昔話 マグノリアの追憶 4
遠征軍が出立する前々日に盛大な壮行会が行われた。異動前だったが王女達のたっての希望を受けて、私はこの壮行会に出席する事となった。勿論彼女達をエスコートする為に騎士服での参加となる。同じ年頃のご令嬢達が華やかに着飾り、戦場へ向かう勇敢な騎士達との別れを惜しむ中、私一人が男装の異分子だ。
こういう扱いを特に不満に思う事はないが、ドレス姿で花の盛りを謳歌する麗しいご婦人方から奇異な目を向けられると疎外感でどうにも居心地が悪い。女騎士の前例が無い訳では無いが現在現役で騎士をしている女は私一人……陛下のお考えでは、王立学院に女子生徒を受け入れる体制を作り一定数の女騎士を確保するおつもりらしい。以前存在した女騎士は武術の心得のあるコリント家の出の者で、特に学院で教育を受けた訳ではなく他国から娶った側妃に男性の騎士を傍に置く習慣が無く、どうしても女騎士でなければと言う訴えがあった場合等に特例として採用されたものらしい。護衛技術を磨いた侍女が同行する場面もあるが不都合な場面も多く、他国の女性騎士、文官と対話する機会を得た陛下が女性登用を推し進めようと動き出されたのだ。
私は王宮に乳母として仕えていた母に連れられて、王女達の遊び相手をしていた時期がある。陛下と王妃陛下に目通りが叶ったのもその頃だった。王女達は母が王宮を辞した後も私と会いたいと訴えて下さったそうだが、一人娘であった私が侍女として出仕するのは難しい。そう言う経緯もあり、また男尊女卑傾向が高い我が国の……髭ばかり長いくせに頭はツルリと滑らかなうるさ型の重鎮等の反対を押し切って女性登用の入口を儲ける口実として、陛下とマルグレーブ学院長が学院に女性を入学させる事を画策したのだ。
学院長は学院長で、本人の思惑があったようだ。元々優秀な人材を発掘するのが趣味で平民への門戸を開くよう学院改革を推し進めたり、王立学院に入学できない優秀な女性を発掘し私的に教育を施していたりしていたらしい。そう言った人材が、いまや市井で薬師や商人、作家、平民の為の私塾の講師などとして活躍し始めている。―――陛下は女性の活躍が市井だけに限定される事を勿体無いと考えておられるようだ。
「ふふ……オティーリエ、式典用の騎士服が良く似合っているわ」
「そうね、特別に誂えた甲斐があったわね」
第一王女のマルティナ様と第二王女のナディア様が、私の両側から寄り添うように手を添える。王家の血統を受け継ぐ輝かんばかりの銀糸を見事に結い上げ、それぞれ濃淡の異なる華麗な薄紫のドレスを身に纏い、露出は少ないながらも体の線を意識した縫製で惜しげもなくその美しい肢体を誇示している。王家の血族にだけ許されると言う高山植物から抽出された馨しい香が両側からほんのりと香った。
「有難うございます。身に余る光栄です」
「まあ、何だか他人行儀ねぇ」
「……公的な式典ですから」
ナディア様が私の態度に口を尖らせた。その様子がとても愛らしくて、思わず私の頬は緩んでしまう。するとマルティナ様が年上らしくすかさず妹君を窘められる。
「ナディア、我儘を言うものではないわ。それに他のご婦人方に普段のオティーリエを見せるのは面白く無いでしょう?それを密かに楽しむのは、私達の特権よ」
「確かにそうね。でも、男性陣は知っている者も多いのでしょう?何だか嫉妬しちゃうわ。ほら……あそこにいる騎士達も、オティーリエの雄姿に見惚れているわ。あの年頃の男性って学院や騎士団で貴女と親しく気安い口をきいたりするのでしょう?」
高貴な王女達の見当違いな意見に、思わず抗議の声を上げてしまう。
「は?……お二人の言われる意味が分かりません。ご婦人方はもとより、彼等も私の事など眼中にございませんよ」
「ふふっ出たわね、オティーリエの辛口が……!」
ワクワクした様子で、扇で口元を隠したナディア様が小声で叫ぶ。……全く彼女の喜ぶ視点が私にはピンと来ない。厳しい言い方……少々不敬な物言いをすると決まって嬉しそうに笑顔を見せるので、その様子が愛らしくて怒る気も削がれてしまう。
「はぁ……全く。第一、学友や同僚が見惚れているのは明らかにマルティナ様とナディア様でしょう。私など背景にしかなり得ません」
「まぁ、オティーリエ……」
今度はマルティナ様が目を細めた。
何故そのように残念そうな表情を見せられるのか、理解できない私は返す言葉も無い。
