10、再会、そして
あの後、魔獣はすぐに処理されて、洞窟に避難していた村人たちも戻ってきた。村もいくらか壊されたけれど壊滅は免れており、家を直したり炊き出しをしたりと皆大忙しだ。ペネロペを母に返し、エヴァもそれを手伝おうとしたが、何故かオーウェンの私兵たちが既に手伝っており人手は足りていた。
そしてエヴァは、促されるままオーウェンのもとに行った。村のすぐそばに布だけを張った簡易テントの中で、彼はエヴァを待っていた。
「お時間をとって頂き、ありがとうございます」
「いえ……」
エヴァはひどく緊張をしながら、勧められるままに簡易椅子に腰かけた。聞きたいことも聞かなければいけないことも多くあった。きっとそれはお互いにそうだったのに、いざ対面すると両者ともに言葉が出なかった。
そんな重苦しい空気の中、先に声を発したのはオーウェンの方だった。
「……こちらでは、エスタ、と名乗っていらっしゃるんですか?」
「え?」
「ああ、いえ、そう呼ばれていたので……」
「ええ」
またも落ちる沈黙。エヴァは緊張で、指先の感覚がなくなりそうだった。しかし、話さねば。エヴァはどうにか口を開いた。
「あの」
「はは、すみません。貴女に、話したいことが沢山あったんです。聞きたいことも沢山あった。でも、いざ、貴女を前にすると、どうしたらいいのか、分からなくなる……」
「……では、わたくしから、いくつかお聞きしても?」
「勿論、どうぞ」
人と話す時に目線を下げてはいけません、とエヴァに教えたのは侍従長だったか、それとも教育係の誰かだったか。その教えをエヴァはこの時ばかりは活かせなかった。自身の膝の上にある手をじっと見つめながら、エヴァは会話を続ける。
「どうして、ここに?」
「複数の理由があります。魔獣の調査、義賊の監視、……貴女の捜索。……貴女がここにいることは前から分かっていたので、ずっと見張らせていたんです」
「……わたくしのことを、どうするおつもりなのですか?」
オーウェンの息を吸い込む音が、エヴァの耳に響いた。
「……分からない」
「……」
「貴女を見つけた時、すぐに連れ戻すつもりだったんです。私は、曲がりなりにも貴女の夫なので、その権利があるだろうと。……けれど、この村での様子を聞いて、分からなくなった。貴女は、ここでひどく楽しそうに暮らしていたらしいから」
問いに対しての答えを、オーウェンはぽつりぽつりと探すように話した。
「……私は、貴女を救ったつもりでいました。優越感に浸って、貴女から信頼を勝ち得たつもりだった」
そこで一旦、言葉を区切ったオーウェンは少しだけ語気を強めた。
「何が、気に食わなかった?」
「え?」
「貴女の、考えていることが分からない。私たちは問題なく暮らしていた筈だ。むしろ、仲はよかった方だと思う。私の何が気に食わなかった? ここで、平民のような暮らしをすることが望みだったのか? それで、あんな風につまらない死に方をするのが、望みだったのか?」
エヴァは深呼吸をして、やっとオーウェンの顔を見た。僅かに痩せたように見える彼は、エヴァの記憶の中よりもずっと頼りない顔をしているようにも感じられた。
「気に食わないことなんて、なかったわ。あんなにも大切にしてもらえたのだもの。平民の暮らしは嫌いではないけれど、別段にそれを望んでいた訳でもありません。……昔に、死を望んだことは確かにありましたが、今それを願っていた訳ではありませんでした」
そう、エヴァはあの生活に不満なんてなかった。オーウェンを信頼していたし、彼が優越感を感じたのなら、それは別に疚しいことでもなかっただろう。オーウェンが可哀想な王女を救ったのは事実なのだから。
「だったら何故!? 不満があるなら言ってくれればよかったんだ! 貴女が消えて私がどれほど……っ!」
オーウェンには珍しく、というか、エヴァは初めて彼が声を荒げたところを見た。オーウェン自身も驚いたようで、あからさまに狼狽えながらばっと自身の口を塞いだ。
