10 豊臣軍出陣
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遂に豊臣と上杉の決戦です。
10 豊臣軍出陣
大坂城評定の間――。
真柴は徳川家康との会見を終えた後、主だった将を全国から集め、軍議を重ねた。
そして協議に協議を重ねた結果、編成した軍の陣容は以下のとおりである。
豊臣軍陣容
総大将 豊臣秀頼 四万
副将 宇喜多秀家 一万七千
小早川秀秋 一万六千
島津義弘 一万八千
前田利長 二万四千
毛利輝元 三万
石田三成 六千
長曾我部盛親 六千
吉川広家 三千
安国寺恵瓊 五千
福島正則 五千
藤堂高虎 三千
小西行長 四千
大谷吉継 千五百
黒田長政 三千
加藤清正 五千
計185500
大軍勢を率い大坂城を発つ真柴率いる豊臣軍。何かあった時の為に敢えて徳川軍は温存した。
真柴はこの所、成長痛に襲われ、グングン背が伸びている。
まだ八歳の幼子だが、背は六尺に近かった。秀頼は史実でも長身だということを知っている。
しかし、背が低かった現代世界の自分とは違い、憧れの長身に成れて真柴はご満悦だ。
この体格ならば李舜臣も上杉景勝も難なく討ち取れると真柴は疑わなかった。
大坂城を発ち、真柴は豊臣直参の片桐且元に会津王国をどう攻略するか打ち合わせをしていた。
真柴は天蓋車に乗り、その傍で馬に乗って控える片桐且元と談笑をしてた。
「秀頼様、これだけの軍勢を動員すれば勝てます! 必ずや勝てますぞ!」
片桐且元は長蛇に続く大軍勢を見て有頂天になっていた。
無論、戦に絶対は無い。だが、真柴もこれだけの軍勢に思わず、感嘆の声を漏らす。
――思い通り! 思い通りだ。上杉景勝など、木っ端みじん。
自然と口元を綻ばしてしまう。それだけに真柴は得意になっていた。
憑依してから成功体験の連続で真柴は見違え、勝ち組への階段を上り続ける。
挫折など、とうに忘れた。自分は天下人なのだ。自分はこの戦国の神だ。
「よし! 今日の行軍はこれまで、野営の準備だ!」
真柴は副将の宇喜多秀家に促されて、そう号令をかけた。会津への喉元に迫る地にて野営の準備に取り掛かる。
時は西暦1600年―。奇しくも本来の歴史であった関ヶ原の戦いの年であった。
本来の歴史とは大幅に違い、タイムラグも起きている。
真柴はこの時ほど、戦国末期の人間に染まってきたと大いに実感する。
野営地にて、本営の天幕に真柴を中心とした主だった将兵が集まる。
副将宇喜多秀家、前田利長、毛利輝元、小早川秀秋など、早々たる面々が集まっていた。
「秀頼様。献策いたします。軍を三つに分ける案を採用していただきたい」
真っ先に発言したのは、豊臣一門、宇喜多秀家であった。
真柴は宇喜多秀家を値踏みするように彼を見つめた。身長は175ぐらい。
武将としては決して大柄な体格ではない。なのに何だ。ぞくりとする。
不気味な様相を呈し、表情に全く感情が読み取れない御仁だ。
しかし、確かに才覚の片鱗が見え隠れする。これが、五大老宇喜多秀家……。
真柴としては爽やかな青年大名をイメージしていたのだが、とんでもない。
「その献策……採用する。その編成は宇喜多秀家殿に一任する。皆もそれで良いな?」
真柴は周囲の大名たちも見渡し、確認を取る。皆も異存はないようだ。
豊臣軍は会津王国の喉元まで迫る勢いを見せたが、物見の報告で巨大な城が築かれていることを看破した。
何でも、李朝式の城で釜山城に酷似しているという。
この城を攻略しないことには会津攻略はならないと宇喜多秀家から直接言われた。
会津釜山城城主はテイハツ。テイハツは李朝で釜山城の城主を任されていた。
テイハツは李朝式の城を会津の要所に築く案を上杉景勝に提案し、電光石火のごとく釜山城を再現して見せた。
本庄繁長がいなければ、上杉四天王に列せられたほどの人物である。
三軍に分けるにあたって、真柴率いる豊臣直参は中央軍に。毛利軍は右翼に。
宇喜多軍、前田軍、島津軍は左翼にそれぞれ配置を行った。
対して上杉軍は会津釜山城を落とされると詰みになるので、大幅な増援を行い、宰相直江兼続自らが総大将に。
上杉四天王、李舜臣、柳成龍、元均、本庄繁長が副将として城の守りを固める。
上杉軍は総勢三万六千。かなり無理して兵力を募った感があるが、会津釜山城を落とされると終わりなので、仕方ないのであろう。
豊臣軍陣容
豊臣軍中央軍
豊臣秀頼
福島正則
加藤清正
石田三成
藤堂高虎
黒田長政
大谷吉継
豊臣軍右翼
毛利輝元
小早川秀秋
安国寺恵瓊
吉川広家
豊臣軍左翼
宇喜多秀家
前田利長
島津義弘
長曾我部盛親
会津王国軍陣容
総大将 直江兼続(会津王国軍宰相)
副将 李舜臣(会津王国軍大将軍)
副将 柳成龍(会津王国軍軍師兼将軍)
元均(会津王国軍将軍)
本庄繁長(会津王国軍将軍)
テイハツ(会津釜山城城主。李舜臣側近)




