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23.初めての贈り物、あなたを想う心

 最初のお稽古から二日後の昼下がり。私とアンナは再び応接室にいた。リーネは外せないお仕事があるとのことで今日は参加していない。


 私は、「作りたいものが決まらなかった」とアンナにおそるおそる打ち明けた。基本のおさらいに夢中になるあまり、肝心なことをすっかり忘れていたのだ。


「確かに、これだけあると目移りしてしまいますよね」


「……すみません」


 不甲斐なくなって小さくなる私。しかし、アンナはそんな私を責めることなく首を横に振った。


「謝る必要なんてありませんよ。そうですね……ルシア様の場合だと、どなたかに差し上げるつもりで選ぶといいかもしれないですね」


 優しく背中を押すように言われて、ハッとした。リーネの胸のリボンに咲いていた小さなタンポポのことを思い出す。


 私が刺繍をしたいと思った理由。前から憧れていたのもあったけれど、リーネが嬉しそうに話をするのを見たのが決め手だった。


 私もこんなふうに誰かに喜ばせたいと思ったから。


 そして、私が喜ばせたい人は、セドリック様だ。


 灰髪の私には、刺繍に加護の魔法を込めることはできない。魔法のこもっていないものなんて、魔術師のセドリック様にとってなんの価値もないかもしれないけれど。


 ……それでも、魔力以外のものを贈りたいと思ったから。


 ようやく、目の前にたちこめていた霧が晴れた気がした。


 私は裁縫箱を開いた。セドリック様の瞳の色に近い紫色の糸をいくつか手に取って、花の図案が並ぶページを開く。


 紫といえばでまず思い浮かんだのが、スミレの花だった。定番らしくいくつの柄が掲載されていたけれど、どれも男の人が持つには可愛らしすぎて、私は再び迷子になりかける。


 私はさらにページをめくって、あるところで手を止めた。


「あら、とてもいいですね。きっとお喜びになられますよ」


 これならきっと、と思ったところでアンナがうふふと笑ったものだから、みるみる頬が熱くなっていく。


 どうやら、刺繍した品をセドリック様に贈ろうとしているのはお見通しのようだ。私は恥ずかしさを振り切るように、さっそく手を動かし始めた。


「んん……」


 手を進めるたびに唸ってしまう。頭の中ではっきりと完成形を描けていても、やっぱり手がその通りには動いてくれないからだ。私はもどかしい気持ちで、だけど、できるだけ丁寧に針を進めていく。


 アンナは凝り固まる私をほぐそうとしてくれたのか、慣れた手つきでちくちくと針を刺しながら昔話を始めた。


「えっ、じゃあアンナは、子供の頃のセドリック様を知っているのですか!?」


 なんとアンナは元々、セドリック様のご実家に勤めていたのだそうだ。


「ええ。お生まれになられたときから存じ上げていますよ。珍しくたくさん雪が降った日の夜遅くでした。『元気な男のお子様がお生まれになった』と、家令から知らせがあったのもよく覚えています」


 まさか生まれた日のお話を聞けるとは思わなくて、どきどきする。セドリック様は冬のお生まれなのね。その明るい人柄から、なんとなく春や夏の生まれを想像していたので意外に思った。


「幼い頃はとにかくヤンチャでしたねえ。上の坊ちゃんたちは落ち着いていて静かな方ばかりでしたから、セドリック様には奥様も旦那様も養育係の方も手を焼いていたようです……みなさん、お顔はいつも笑っていましたけれどね」


 セドリック様は四男で家督からは遠いということもあって、のびのびと育てられたのだという。


 庭でみつけた珍しい虫を追いかけて池に落ちてしまったり、猫と一緒に高い木に登って降りられなくなって泣いてしまったり。かと思えば大人の真似をしてブドウ酒を飲んで、真っ赤な顔で笑い続けていたこともあったとか。


 決して悪いことをするお子様ではなかったそうだけど、とにかく毎日が可愛い事件続きで大騒ぎだったのだそう。


 ふと窓の外に目をやると、小さなセドリック様が無邪気に遊んでいる姿が浮かぶようだった。どうしても笑みが溢れてしまう。


 その後もアンナから語られるセドリック様の話はとどまることを知らず、とうとう我慢できなくなって声を出して笑ってしまった。


「本当に元気な男の子だったのですね」


「ええ。とっても人懐っこくて、食いしん坊で、おしゃべりで。可愛らしいお坊ちゃんでした。使用人やその子供にも分け隔てなくお優しいのもその頃からです。邸に住む全員に可愛がられていましたね」