「……申し訳ない。貴女にむかって、怒鳴るなど」
「いいえ」
エヴァはゆっくりと首を振り、そっと息を吐いた。あれ程に感じていた緊張はようやく少しだけ解れてきて、口元に笑みが乗る。自嘲のそれではあったけれど。
「……分不相応だった、というのが一番でしょうね」
「分不相応……? 何が?」
「貴方の優しさ、あの穏やかな日々……奥様なんて呼ばれて、大切にされて。わたくしは、何もできないのに」
「……何を」
「貴方の奥方の座を、わたくしが塞いでいるのが、ずっと心苦しかった。何もしない、何もできないわたくしが、ただ幸せに暮らしていることが罪悪であると感じていました」
オーウェンのことを愛してしまっただなんて、エヴァには言えなかった。そんなことは、言う必要もない。愛してしまったから愛されないことに絶望して、更に愛した人の幸せを妨害している自身が許せなくなっただなんていうエゴの塊を、告白することはできなかった。
「な……っ」
オーウェンが言葉に詰まっていると、何者かがテントの布を勢いよく開ける。
「おーい、坊ちゃん、嬢ちゃん。話は終わったか? 飯にすんぞ、飯!」
「……終わっていない、入って来るな」
入って来たのは頭領だった。エヴァに別の緊張が走ったが、オーウェンと頭領は顔馴染みのような気安さで話している。
「っかー、面倒くせぇ奴らだな。ああ、嬢ちゃん、アンタそいつと帰んないんだったらウチのもんと結婚でもするか? 嬢ちゃんは器量よしだって、評判でな」
「え?」
「ふざけるな! 出て行け!」
「んだよ、坊ちゃん。てめえ、フラれてんだよ。頭、地面に擦りつけて帰って来てくださいって縋れないんだったら、とっとと諦めて帰れよ」
「……っ!」
「おお、怖ぇー」
「や、やめてください! 何をしているんですか!」
オーウェンは頭領の胸倉に掴みかかった。あまりのことに驚いたエヴァは後先も考えずに二人の間に入る。オーウェンはすぐにエヴァが怪我をしないよう力を緩めたが、それでも頭領をぎりりと睨みつけていた。
「つーかよ、俺は嬢ちゃんに言ってんの。なあ、嬢ちゃん。アンタはどうしたい? アンタは図太くて要領がいい。どこでだってどうにでも生きていける。坊ちゃんのことはこの際、置いといてだ。アンタは今、どうしたい?」
「え、えっと」
さっきから話の雲行きが怪しい。何故そんな話になるのかエヴァには理解できなかったし、そもそも何故二人が知り合いなのかを先に聞かせてほしかった。しかし何を思ったのか、オーウェンは今度はエヴァの腕を掴む。
「待て! 待ってくれ!」
「きゃ……っ」
「問題があるなら直す! 貴女の望むことなら何でも叶えてみせる! だから、帰って来てください! あ、愛しているんだ……!」
「は……?」
「おいおい、坊ちゃん。何でも叶えるってのは、離婚もか?」
「お前は黙っていろ!」
訳の分からないことを言い合う男二人に囲まれて、エヴァはもう泣いてしまいそうだった。けれど、それを鋭い声が諌める。
「その辺になさいな!」
声の主はフェリティシイだった。優しい導師でいつもはのんびりして少し頼りないくらいの彼女が、けれど今だけはとても頼もしく見える。
「何です、大の大人が二人がかりでみっともない!」
「え、俺も?」
「当たり前でしょう!」
ずんずんとテントの中に入って来るフェリティシイは、そういえばさっきまで青い顔して倒れていたのだ。それを思い出したエヴァは二人から逃れ、フェリティシイに駆け寄る。
「フェリティシイ様、お加減は……?」
「大丈夫です。ありがとう、エスタ。……辺境伯閣下、その子は、私が面倒を見ている子です。冷静にお話ができないのでしたら、お返し願います」
「……申し訳ない」
オーウェンは、フェリティシイに素直に頭を下げた。それを見てフェリティシイはにっこりと微笑む。
「ご飯にしましょう。小さな村の質素な料理ですが、お腹に温かいものを入れれば少しは落ち着きますよ」
―――
