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―――所詮、悪神達など烏合の衆。複数個所を同時多発的に襲えば散り散りとなり、個人の力で押し通る他無くなる。一つの目的の為に統率され、個々の能力に依存せず連携する事で数多の神を屠る事にのみ特化された我ら二十八部衆であれば、多少腕に覚えのある悪神とて一柱も余す事なく手に掛ける事も出来よう。
そうでなくともこちらは暗殺に長けた神が複数所属しているのだから、負ける事など有り得ない。ほんの数分前までのヘイムダルは何の疑問もなくそう信じていた。けれど今は―――……。
「この力、この破壊力」
圧倒的な戦闘力を有し、常に戦乙女の一線で活躍する女神、戦乙女イヴァル。軍神であり戦神でもある彼女自身が放った暴虐の余波で美しい漆黒の髪がふわりと舞い踊り、静かに頬に落ちていく。威風堂々と立つその姿は、この戦場の支配者たるに相応しい威厳に満ちていた。
「まさか彼女が我々の勝利を揺るがすダークホースとなるとは」
喉の奥でごぼっという不愉快な音が聞こえた次の瞬間、ヘイムダルは喉の奥からせりあがって来た血反吐を地面にぶちまけた。口の中は血でべっとりと汚れて鉄錆び臭く、そこここから流れ出した血はヘイムダルの纏っていた衣服を赤黒く染め上げていく。
先の攻撃魔法はどうにか紙一重で躱すことが出来たものの、目に見えない範囲、主に内蔵系がやられているらしい。鈍く引き裂くような痛みが全身を覆っている。服の袖で口元を拭い、地に這い蹲ったまま、ヘイムダルは前方に立つ彼女を見上げた。
「全く、何のための奇襲か」
触れればたちどころに斬り捨てられそうな程の硬質そのものといった空気を纏う彼女は、今やヘイムダル達地に伏せる神々の生殺与奪を握るただ一人の女神だ。周囲の神々が彼女に怯える中、その背後に居る三柱の神々だけは何ら臆することなく彼女の背を熱心に見つめている。
「いや、だがあれは…」
―――ヘイムダルが殺すべき相手だった悪鬼羅神は唇の端に笑みを刻み、蕩けそうな眼差しでただ一心に彼女を見つめていた。彼の神の執着はかなりの物である事はきちんと知っていたつもりだった。けれどヘイムダルが感じた僅かな違和感に眉を寄せ、思考の海に沈む。
ひたと彼女に向けていたヘイムダルの視線に気づいたのか、彼の神はこちらに視線を合わせ、射殺しそうな眼差しでヘイムダルを貫いた。
「………!」
死んだ。そう、思った。
今この場でヘイムダルは一度死んだ。そう断言できる体験をヘイムダルはこの瞬きする間で感じ取っていたのだ。
悪鬼羅神はヘイムダルの精神を一瞬にして焼き尽くした。ああその通りだ。彼の神はヘイムダルの全てを焼き付くしたのだ。その余韻はまだ全身に残っている。それは気付けないのが可笑しい程の変化だった。
ぶるぶると自分の意思とは真逆に体が震えている。いや、奥歯さえもガチガチと不快な音を発し、歯の根が合わない程の震えに見舞われているのだ。悪鬼羅神が投げ寄越してきた視線を通じて、ヘイムダルの脳内に一瞬にして切り刻まれて無残にも殺される自身のイメージが焼き付けられた。それはとてもリアルな光景だっただなどと悠長に話す事など出来ない、圧倒的な体感だった。何せ、この体が今五体満足に在ること自体が夢や幻などではないかと錯覚してしまうのだ。
思いがけず自分の体を掻き抱いたのは、ここに存在している自分自身が本当に今生きているものなのか反射的に確かめたかった為だ。
「ああ、そうか、お前達は、お前達は…」
ヘイムダルは勘違い、いや思い違いをしていたのだ。悪鬼羅神はその名に恥じる程度の力しか持たず、一柱の女神に執着し自らを堕落させた神そのものだと。何よりも腑抜けた神であるのだと小馬鹿にし、侮っていたというのに。
