」


 膝の上に礼儀正しく置かれた手は、固く握られたままだ。


「……わかりました」


 あたりが次第に薄暗くなる中、ガタガタと車輪が鳴る音が、一段と大きく聞こえた。



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