村の片付けに一区切りがついたらしく、村人も私兵も交じり合って炊き出しを囲んでいる。不思議な光景だった。この村にいる人々は様々な事情から故郷を離れ、この村に隠れ住んでいる。そんな人たちとアルドル辺境伯領の私兵が肩を並べて食事をしているのだ。
ああ、けれど、そうか。人は人に変わりなかったとエヴァは頷いた。隠れている我々も隠れる必要のない彼らも、同じ人であることに変わりはないのだ。
そんな当たり前のことに納得をして、エヴァは木陰でぼんやりと炊き出しのスープを飲んでいるオーウェンに近づいた。話は終わっていなかったから。
「……あの、辺境伯閣下。少し、お話をしても?」
「っ、……はい」
オーウェンがびくりと大袈裟に肩を揺らすから、エヴァは少し笑ってしまった。そしてそのまま彼の横に腰掛ける。
「貴方は、どうしてわたくしと結婚をしたのです?」
「え?」
「そういえば、聞いたことがなかったと思って。同情でしたか?」
不必要な会話だったかもしれないが、エヴァはどうしても聞いてみたかった。オーウェンと会うのは、もしかするとこれで最後かもしれないのだから思い切ってみてもいいだろう。
「……なかったとは、言い切れません。けれど、決してそれだけではなかった。貴女に、私の傍にいてほしかった。笑っていてほしかった」
「では、貴方がわたくしに近づいてきたのは、どういう思惑があったのですか?」
「……はは、さすがにバレていましたか」
「……あれは、不自然でしたから。侍従長が何かしたのかと思いましたが、そうでないようだったので」
当時、まだアルドル辺境伯の子息だったオーウェンが、近衛になること自体おかしなことでもあった。
高位貴族の令息が行儀見習いで城に官吏の真似事をしに来ることはままあったが、近衛になることはほとんどない。武官として身をたてるにしても、基本的には自領の私兵として働くのがこの国では一般的だからだ。オーウェンが次男であったことを差し引いても、おかしなことだった。
更に次期女王になることを定められているブリジットではなく、エヴァの方につくというのだから不審に思うのは当たり前だった。何の思惑があったのか、エヴァは今でも考えがつかない。
「現王権の転覆を狙っていると言ったら、軽蔑しますか?」
「軽蔑はしませんが、意外にさらっと仰ったな、とは思います」
思った以上にあっけらかんと言うオーウェンに、エヴァは努めて冷静な声で返した。
「驚かないんですね」
「さすがに、予兆くらいは。貴方が中心人物であるとは思っていなかったので、見通しが甘かったですね」
「中心人物かどうかは。……協力者の内の一人だというだけです」
エヴァは内心驚いてはいたものの、それを隠してオーウェンの話を聞いた。
「先代から続く腐敗に、そろそろ国民たちが怒りだしていましてね。先々代の折には、全てではなくとも程々に粛正を行っていてくれていました。けれど先代は自身の道楽の為に、むしろ変な税を増やし、更に賄賂を渡す貴族たちへの優遇も酷かった。今代の王はそういうことを積極的に行っている訳ではありませんが、先代の負の遺産をそのまま受け継いで自分の懐に入れている。勿論、不正への対処も甘い。更に、二人の王女はどちらとも次代の王に相応しくない」
王政への不満は、エヴァも知っていた。エヴァが任されていた公務の中には、そういう不満を持つ人々への慰問も含まれていたのだ。王族は、国民を見放してなどいない。下級層まできちんと見ている、というパフォーマンスをする為によくよくエヴァは駆り出され、それなりに危ない目にもあった。
「義賊なんてものも、ここにいる彼ら以外にだって複数いるくらいで、明らかに国は揺らいでいる。……立国に関わった辺境伯家、公爵家などで、現王家の挿げ替えを考えていたんです。私は王室と王室に近しい貴族たちの実態を探るべく、王城に向かいました。貴女に近づいたのも、その一環でした」
そうだったのか、とエヴァは納得した。長年の疑問が解消されて、清々しいくらいだった。そうでなければ、オーウェンはエヴァなどに近寄らなかっただろうと腑に落ちた。しかし、オーウェンの話はここで終わらなかった。