「お前達は、」
同類なのだ。執着しているのは悪鬼羅神だけではない。悪鬼羅神の前に立ちはだかり、凍てつく氷の眼差しで周囲を睥睨して彼の神を守る彼女自身も、彼の神と同類だったのだ。
何という茶番か。思わず笑い声が漏れた。それは次第に大きくなり、ヘイムダルは壊れた機械の如くただ狂ったように笑い声を上げた。
「我らこそが噛ませ犬だったのだ」
*
暴力の嵐が収まったその瞬間、周囲からすべての音が消え去った。ある意味でそれは、世界が一瞬にして変容してしまったが如く、魂を揺さぶるほどの衝撃的なものであったのかもしれない。
光の柱に囲まれた悪神達も、逃げ惑っていた神々も、そしてどうにか攻撃を防ぎきって生き残った二十八部衆の僅かな神々も。誰も物音さえ立てず、呻き声すら上げはしない。
「無様なものだな」
思わず、吐息が漏れた。
私自身が行使した攻撃によって惨たらしく神々が死に、周囲の地形を変えてしまう程の無惨な有り様になってしまったとはいえ、自身の行動に一切の後悔はない。
何故ならばこれが、私の義務だからである。
戦乙女として守護神を守る事。これこそが私にとって至上の命題なのだ。
「荒事に長けた二十八部衆とはいえ、所詮はこの程度か」
「………っ!」
意図して唇の端を上げ、嘲笑を浮かべれば、息を呑む音やぎしりと歯ぎしりする音が聞こえる。それに伴って膨れ上がる強烈な敵意は、けれど私が視線を遣る事ですぐさま霧散する。ああ、なんと哀れな事か。
恐らく二十八部衆の中でも腕に自信のある神々が奇襲を仕掛けてきただろうに、造作もない。普段は抑制している闘争心が私の全身を心地良く高揚させていく。皮肉な笑みはその表れでもあった。
「相手が悪かったな。私はこれでも軍神、戦神の一人だ」
当然の事ながらその戦闘力は高く強い。自画自賛する訳ではないが、侮るべき敵とそうでない者を見誤ってしまった事が彼等の敗因でもあるのだろう。
周囲を見渡せば、私と視線が合わぬよう目を伏せる神々の何と多い事か。
恐らく大半の神々は目の前で行使された攻撃魔法の凄まじさに畏怖し、或いは恐れ戦いているのだろう。呆然自失となって体を小刻みに震わせる者、蝋人形の如く固まり顔面蒼白となる者、へたりこみ腰を抜かす者など、その反応は実に様々だ。
然し、重苦しい沈黙を引き裂くように悲鳴にも似た狂った咆哮を上げるこの神は、この場に居る誰とも違っていたらしい。
「ふは、あはははは、あっははははは!」
壊れた機械の如く、乾いた笑いが止まらないとでも言うように天を見上げたまま不気味な笑い声を上げるヘイムダルは、周囲の状況をいち早く確認すると、ゆらりと体を揺らして立ち上がった。
「何が可笑しい、ヘイムダル」
その姿は正しく幌雑巾のようにぼろぼろで、体の至る所に走る裂傷から血が滲み、ヘイムダルが自慢としていた宝剣は見るも無惨な程に欠け、傷ついている。既に被っていたフードは落ち、優男の如き整った顔立ちが晒されていた。然しその美貌に反して、至る所についてしまった擦り傷や切り傷、打撲等によって唇からは血が流れ、額の中央には大きな瘤、頬は打撲の影響からか赤く腫れあがっている。
誰もが憧れる聖なる光の神、ヘイムダル。けれども今その姿は正しく敗北を喫した無様な敗者そのものだった。その姿に悲壮感は一切ない。
ヘイムダルと私の間には浅からぬ縁がある。だからこそ、剣を交える事はこれまで極力避けてきた訳だけれど。
「―――ヘイムダル、潔く負けを認めてこの場から去るのであれば、今回のみ見逃してやっても良いが?」
「イヴァル、戦乙女イヴァル、これ程とは、これ程とはな!」
あはははは!