「確かに私達は、今夜王国の代表として彼等を労い励ます為に、侍女達によってたかって手間を掛けて磨き上げて貰ったわ……勿論その効果もあって私達に見惚れる者もいるでしょう?それは当然の事よ。でもね、よおく見て見れば分かるわ。あの賞賛を向ける瞳の中に、貴方だけをまっすぐ捉えている双眸が確かに存在するでしょう?ほら、例えばあの……そう、バルツァー家の嫡男よね?素敵な殿方じゃない、貴女をまっすぐ見つめる熱い瞳……情熱がその底に見え隠れしているわ」
扇で口元を隠しつつ王女が視線だけで示したそちらを見やると、若い騎士の集まりの中に一番の学友と言えるツェーザル=バルツァーが存在した。言われてみれば目が合うような気がするが……ただ単に『何故お前がここにいるんだ、遠征軍に加わってもいないくせに』と訝し気な視線を投げ掛けているようにしか見えない。私の僻み根性がそのように穿った見方をさせているだけかもしれないが。真っすぐな気質のツェーザルに限って、そのような卑屈な感情を向けるなどある筈がないだろうから。
「彼とは友人ですから、そりゃあ私に気付けば見るくらいはするでしょう」
素っ気なく言い放つと、ナディア様が私の意見を無視した上で、マルティナ様の台詞に加勢するように弾んだ声を上げた。
「確かに……!あれは恋する瞳ね……!!」
「でも暫くは離れ離れね……そしてその別離が、より彼の想いを燃え上がらせるのだわ」
「そうね……そして再会した時、二人は……きゃあ!駄目、オティーリエは私達のものだから、彼には渡せないわ!」
盛り上がる王女達に私は溜息を吐いた。高貴な姫君達は軽々しく男性と恋愛など出来る立場ではない―――勢い、こういう妄想話に華を咲かせたり、恋愛小説の主人公に感情移入したりする事でそう言った衝動を発散させる事が多くなるらしい。そう言った物に興味を持てない私には、長年こうして聞き慣なれてはいるものの……どうにも入り込めない世界だといつも辟易気味に眺めてしまう。
「元よりツェーザル……バルツァーもそんなつもりはありません。友人ですが男同士の付き合いと変わりませんよ」
「でも貴女は女性だわ」
「それにあの騎士は男性―――恋の生まれる土壌はあるでしょう?」
「はぁ……恋とか愛とか私にも奴にもトンと理解出来ない分野でしょう。バルツァーは侯爵家の嫡男ですから当然既に婚約者が存在しますし、私もコリント家の家督を継ぐ立場ですからいずれ然るべき相手と婚姻します。土壌なぞありゃしません」
思わずぶっきらぼうな物言いになってしまう。見る者がいれば不敬極まりない態度だが、一段高い手摺に囲まれた控え席は周囲に人気が無く、小さい頃からの付き合いの王女達も気にしないので咎めようともしない。まずいな、私こそ増長気味なのかもしれない。もう遊び相手として付き合っていた子供では無いのだから……これから近衛に配属になったらこういう態度は控えなければ。
「ふふ、オティーリエって」
謎めいた微笑みを浮かべたマルティナ様の表情に、ドキリとする。いつの間にこのような艶やかな顔をされるようになったのだろうか。年下の彼女が……何故だかその一瞬ひどく年上の女性であるかのような錯覚を覚えた。
「しっかりしているのに、変な所だけ初心なのね。条件で気持ちが止まるなら、誰も恋に悩みはしないわ」
一瞬彼女の意味ありげな瞳の奥に吸い込まれそうな気がした。けれども私は頭を振ってその麻薬のような魅力を振り払う。全く―――マルティナ様は日々、妖艶と称されるくらい魅惑的な王妃様に似て来ていらっしゃる。最近は度々その雰囲気にのまれそうになる事があり、戸惑ってしまう事が多くなっている。私は少々口籠りつつ、口を開いた。
「……恋などにうつつを抜かしても、何の得にもなりませんので。つまらない朴念仁とでも思って下されば結構です」
何とかそう返答すると、それ以上殿下は言葉を繋ごうとはせず、煙に巻くようにフフフと笑ってお躱しになられる。
先手を取られたような気分になって、八つ当たりのように「ナディア様、あまりバルツァー達をジロジロ見ないで下さい。『好奇心は身を亡ぼす。目を逸らす事も肝要』と言いますよね。……王妃様にまた叱られますよ」と窘める。すると少女を脱皮しかけている時期の悪戯好きのナディア王女は、ピクリと固まった。
まだまだこちらはお子ちゃまのようだ。―――内心その様子に私はホッと胸を撫でおろしたのだった。