「初めは、傲慢な憐れみの心でもって貴女に近づきました。貴女の置かれた状況は確かに同情に足るものだったから。……本当に危険のない人物であれば、縁談を調えていいとも思っていた。ですが、貴女の何もかもを諦めたような瞳に、興味を覚えてしまったのです」
「興味?」
「静かで、けれど芯があって、嫌味にも屈せずに伸びている背筋が美しくて。……なのに、いつもずっと冷めた瞳でつまらなそうにしている貴女が、どんなふうに微笑むのかが知りたくて」
言われていることが、理解できなくてエヴァはオーウェンを黙って見つめた。そういえば、さっきどさくさに紛れて、『愛している』だなんて言われた気もする。でもそんな、都合のいいことなんて。
「気づいたら落ちているものとは、よく言ったものだと思いました。貴女が初めて私に向かって微笑んでくれた時から、ずっと貴女に恋しています」
「……だって貴方、敬愛だって」
エヴァがどうにか絞り出した言葉は、一つの可愛げもなかった。それを自身で自覚してエヴァはまた小さく笑ってしまう。
「いきなり恋愛の意味で好きだなんて言って、貴女に警戒されたくなかったんです。不審者じゃないですか、そんなの。それでなくても無理矢理連れ去ったようなものだったのに」
「わたくしは、あの時、嬉しかったわ。……物語の主人公にでもなったつもりでした」
「……私もです。自分に酔っていた」
そうか、そうだったのか。自分たちが同じことを思い、そしてすれ違っていたことにエヴァはようやく気が付いた。しかし、もう遅い。エヴァが自身で壊して終わらせてしまったことだった。
エヴァは背筋を伸ばしてオーウェンの目を見た。
「貴方と結婚してから、わたくしはずっと苦しかった」
「……」
「怖い人なんていなくて、大切に優しくしてもらえて、それなのにずっと苦しかったわ。何の為にここにいるのだろうって、よく考えていました」
「言って、くれれば」
「貴方の同情で住まわせてもらっているのに、何を言えるというのです。いえ、でも、そうですね。話をすればよかった、貴方は聞いてくれたでしょうに。そんなこともしないで、わたくしは逃げて……。きっと一番楽な道を選んでしまったのね」
「貴女は悪くない! ……貴女は何も、悪くなんて」
「まさか、わたくしの未熟さです。申し訳ございませんでした、辺境伯閣下」
ゆっくりを頭を下げるエヴァに、オーウェンは何も言えなかった。
「ふふ、貴方はわたくしのことなんてすぐに処理して、新しい奥方探しを始めるのだと思っていたわ」
「……そうすることを望んだ者もいました」
「でしょうね、きっとご両親もご安心なさったでしょうに」
「そんなことはない!」
「っ」
「す、すみません。しかし、両親もずっと心配をしていました。母など特に、王女であった貴女が過酷な暮らしを強いられているのではないかと泣いてばかりで」
「そんな、申し訳ないわ。わたくしは図太いらしいので、何の心配もないとお伝えください」
「……戻って来るという選択肢は、やはり、ありませんか?」
エヴァの拒絶を、オーウェンはしっかりと理解していた。していたが、聞かずにはいられなかった。エヴァはにこりと微笑んで、首を振った。もう、終わったことだから。
「わたくしたちは、縁がなかったのだと思います。貴方に、好きだと言えていたら何か変わったかし、きゃ」
「は?」
「え? ……あ!」
フェリティシイに止められた時と同じように、オーウェンがエヴァの腕を掴んだ。驚いたエヴァは、少ししてから言うべきでないことを言ってしまったと気付いた。
好きだなんて、言うつもりはなかったのに、墓まで持って行くつもりだったのに。最後だからと気を抜いてしまったのだ。あり得ない失態だとエヴァは焦ったが、それよりもオーウェンは取り乱していた。
「す、す、好きとはどういう意味なんですか? 誰が誰を? まさか、エヴァ様が私を!?」
「あ、あの、落ち着いて……」
