第13章:時を超えた共鳴
慶長七年(1602年)、初秋。
関ヶ原の激震から二年。天下の鳴動は静まり、時代は急速に「徳川」という巨大な安定の器に収まろうとしていた。
そんな折、下野国佐野の地に、江戸の幕府から一通の非情なる命令が届く。
――唐沢山城を廃城とし、速やかに山を降りて「春日岡」へ移るべし。
「江戸に大火あらば、その煙が唐沢山から見える」という、家康公の山城に対する恐怖ゆえの命、と表向きは言われていた。
佐野の家中が「先祖伝来の要害を捨てるのか!」と蜂の巣をつついたような騒ぎになる中、山麓の密かな隠居所の一室で、一人の老人が静かに庭の薄を眺めていた。
佐野房綱。戦国末期の天下を騙し、泳ぎ抜いた稀代の知恵者がそこにいた。
障子も開けず、影のように室内に滑り込んできた黒衣の僧がいた。白髪の眉は長く垂れ、その双眸は漆黒の闇のように深い。天海大僧正であった。
「……遅かったな、天海」
「騒がしいな、房綱殿」
房綱は振り返りもせず、低く笑った。
「この騒ぎの原因を作ったのは……唐沢山を廃せと家康様に言わせたのは、この私だがな」
天海の不敵な言葉に、房綱は初めて視線を上げ、白髭に覆われた口元を歪めた。
「やはりお主の仕業か。家康公の目をあの大炊井戸の天険から逸らし、春日岡へ向けさせたのは」
「ふっ、四十年。あなた方はよくぞ私との約束を守り、春日岡の古墳の土中に城の基礎を築き続けた。これでお主たちの仕掛けた『大嘘』は、真実となる」
房綱は震える手で懐から、あの古代の「銀板」を取り出し、愛おしそうに指でなぞった。
史実、あるいは後世の『佐野記』には、佐野家は家康の命を受けて「慶長七年に慌てて佐野城(春日岡城)を築いた」と記されることになるだろう。
だが、それは徳川幕府の目を欺くための、佐野家最後の壮大な目くらましに過ぎなかった。
鉄砲の時代を見据え、平野の十字路を制する者が生き残ると見抜いた天海の予言。それを信じた昌綱、そして宝衍こと房綱が、何十年もかけて極秘裏に惣宗寺を移し、春日岡の古墳群を削り、石垣を埋め、密かに「最新鋭の平城」の牙を研ぎ続けてきたのだ。
幕府の命令は、その完成した城へ公然と移るための「最高の口実」であった。
「これで、山に籠もる戦国は終わる」
天海は立ち上がり、静かに西の空を仰いだ。
「佐野の『春日岡』はこれより始まる。古墳の王たちの霊気と、この銀の不滅の輝きが、これからの泰平の世で佐野の街を豊かに潤すであろう。房綱殿、見事な生き残りであった」
「ふん、喰えぬ坊主め……」
房綱の目から、一筋の熱い涙が溢れ、銀板の幾何学模様を濡らした。
それは兄・昌綱、非業の死を遂げた甥・宗綱、そして泥に塗れて佐野の血脈を繋いできた一族の、すべての執念が報われた瞬間であった。
翌日。秋晴れの抜けるような青空の下、唐沢山城の重厚な城門が開き、佐野家の軍勢と領民の大行列が山を下り始めた。
先頭を行く若き当主・信吉の背後、老いた房綱は馬上に揺られながら、行く手に聳える「春日岡城(佐野城)」の雄姿を見つめていた。
突貫工事のはずのその城は、すでに一国を治めるに足る、完璧な石垣と見事な縄張りを平野に誇示していた。
領民たちは「神仏の加護による奇跡の超突貫築城だ」と口々に噂し、歓喜に湧き立っている。
行列が春日岡の城門をくぐるとき、一陣の激しい風が吹き抜け、城下に広がる新しき天明の街並みを、白銀の波のように揺らした。
東国の巨大な十字路に、新しき「佐野の城下町」の産声が響き渡っていく。
歴史の闇にすべての謀略を隠したまま、佐野家は美しく、次の泰平の時代へと足を踏み入れた。
房綱は、あの不思議な銀の板を、佐野の街の守り神として春日岡の社の奥深くにそっと埋めた。
(いつか、星の動きを読み、数字を自在に操る者がこの地を訪れた時……私の想いは、伝わるだろうか)
エピローグ:歴史の足跡
後世、この春日岡城(佐野城)は、歴史の教科書において「徳川の命により慌てて急ごしらえで作られた、未完成の悲劇の城」だろうと長年思われていた。
しかし、近年の発掘調査によって、その認識は一変することとなる。
地中から現れたのは、岩盤を徹底的に削り込んだ峻烈な切岸、平城とは思えぬ巨大な大堀、そして本丸に整然と巡らされた極めて強固な石垣と瓦葺きの壮麗な御殿の跡であった。
それは、当時の最新技術がこれでもかと詰め込まれた、あまりにも完成度の高い、屈強な「実戦型平城」の姿であった。
慶長十九年(1614年)、佐野家は幕府の連座に巻き込まれ、わずか十数年で改易となり、この城も廃城へと追い込まれる。
ゆえに、歴史の表舞台でその「圧倒的な屈強さ」を証明する戦いを経験することは、ついに一度もなかった。
佐野一族が命がけで守り抜いた血脈と歴史は、時代を超えて形を変え、今もなおこの地に息づいている。
かつて春日岡の地から、天海の助言によって現在の場所へと移された惣宗寺の歩みもまた、激動の時代を生き抜いた証しにほかならない。
いまや「佐野厄除け大師」として親しまれ、今日も多くの参拝者で賑わうその境内。
絶えぬ活気と人々の笑顔の根底には、かつて乱世の嵐の中で知恵を絞り、一族と郷土の未来を繋ごうとした男たちの執念が、今も確かに流れている。
(『天明の火、唐沢の風』――完)




