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51話

自分のことを言われているのかどうかさえ分からず、呆然と立ち竦んでしまう。

青灰色の目が凍てつくような冷たさで私を見ていた。

冷たい、冷たいガラス玉の視線だ。


「害がないようなら、いいけれど」


私が言葉に出来ずにいると、興味を失ったように瞳から私を排除してしまう。

それが酷くもどかしく、焦って何かを言おうとして手に持っていた絵本をバサリと落としてしまった。


「あっ」


私が拾い上げるより早く、小さな夏目さんがその普段より格段に小さな手で拾い上げる。

病的なまでに白い肌。この薄暗いなかでぼんやりと浮かび上がるようだった。

伏せたまつ毛が繊細に揺れている。


「貴女に実態はないのに不思議だね、これは実態があるみたい」 


視線は手元の本に落としながら、囁くみたいに夏目さんは言った。

下手なりに彼のために書いた絵本なのだ。

本人のはずだけど、このちっちゃな夏目さんは私の知っている夏目さんとは違う。

ううん、同じだけれど、小さな夏目さんは私のことを知らないから、なんだかもどかしくなってしまう。

冷たい冷たいガラス玉の視線で射抜かれてどうしたら良いのか分からない。

きっと、私の知る夏目さんなら、どんなに下手な出来栄えでもゆったり笑んでくれるんだと思う。だけど、ちっちゃな夏目さんを見たら、こんな暗居場に一人でいた彼を見たら、一気に恥ずかしくなってしまった。

あの老人の言葉、閉じ込められている夏目さん。

彼の今までの言葉。

全部全部。きっと想像できないくらいの孤独が想像できてしまった。



ぱらり、ぱらりと絵本を捲る手。

小さな指先が少しカサついていて、なんだかとても辛くなった。

じっくりと全部、私の絵本を読んでぱたりと閉じた。

じっと何も言わずに俯いているその横顔に、なんて言えば良いんだろうかと逡巡してしまう。

どうしよう。

表情が見えなくて、すごく不安だった。


「よくわからない」


小さな声が、空気を震わす。

音も無く唇が震えた。

ぎゅっと目を閉じた。

ひやり、と心が冷える。

夏目さんに届けたかったお話だった。

稚拙なストーリー。

ただ、大丈夫だよって、寂しくないよ私がいるよって、ちっちゃく囁いたみたいなお話だった。


でもだめ。私じゃ、届けられないか。


「よくわからないけど、すごくあったかいんだ」


迷子の子みたいな心許ない声が囁く。

そっと目を開くと、絵本の背表紙を撫でる小さな手。


「どうしてだろう、他の本とは全然違うんだね」


そう言ってちっちゃな夏目さんは私が書いた絵本を見つめている。

私はその姿を見て、どうにも歯がゆい気持ちになった。

辛いとか、愛おしいとか、嬉しいとか、いろんな感情が混ぜこぜになった。


あの夢の美しい世界で彼はたったひとりっきりだった。

沢山の本。

パラパラと風もないのにページが開く。

絵本のように飛び出す本中の世界。

見たこともない花。

木でできた靴。

振子時計。


あの夢とこの場所は同じだ。

きっと彼には私が見ているようには見えていない。

世界も彼も何もかも美しいのに、彼はとても孤独だ。


ねえ、それね、私が書いたの。

あなたに書いたの。

主人公のネズミのポティはね、あのね、君だよ。

ポティに話しかける野ネズミはわたしだよ。


そう言いたいのに、喉に何かが詰まったみたいに言葉が出てこなかった。

ぼんやりと絵本を見つめているちっちゃな夏目さん。

なんだか、愛おしくて仕方なかった。


「それ。きみにあげる。きみのだよ」


勇気を出して近づいて、喉を震わせてやっとそう言った。

青灰色の瞳が、“私”という存在をちゃんと捉えた。

私が、その中にちゃんといてほっとした。

きっと今の私たち、互いが、嘘みたいな存在だ。

夢なのか現実なのかもわからない。

だけど今その青灰色の中に私がいるなら、いいや。

緊張とか張り詰めたものが解けて、私は笑った。

泣き笑いみたいなアホみたいな顔になったと思う。


ちっちゃな夏目さんが溢れそうなぐらい目を見開く。

ゆらゆらと瞳が揺らいだ。

長い前髪がもったいないな。

ずっとずっと綺麗なんだね。

ガラス玉みたいだけど、時々冷たく見えるけど、ちゃんと感情がこもると暖かく私を閉じ込める。

大好きな色。

無意識に、手が伸びた。

長い前髪を指でそっと払っうと、びくりと固まった。


「僕に触れるの?」


「駄目、だった?」


あまりの驚きように手を空中で彷徨わせたまま尋ねると、今までの様子が嘘みたいに、ちっちゃな夏目さんが目を泳がせた。


「だ、だめじゃないけど、そんな人、今まで、いない」


縋るみたいに、絵本を両手に抱えて俯いている。

肌が白いせいで、顔がすごく赤いのが分かる。


え、なにそれ。

萌え。

どうしよう、何かに目覚めそうなくらい可愛い。


「え、めっちゃ触りたい」


だって、めっちゃ可愛い。


「え」


真っ赤になり、私を困惑の瞳で見つめくる。

なにそれ、レアすぎて可愛い。

先ほどの緊張感は何処へやら、私の頭の中は”ちっちゃい夏目さん可愛い”で埋め尽くされてしまった。

にじりにじりと近寄ると、にじりにじりと後退される。

なぜ逃げる。

にじりにじりと下がり過ぎたのか、ピアノに背中が当たった夏目さんがバランスを崩し片手で体を支えようとして、鍵盤に手を付いた。

だだーんと鍵盤が鳴る。

ちっちゃい夏目さんが、あ、やっべという顔をした。

そして、私を見る。

体制を整えて、それ以上近づいてはならぬとでもいうように片手を私に突き出す。


「せ、青磁がくるから」


なに、そのシステム、知らない。

それより、撫でさせて欲しい。

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