「こっこれを、どう落ち着けと! どうして言ってくださらなかったんです!?」
「ご自分のことを棚上げしてませんか?」
「……すみません」
「貴方が言ったのでしょう、敬愛だと。“王女”というものに少なからず憧れも持っていた。そんな貴方に、言える訳がないじゃないですか」
「――ろ、したい……!」
「え?」
「あの時の自分を殺してやりたいっ」
エヴァの腕を掴んだまま、もう片方の手でオーウェンは頭を抱えた。取り乱している人が近くにいるとどうしてだか冷静になるもので、エヴァは笑う余裕すら取り戻していた。
「まあ、ふ、ふふ、貴方、そんな冗談を言う人だったのね」
「冗談ではありません……!」
「……ふふ、わたくしたち、いろいろと本当に噛み合わせが悪かったですね。次にお迎えになる奥様とは、仲良くなさってくださいね」
残念だけれど、仕方のないことだ。もう終わっているのだから。エヴァはそっとオーウェンが掴んでいる手を外そうとしたが、逆に今度は彼の両手に自身の右手を取られてしまった。
「ま、待ってください! 嫌だ、嫌です! そんなことを言われて諦められるはずがない!」
「でも、もう終わった話だわ。こんなつまらない理由で逃げ出すような者に、辺境伯夫人は務まりません。元々、貴族の奥様なんて向いていなかったの、だから」
「嫌だ!」
「……でもね、あの」
「嫌です……!」
こんな押し問答をしたことなどないエヴァは困り果てた。子どもたちでさえ、エヴァが諭せば引いたのだ。それを見かねたのか、また横やりが入る。
「なあ、その問答いつまで続けるんだよ、お前らは」
呆れた声をかけてきた頭領は、一体いつからこの問答を聞いていたのだろう。オーウェンが見たこともないような怖い顔で頭領を睨みつけていたが、エヴァにとって彼は救世主かもしれなかった。
「お頭さん……」
「……」
「これから忙しくなんだから、さっさと話付けろや」
頭領は面倒くさそうにそう言い放ったが、二人の真横に座り込んでくれたのでエヴァはひっそり安堵した。自身が話しかけにきたものの、こんなオーウェンは初めてで、どうしたらいいのか分からなかったのだ。エヴァは咄嗟に話題を変えた。
「そういえば、お二人はお知り合いだったんですか?」
「そう。俺、坊ちゃんにこき使われてんの。あれやれこれやれって、アンタの旦那は酷い奴だぜ」
「違います、奴が私を脅してきたんです! 貴女の居場所を知っているから協力をしろと!」
「んなもん、てめえらの仕事が遅かったからだろうがよ。その後にこんなに走り回らされるなんて聞いてねえよ」
「……別に、できないのならできないでも構わない。お前の理想とやらが遠のくだけだ」
「はあ、これだからご貴族様は怖ぇわ」
話の流れからするに、頭領とオーウェンはエヴァがこの村に来た当初から共謀していたようだ。少し複雑な気分になったが、まあ、いいだろうとエヴァは口を噤んだ。
「でだ、嬢ちゃん」
「は、はい」
「嬢ちゃんは坊ちゃんが好き、坊ちゃんは嬢ちゃんが好き。で、嬢ちゃん? 何がなんで駄目だって?」
「何がなにって、えっと、す、好きとか、そういうものだけでは辺境伯夫人として相応しくないと……」
頭領が急に話を戻したので、エヴァは言葉を選びながら答えた。子どもの感想みたいなたどたどしい内容だったが、事実だった。とにかくエヴァは、由緒ある辺境伯家の夫人には相応しくない。
「ああ、つまり、坊ちゃんが不甲斐なくて帰りたくないと。こんな男とは離婚だと」
「ふ、不甲斐ないなんてそんな、そういうことじゃ」
「そういうことだろう。嫁さんを不安にさせるだけさせて、フォローも下手で、そんな男の嫁さんなんてやってられっかってことだろう? ん? 虐められでもしたのか、可哀想になあ。坊ちゃんは気づいてくれんかったか?」
「そ」
そんなことはない、と言おうとしたエヴァだったが、それはできなかった。それよりも先にオーウェンが話しだしたからだ。