 周りにいる人から、たくさんの愛を注がれて生きてきた人。私とはまるで正反対だ。


「無鉄砲なところを旦那様は心配されていたようですが、今はすっかり落ち着かれて。本当に立派になられました」


 アンナはぱちんと糸を切って、表情をいちだんと柔らかくした。


 その表情にははっきりと見覚えがあった。母が妹を見る時と同じもので、もちろん私には向けられたことのないものだ。


 私には、こんなふうに嬉しそうに小さい時のことを語ってくれる人はいない。今までは当たり前と受け入れていたことだけど、とても寂しいことだと気がついた。


 アンナは物思いに耽るように、窓の外を見た。


「あとは、良い方を見つけて身を固めてくださったら、と……」


 そう言った優しげな横顔に、胸の奥がずきりと痛む。


「メイドの私ごときが、こんなことを思うのは失礼なのは承知ですが……小さい頃を存じ上げているからか、親心のようなものをどうしても持ってしまって。どうか同じようにお優しい方と結ばれて、お幸せになってほしいと」


「……そうですね。私もそう思います」


 セドリック様の結婚。いつか、いえ、もしかしたらそう遠くないうちに来るであろう日のことを思うと、まるで真っ暗な穴ぐらに閉じ込められたような気持ちになる。


 私は、それでもそばにいることを許されるだろうか、と。


 いいえ。たとえ許されたとしても、奥様になる方に申し訳が立たない。たとえセドリック様から私に愛はなくても、私はセドリック様を愛している。それに、触れ合っていることに変わりない。


 ……『ずっと』とおっしゃってくれたけど、ずっとなんて、あり得ない。


 もし、セドリック様からそれでもと望まれても私が耐えられそうにない。


 私は、いつかはここを離れることになるだろう。


「痛っ」


「あらあら、ごめんなさい。少しおしゃべりが過ぎましたね」


「いいえ、大丈夫です。ほら、血も出てませんから」


 私は左手を掲げた。アンナを心配させまいと精いっぱい笑ってみせる。


 指に針を刺した痛みなんて、今、この胸に転がっているものに比べれば些細なものだ。


 私は魔道具なのだといくら言い聞かせても、心は言うことを聞いてくれない。塗り固めたものの隙間から、熱いものが染み出してくる。


 あの人に愛されたい、と。


 しかし、それは決して叶わぬ願いだ。贈り物にするハンカチにしみを作るわけにはいかないと、込み上げてきたものを飲み込んだ。


 お稽古が終わり、アンナが私の左手に薬を塗りながらふわっとした口調で言った。


「縫い目は、刺した人の人柄や、思いを表すものなのですよ」


「えっ!?」


 私は思わず空いた右手で刺繍枠を隠す。お世辞にも綺麗とは言えない縫い目を見て、なんと思われるかが怖かった。


「……たくさん頑張られたんですね。とてもまっすぐで丁寧で、真心が伝わってきます。きっと、お喜びになられますよ」


 だけど私の心配をよそに、アンナはそう言ってまるで……お母さんのような、優しい笑みを浮かべた。


 ◆


 アンナと別れて自室に戻ってからも、そしてその翌日も。私は空いた時間を見計らって、黙々と刺繍の続きに取り組んでいた。いつの間にか指を刺さなくなって、思い通りに近い線も描けるようになってきた。


 針を進めながら、セドリック様のことを考える余裕も出てきた。魔法を込められない代わりに、せめてもと想いを込める。


 どうか、あなたの行く道がずっと明るいものでありますように、と。


「できた……!」


 決してほどけないように、しっかりと糸の始末をした。


 ひと房のブドウと、葉っぱと蔓が織りなす小さな図案。地味すぎず、可愛らしすぎない。どうしても粗は見えるけれど、これが今の私の精一杯だ。


 うん。私は誰にでなく頷くと、裁縫箱の底に隠していたものを取り出した。


「贈り物にするなら、必要ですよね」アンナがそう言って、邸に備え付けてある包装用の薄紙やリボンを私に分けてくれたのだ。


 簡単な包み方も教えてもらった。これもやっぱりお手本通りには行かなかったけれど、これでいちおう贈り物としての体裁は整った。


 そわそわとリボンを整えながら窓の外を見た。陽はまだ高いところにある。


 セドリック様は、今日は執務室でお仕事をされているのを知っている。夕食の席で顔を合わせるまで待つべきなのはわかっていても、邸の中にいらっしゃるのだと思うとどうしても我慢できなかった。