耳障りな声を上げて笑い続けるヘイムダルは、私をひたと見据え、取り落としていた剣を拾い上げる。俄に色めき立つ周囲とは正反対に私の心はとても落ち着いていた。最早ヘイムダルに私達を害せる程の力は残っていない。恐らくそのような事などヘイムダル自身も分かりきっているのだろう。敵意を感じさせぬ奇妙な笑みを浮かべて私に一歩近づいた。
途端に身構える周囲の悪神達は、けれど固唾を飲んで私達の動向を見守っていた。
「イヴァル。お前はこちら側の神だ。幾らお前が職務に忠実であろうとも、その事実は変えられない。今回は引こう。だが、忘れるな。我々は手を取り合うべき存在で在る事を」
「……よく喋るものだな、ヘイムダル」
「ああ、そうだ。お前と私はとても良く似ているよ。だからこその諫言だ」
何て馬鹿馬鹿しい事か。反論する気も起きない。ヘイムダルはくるりと背を向けて其処らに転がっていた二十八部衆を回収し、周囲を固めた悪神達を悠々と飛び越して去って行った。
*
その背が遠く消えた後、僅かに吐息を落として振り返った。
「アクラ、シュウ、ラキ。無事だな?」
ちらりと背後の三人を確認し、周囲に視線を走らせる。
僅かに固まったシュウとラキの反応は想定の範囲内。いや、若干頬が紅潮し少しばかり興奮しているのか? だが、アクラは静に私の側に寄ってくると、私の言葉に応える事無くその長い腕で私を抱き寄せ、引き締まった胸板に私の頬を押し付けて温かな腕の中に閉じ込めた。アクラ自身の優しく甘やかな体臭が私の鼻腔を擽り、僅かに目を見張る。一体全体、どうしたというのか?
「アクラ?」
戸惑いのままにそう問えば、アクラは私の後頭部に指を差し入れ僅かに私の顔を上向かせる。
「なに…んむっ」
唐突に唇を塞がれ、鼻に掛かったような吐息が漏れる。
アクラ!?
思わず脳内で絶叫するも、次いで薄く開いた唇に厚い舌が入り込んできた事で、驚愕の声が漏れる事は無かった。
「ア、クラ…うっふ、んっん、アクラ…!」
まるで私自身の官能を引き出すかのような大胆な動きを止めようと、アクラの名を呼びしなやかな筋肉で覆われた胸板を押し返した。けれどもアクラは私の抵抗など何ら意に返さず、些か横暴とも呼べる仕草でぐっと私の腰を引いて私を密着させる。
まるで私とアクラ以外の世界が隔絶させられたかのような感覚。先程までは研ぎ澄まされていた神経が強制的に緩んでいく。キスの合間に漏らされるアクラの温かな吐息が擽ったい。混乱する脳内は、アクラから与えられる刺激を逃がす事に精一杯で、周囲がどのような状態となっているのかなど、既に頭の中からは抜けてしまっていた。
「イヴァル」
低く柔らかな声が私の耳元に落ちた。
このような惨事の中、そして私自身も返り血を浴びて鉄錆び臭い匂いを纏っているというのに、周囲の視線などお構い無しといったアクラの暴挙に思わず鳥肌が立った。嫌悪からではない。可笑しな事に私の全身に走った感情は、狂おしい程に鮮烈な愉悦だった。
その感情を認めたくなくて、渾身の力でアクラを押しのける。すると、アクラは先程とは違いすんなりとその身を離し、私の髪に差し込んでいた手を抜いて私の肩に手を置いた。
「アクラ!」
僅かに痺れる口唇を指先で押さえて叱責するようにアクラを呼べば、アクラは妖艶な微笑みを浮かべて柔らかく私を抱きしめた。
「イヴァルが無事で何よりです」
ぎゅうっと抱きしめて来るアクラの腕は、私を包み込むかのように優しい。その言葉に嘘偽りなど無いと知っているから、私は「ああ」とだけ答えてその腕に身を任せた。
「アクラが無事で何よりだよ」




