第7章:唐沢山の天狗
元亀五年(1574年)一月。
関東平野の北端に聳える唐沢山城は、身を切るような乾いた上州の空っ風に包まれていた。
本丸の奥、薄暗い一室に敷かれた床の上に、佐野太膳大夫昌綱は横たわっていた。
かつて「唐沢山の天狗」と恐れられ、あの越後の龍・上杉謙信が数度にわたって大軍を差し向け、小田原の北条が数万で囲もうとも、ついに力ずくでは落とせなかった不屈の名将。
その昌綱も、いまや病魔という目に見えぬ敵に五体を蝕まれ、途切れがちな呼吸を荒くしていた。
「……殿、御気分はいかがでございますか」
枕元に控える重臣の問いかけに、昌綱はこけて落ち窪んだ眼窩の奥から、なおも衰えぬ鋭い光を放って応えた。
その視線は、部屋の天井を通り抜け、遥か雪深き越後の山並みや、南に広がる北条の巨大な版図を見すえているかのようであった。
昌綱の四十六年の生涯は、まさに一本の細い蜘蛛の糸を渡るような綱渡りであった。
上杉、武田、北条。周囲を囲むのは、歴史に名を残す規格外の化け物ばかり。
その巨大な濁流のなかで、佐野というわずか数万石の小領主が生き残る道は、ただ一つしかなかった。
――降っては、背く。
世間の平穏な者たちは、昌綱を「表裏の甚だしい男」「義理を欠いた不義理者」と謗り、嘲笑った。
謙信に攻められれば涙を流して降伏し、上杉の軍が三国峠の向こうへ引き揚げれば、またたく間に小田原と結んで牙を剥く。それを何度も、平然と繰り返した。
だが、昌綱に言わせれば、それこそが「佐野の誠」であった。
大国が見栄で飾る「義」の付き合いなど知ったことか。
己の矜持や面目のために無謀な戦を挑んで玉砕するなど、領民を預かる領主としては最悪の愚挙、無責任の極みである。
降伏の泥水をどれほど舐めようとも、この唐沢山の城を守り、佐野の地を、民を、職人の技術を、血脈を絶やさぬこと――それだけが、昌綱の生きる唯一の大義であった。
激痛が走り、昌綱の喉から乾いた喘鳴が漏れる。
その脳裏に、かつて城壁を埋め尽くした上杉軍の総攻撃の光景が、鮮烈に蘇った。幾度絶体絶命の窮地に陥ろうとも、この山の険しさと、地元の泥を喰って育った兵たちの執念、そして天明の鉄が、龍の鋭い爪を跳ね返し続けたのだ。
「謙信も……氏康も……ついにこの城の、俺の枕元までは、一歩も来られなんだな……」
昌綱の唇が、かすかに歪んだ。
自嘲のようでありながら、底知れぬ自負を孕んだ笑みであった。天下の巨頭たちと互角に渡り合い、騙し合い、生き抜いたという、一介の国人領主が到達した究極の誇りが、そこにはあった。
「……宗綱」
絞り出すような声で、昌綱は枕元に座る嫡男の名を呼んだ。
かすむ目で息子の宗綱を見つめ、昌綱は震える手で一本の巻物を手渡した。
それは、あの春日岡の古墳から出土した「古代の銀板」を包んだ、佐野家極秘の遺言状であった。
「宗綱……表向きは、この唐沢山の堅城に籠もれ。だが、裏では房綱と共に、春日岡に平城を築き続けろ。いずれ……日ノ本を完全に一統する、真の覇者が現れたとき、この銀板が……佐野の家を救う光となる……」
宗綱は両手で巻物を受け取り、最後に記された日付に目を落とした。
そこには、峻烈な筆致でこう記されていた。
――『元亀五年一月二十八日 佐野修理大夫昌綱(花押)』
宗綱は怪訝そうに顔を上げ、父に尋ねた。
「父上……京都の朝廷では、織田信長殿の意向により、すでに『天正』へと改元されたと聞き及んでおりますが……」
その言葉を聞いた瞬間、昌綱は激しく血を吐きながらも、この世で最も不敵な笑みを浮かべた。
「ふん……信長が始めた『天正(天の下が正しい)』などという傲慢な元号、俺は認めん。我が佐野家は、北条にも、上杉にも……そして尾張の信長にも従わぬ。
我らは、この唐沢山と、春日岡の地勢と共に生きるのだ。公式には存在せぬこの『元亀五年』という幻の日付こそ、佐野が誰の支配にも下っていない、独立の証拠よ……!」
公式には存在しない、幻の年号。それを敢えて遺言に刻みつけたことこそ、「唐沢山の天狗」と呼ばれた男の、世界に対する最後の反逆であり、凄まじい意地であった。
「宗綱、房綱……これからは、さらに寄る辺なき、恐るべき世となる。綺麗狂いの名に惑わされるな。無駄な意地に命を捨てるな。佐野の名がこの大地に残るならば……どのような泥水をも、泥の乾きをも、啜ってみせよ……」
それが、乱世を翻弄し続けた稀代の知将が遺した、最後の言葉となった。
元亀五年(天正二年)一月二十八日。
佐野昌綱、波乱に満ちた四十六年の生涯を閉じる。
激しい風が、唐沢山の木々を鳴らし、春日岡の泥を乾かしながら、まだ見ぬ次の時代へと吹き抜けていった。