 私は包みを持って部屋を飛び出して、まっすぐに執務室に向かう。


「お忙しいところすみません、少しだけお時間よろしいですか?」


「ん、構わないよ。何かあったか?」


 セドリック様は突然現れた私を見て、少し驚いたような顔をされたけれど、さっとペンを置いてくださった。隣の机でお仕事をされていたエルンスト様は、椅子から立ち上がるとそっと部屋を辞した。


 セドリック様と、執務机を挟んで向かい合う。お仕事の手を止めていただいているので、あまりぐずぐずしてはいけない。手短に、手短に、と心の中で唱えてから、背中に隠していた包みを机の上に置いた。


「こちら、初めてなので拙いのですが……心を込めて作りました。ご迷惑でなければでいいので、裁縫道具のお礼に納めていただけたら嬉しいです」


 セドリック様の目が、まずは私が差し出した包みに寄せられる。それから、ゆっくりと私に向いた。


「開けていいか?」


 緊張したまま頷くと、セドリック様はリボンを解き、薄紙を開いた。「おお、手巾だな」ぼそりと言ってハンカチを広げ、目を丸くした。長い指が私が刺した小さなブドウにそっと触れた。


「……これを、君が作ったのか?」


「はい……」


 すると、セドリック様が一気に破顔した。


「本当か!? 初めてというが、上手いじゃないか! ああ、ブドウか。なんだろう、つやつやしてて美味そうだな……いやあ、ブドウはいいな。もぎたてそのままも美味いし、干して菓子にしてもいいし、酒にしても美味い。よし、今日の夕飯にはブドウ酒を用意してもらおう、ああ、ごめんな。刺繍とは関係ないことを……でも今日はどうしても飲みたい、いや、飲まなくちゃいけない気分だ。君も付き合ってくれ」


「は、はい……」


 いきなり怒涛のような言葉を浴びて、私はすっかり押されてしまった。


 刺繍を見て美味しそう、とおっしゃったのがなんともセドリック様らしいと思った。アンナに聞かせてもらったブドウ酒の話や、つまみ食いの話と繋がって、つい笑ってしまいそうになる。


「ルシア? どうした?」


「……なんでもありません」


 ……いけない。もう一度、気を引き締める。


 たっぷりと刺繍を眺めた後、ハンカチの感触を確かめているのか、唇を寄せたセドリック様は目を細めた。目元も口元も、柔らかく笑っている。


「ブドウには繁栄と成功という意味があるだろう」


「えっ?」


「俺のために、縁起がいいものを選んでくれて嬉しい。本当にありがとう。大切にするよ」


「は、はいっ……ありがとうございます」


 もちろん、私はブドウが持つ意味なんて知らなかった。けれど、無知を晒すのは恥ずかしくて黙っていた。あなたの瞳と色と同じだから……なんて子供みたいな理由でだけど、心を込めて刺したのは事実だから。


 じゃあまた後で、と執務室から送り出された。私は先ほどの出来事を噛み締めながら、自分の部屋へと戻った。


 セドリック様は私と違い、王都の華やかな舞踏会や、名工の品々を見慣れているはずだ。それなのに初心者の刺繍なんて取るに足らないであろうものを、あんなにも喜んでくださるなんて。


 やはりお優しい方だと思うと、胸の中がぽっと温かくなる。


 ……と同時に、あの笑顔が、いつかは私でなく他の誰かに向くことになると思うと、悲しみとは別の、どろっと黒い気持ちを覚える。たとえ名前は分からなくても、醜いことは確かな感情に蓋をして。


 空に浮かぶ雲のように、ふわふわと幸せな気持ちにだけ目を向けて。もう少しだけ、この幸せな夢のなかを何も考えずに漂っていたい。


 愛するあなたを想って涙するのではなく、笑っていたい。

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