「は? 虐め? 貴女に? 誰です、地の果てまで追いかけて死よりも恐ろしい恐怖を」
「ちょ、あの」
「なあ、甲斐性がなくて自分の意見ばっかり通そうとする男は嫌だよなあ。自分が一番正しいと思っていてよう」
「そんなことありません! ……彼は立派な人です。仕事に一生懸命で、領民のことをちゃんと考えていて、優しくて」
「でも嬢ちゃん、戻りたくないんだろう?」
「それは、わ、わたくしが彼に釣り合わないから」
「嬢ちゃん、隣見てみ?」
頭領に言われ、エヴァは未だに自身の右手を握るオーウェンの方を向いた。振り向いた先には優秀な若き辺境伯がいる筈だったのに、実際には泣き出しそうな子どもみたいに顔を歪めた青年しかいなかった。
「はは、なっさけねえ顔。……なあ、嬢ちゃん、アンタそこの坊ちゃんに幸せになってほしかったんだろう? 少なくとも、今の坊ちゃんは“幸せ”じゃねえな」
確かに、今のオーウェンは一つも幸せそうではなかった。そのくらいエヴァにも分かる、しかし……。
「……でも、わたくしは、自分で決めて飛び出してきたのに」
「生きてるんだから失敗はつきもんだ。方向修正は結構大事だぞ? 無駄に年食った俺が言うんだから間違いねえ。正解ばっかりを選べる程、人間ってのは完成されたもんじゃない」
「いろんな人に、迷惑をかけたのに、今更戻りたいなんて」
あんまりにも虫がよすぎる。そんな為政者を誰が認めるというのか、エヴァなら認められない。認めてほしくもない。飛びぬけて素晴らしい技術や能力を持った人ならいざ知らず、エヴァにはそんなものはない。
いるだけで邪魔だと罵られ、不出来だと蔑まれ、そんなことにはエヴァはもう慣れてはいたが、ではまたもう一度そんな目にあいたいかと言われればそうではない。恋した人が自身のような無責任な者を妻として、後ろ指を指されるところも見たくない。
為政者とは、人の上に立つ人とはかくあるべきだと、エヴァも指針を持っている。そのくらいは習ったのだ。それは、決して自身のような人であってはならないのだと、エヴァは首を振った。
そんなエヴァの潔癖を知ってか知らずか、オーウェンは声を荒げる。
「そんなこと! 私がどうにでもします、誰にも何も言わせません!」
「そうそう、甘えちまえ。嬢ちゃんは甘えるのが下手でいかん。まあ、坊ちゃんとは本気で終わりにして人生やり直したいって言うんだったら、それはそれで手伝ってやんぞ?」
「お前は誰の味方なんだ!?」
「嬢ちゃんに決まってんだろうが。お前も男ならな、惚れた女の選んだ道を黙って応援してやるくらいの度量は持て!」
「ぐ……っ」
オーウェンが押し黙るのを確認してから、頭領はもう一度エヴァに問うた。
「で、嬢ちゃん、どうしたい? 坊ちゃんのことも爵位とか義務とかそういうことも迷惑だとかそういうことも、もうこの際全部置いといてだ、嬢ちゃんはどうしたら幸せになれる?」
「わたくしの、幸せ?」
「そう、嬢ちゃんの。嬢ちゃんが幸せになるんなら、坊ちゃんも諦めがつくだろうよ」
「……」
「坊ちゃんはいい加減、その顔やめろ。どっちが悪人か分からんぞ」
オーウェンが頭領をすごい顔で睨みつけているのを眺めながら、エヴァは一生懸命に考えた。そういえば、彼女は自身の幸せなんて、もしかすると考えたことなどなかったかもしなかった。
物心ついた時から嫌なことだけを耐えて、やれと言われたことだけをやって、最悪の状況だけは回避する。それがエヴァの生き方だった。夢も希望も、彼女には必要のないもので、期待すればしただけしっぺ返しを恐れなければいけなかった。
オーウェンのことも、生まれ持った義務も、迷惑をかけるかもしれないことも、全て置いておいて、自身のことだけを。そんなこと、許されるべきでないのに。エヴァは泣きたくなるくらいに葛藤したが、ここで涙を流してはいけないと懸命に堪えた。
「わたくし、は……」
「おう」
「わたくしは、きっと、必要とされたかった。お人形のように、ただ大切にされるのではなくて、必要としてもらいたかった。だから、わたくしは今、とても充実しているの」
