第二話 頭
話題を変える意味でも、オレは彼女から顔を逸らし視線を外に向けた。
「うんとね、馬鹿騒ぎしたいんだって。他にキャンプしている人がいないからって、やりたい放題。音楽かけまくりで、本当に迷惑だよね」
「はあ」
耳を澄ませば人の喋り声にくわえて、彼女のいうように騒音としかいえないガチャガチャした音楽が流れている。
「とくにリーダーが嫌なことがあったから、その気分を吹き飛ばしたいからって、いい迷惑だよね」
「嫌なことって?」
そうオレが問いかけると女性は顔をしかめて教えてくれた。
「ネットで遊んでいたら変なサイトにアクセスしてしまったらしくて……それがすごく不気味で気持ち悪いから忘れたいって……」
「変なサイト?」
オカルトめいた話はどうも性分で、つい首を突っ込んでしまう。
「うん、私も面白がって見てしまったんだけど、これが本当に気持ち悪くて……サイトの名前も……どうもこの山に関連があるとかで、副長も乗り気で」
そこまで彼女が言いかけた途端、オレの携帯電話が鳴った。おかしい、音はミュートにしていたはずだが。
「すまない」と彼女に頭を下げてソファーから立ち上がると、部屋の外に出てスマホを取り出した。画面にはコウという名前が表示されている。オレの住んでいた山での知り合いだ。
一体、何の用事なのだろうか。
「もしもし」
電話に出たが相手は沈黙している。急に電話をかけてきたくせに、どういうつもりなのだろうか。そもそも日常生活を送っているときに山の知り合いとは連絡を取りたくない。どうせろくな用事じゃないのは目に見えているからだ。
「おい、嫌がらせはやめろ。何のつもりだ。……おい、コウ?」
電話の奥から途切れ途切れに息切れしているような不快な音が聞こえてくる。
「そ……と……」
「は? 聞こえない。はっきり口にしろ」
「はや……ま……で……」
「いや、だから、なんだと」
「おまえが死ね」
プツと電話が切れた。
困惑したオレはスマホの無機質な画面を眺めた。一体、何だったのだ。そもそもコウの声ではなかった。誰からの電話だったのだろうか。
生まれが生まれなだけに、こうした怪奇現象に慣れきっている自分にげんなりした。
こちらから電話をかけなおそうとしたときドンドンドン、と窓から人が叩く音が聞こえた。ふ、とそこに顔を向けると――
そこに、いるはずのない人物がいた。
「猪生……」
義忠。卵の呪いにより多くの死者を出した一連の惨劇の中心人物だ。あの事件以来、行方不明になっている少年だ。秋久の力をもってしてでも彼の行方はつかめなかった。だから死体が出ていないだけで、死んでいるのだろうとオレは考えていた。
どこか幼さを残したやつの顔は真っ青で生気が感じられない。責め立てるような双眸でオレを睨み付けている。
「おい!」
呼びかけた途端、彼はすっとオレの前からいなくなった。
どこに行くつもりだ。追いかけた方がいいのか。
迷っていると、オレは粘りつくような違和感を覚えた。
「なんだ?」
――気付いてしまった。
あんなに騒がしかったのに、いまや辺りは静まり返っている。
外から鳴り響いていた音楽がまったく聞こえない。
一体いつからだ。
先ほど会話していた女性はこのことに気づいているのか。
慌てて元の部屋に戻ったオレは女性の姿を捜すがどこにもいない。
外の様子も見に行ったほうがいいだろう。
オレは玄関まで走る。しかし外につながる扉を目にしたとき、言葉を失った。
そこには血にまみれた女性が扉にへばりつくようにして倒れていた。右腕が千切れかけている。一体何があったのか。体勢をみるに扉から外に逃げ出そうとして背中から獣か何かに襲われてしまったようだ。
頭はおそろしく冷えている。
非現実離れした光景を目にしても震えすら起きなかった。
山にいたときに、こういった不気味な血に塗れた人間の幻覚をよく見た。あの山は異界と繋がっているようなものだ。オレのように鬼もどきの血の濃いものにとっては怪奇現象など日常茶飯事だった。