そう、この村に来て、エヴァは初めて本当の意味で必要とされた。絵本を読んでとせがまれて、治癒魔法をかけてほしいと頼まれて、フェリティシイを手伝って。そうすることでエヴァは感謝をされた。人によっては当たり前のことだろうけれど、エヴァには初めてのことだった。必要とされることの喜びを、エヴァは初めて知ったのだ。
エヴァは、この村で生活をして、不幸だとは感じなかった。むしろ幸福だっただろう。全てを捨てて、自由気ままに暮らすのはあんまりにも楽だった。ずっと重しになっていたものがいきなりに消えたのだから、当然だ。けれど、オーウェンや、自身の出自を忘れることもできてはいなかった。
侍女のミリーはあの後怒られなかったかしら、辺境伯家の使用人たちや王城の侍従長は元気かしら。……オーウェンは、どんな人と結婚をするのかしら。彼の子どもは可愛いかしら、わたくしのことを少しは思い出してくれるのかしら。
エヴァは、ふいにそんなことを考えて、自身にはもう関係のない話なのだと忘れようと努力をしたけれど、それは結局叶わなかった。ああ、そうか。もう答えは決まってしまっていた。エヴァは苦笑しながら息を吸った。
「でも、貴方に望まれることは、やっぱり嬉しいわ。……貴方のことが好きだから」
嘘も駆け引きもなく、これがエヴァの本心だ。オーウェンに望まれて、嬉しかった。あのガーデンパーティーで、妻にと言われた時からずっと。望んでくれるというのなら、エヴァは、オーウェンの傍にいたいのだ。
「っ、エヴァ様……!」
「……今度こそ、わたくしのことちゃんと“奥様”にしてくださる? そうしたらわたくし、幸せになれると思うの」
この選択がどういう結果をもたらすのか、エヴァはもう考えないことにした。けれど、もう覚悟を決めた。自身が無責任に起こした行動の清算と、望まれる間はずっとオーウェンの傍にいつづけることの覚悟を。
「ええ! ええ、勿論です! ああ、その寛大な御心に感謝致します……!」
「いや、そういうとこだろっ」
「だっ!?」
何を思ったのか、頭領が思い切りオーウェンの背中を叩いた。頭領はまれにこういうコミュニケーションの取り方をすることをエヴァは知っていたが、それを知らないオーウェンはいきなりの殴打に激怒しかけている。
「っつ、き、っさま!」
「うっせぇ、ガキ! 嬢ちゃん、本当にいいんだな? 戻るってなるとなんやかんや大変なんだろ?」
「……ええ、覚悟の上です。自身の罪に向き合ってきます」
「罪だなどと、貴女は何も犯していません」
「なあ、だから、嬢ちゃんもそういうとこだって。肩の力を抜け、甘えることを覚えろって言ったろ? つーか、おい、坊ちゃん。お前、頼りないってよ」
「……!」
「頼りないなんて思ったことはありませんよ。ずっと守ってもらっていたので、次こそは頑張りたいだけです」
そうだ。今までずっと、流されるままだったエヴァだけれど、戻ると決めた以上は同じ轍を踏むつもりはない。もっとちゃんと、胸を張ってオーウェンの隣に立てるように。
狼狽えるオーウェンと張りつめたままのエヴァに、頭領はため息を禁じ得なかった。
「はあ、お前らにゃ何を言っても無駄そうだ。だが、それがお前らなんだろう。どっちにしろ俺がずっとツッコミ入れてやる訳にもいかんしな。まあ、頑張れよ、二人でな。どっちかだけが張りつめていたところで、ぷつって切れちまうもんだから」
そこからはものすごく話が早かった。オーウェンが村から引き上げるのと同時にエヴァもついて行くことになったので、彼女は急いで村の人に挨拶をして回った。突然のことに子どもたちは泣いていたけれど、大人たちは少し驚いたくらいで「頑張って」と言ってくれた。フェリティシイに至っては「嫌なことがあったらいつでも帰って来ていいからね」とまで。
きっとエヴァがこの村に戻ることは、もうない。けれど、その言葉が嬉しくてエヴァも少し泣いた。
読んで頂き、ありがとうございました。