ただ、この女性にとってはそうではなかったのだろう。
外に出るために女性の体をどかせば、恐怖にゆがんだ彼女の表情が目に入った。頬を引き攣らせ、口をこれ以上となく開けて、白目を見せている。
オレは彼女の瞼をゆっくりと瞑らせる。そうしてゆっくりと彼女の体をこれ以上傷つけることのないよう、寝かせてやる。
先ほどまで彼女と会話していたのに、いまではこと切れている。
どうしてこんなことになったのか。
名前すら覚えていない彼女だというのに山で過ごした日々が遠く思えるほど、彼女は日常の象徴だった。
ため息をつくことすらできない。とにかく何が起こっているのか確認するしかない。
オレは外に出ようと扉を押して――
額に鈍い衝動が走った。
「え?」
急速に力が抜けてくる体を持て余しながら、その場で膝をつくことすらできず、そのまま倒れこんだ。手足が動かせない。急に自分の身に何が起こったのか。それすらわからず眼球だけ違和感のある額に向ける。
頭に斧が突き刺さっていた。
そのあまりな非現実な光景に笑ってしまいそうになって、小さく唇をゆがめた途端、思考が真っ暗になった。
◆
激しい頭の痛みで目が覚めた。
ゆっくりと身を起こすと冷たい風にさらされて身を震わす。
先ほどまで見ていた悪夢を思い返して笑ってしまった。何とか動く手で額に触れる。傷などどこにもなく、ほっとした。
そもそも頭に斧が突き刺さったのだとしたら、こうして生きてはいないだろう。
ならばどこまで夢で、どこまで現実なのか。
オレは周囲を見渡した。後ろを向くと、そこには血まみれの女性が横になっている。周囲は静まり返っており、どこか異常な様子を見せている。
尋常じゃない事態が起きているのは本当のようだ。
オレはゆっくりと立ち上がり、そして自分の服を見てぎょっとした。
大量の血で汚れている。
ずきりと頭が痛む。何が起こったのかすらわからずオレは額を手で押さえながら、ゆっくりと前に進んだ。バーベキューをやっているのがどこだか知らないが、そんなに遠くではないだろう。
オレの服についているのは返り血か。それならば誰のだ。疑問が途切れることなく湧き上がるが、どれ一つとして答えが用意できない。
やがて焦げたような匂いがして、ふらりとそちらのほうに歩み寄る。
しばらく歩いた先ではバーベキューをしていた痕跡があったが、地面のあちこちに血がまき散らされており、凄惨たる何かが起こったことを伝えてくる。
しかし人は誰もいない。人の気配すら感じられない。
「なんだ……?」
地面に引きずった跡がある。大量の血がまるで誘導するかのように主張している。
オレはズキズキとする頭の痛みをこらえながら、その方向へと歩いていく。
開けた場で不気味で不快なものを見た。
いたずらに子供が血や臓物で遊びつくしたような、それを使って思うが儘に落書きをしたかのように、あちこちに人の肉体の一部が散乱していた。
魔法陣のようにも見えるそれの中央に血で汚れた人の頭がぽつんと置かれている。それがあまりに浮いていておかしくて、思わず近づいてしまう。
非現実な場だというのに頭は痛みとともに冴えわたっていた。
山で過ごしたことに感謝してしまう。こんな状況であっても冷静でいられる。
ああ、あの頭は見覚えがある。
オレはゆっくりと、その頭を持ち上げた。
ああ、これは――
「……オレ?」
目の前にあるのは、まぎれもなくオレ自身の頭だった。
「だがオレは……」
そう呟いた瞬間、オレの頭はさらりと砂のように崩れ落ちる。
なぜ? どうして? そんなことが思い浮かぶと同時に、するりと口から言葉が出てきた。
「……ああ、これはオレの手におえないな」
そう言ったオレはスマホを取り出す。一瞬、警察に電話をしようと考えたが、すぐに考えを変えた。
「もしもし……秋久?」