第一話 惨劇の鼓動
――ああ、どうしてこんな場所に彼がいるのだろう。
オレは陰鬱な気持ちを抱えたまま、目の前で立ち尽くす青年を見上げた。
無残にものが散乱した自室で、開きかけの扉から、今にも吐きそうな表情をしたアイツがオレを見下ろしている。吐き気に似た不快感を堪えるのに必死なのは、こちらだというのに。
理不尽な気持ちに駆られたオレは、唇を歪めながら吐き捨てるように言う。
「オレを殺しに来たのか、慶助」
そう言うと彼はひどく嫌そうな表情をした。
「そう見える時点で、どうかしているぞ、冬彦」
状況にそぐわない、馬鹿正直な感情を表に出した彼の素直さにいっそう吐き気がする。
ああ、呪われたオレの状況とかけ離れて幸せを手にしている彼だった。
そんな彼に粘りつくような嫉妬を感じていたオレは、少しだけ溜飲を下げる。身体の内から侵食するような痛みすら凌駕する清々しさを味わいながら小さく笑った。
その顔が見たかった。もっと見てみたい。
――ああ、そしてそんな彼を頭からがぶりと食べてしまいたい。
薄れゆく意識の中、心底、そう思った。
◆
「はあ、大学に行きたいと。……ずいぶん面白いことを冬彦は言うんですねえ」
吉賀山で一族の長である秋久は、オレの名前を呼びながら、のんびりした口調でそう言った。
室内だというのに厚手の黒羽織を着た秋久は、だがその口調とは裏腹に彼の指は苛々した様子で手の甲をかいている。赤いひっかき傷ができるほど繰り返しているというのに、彼は気づいていないようだ。それだけ彼はオレの言い出したことに不満を持っているのだろう。
ここは秋久の屋敷だ。だだっ広い和室の真ん中に、オレと秋久が座布団の上に座って向かい合っている。いや、オレの場合は座らされているといった表現のほうが正しい。応接室のような狭い部屋もあるというのに、なぜかここに連れてこられたのだ。オレは嫌だといったというのに。
「呪いが緩和されたから少なくとも君は歳をとりはじめている。だから中学や高校に通いたいという君の気持ちもわかったから、ここから通える場所に行かせてあげただろうに。それじゃ不満なんですかねえ」
「不満とかそういう話じゃない。それ自体に不満はない。むしろ感謝こそすらしている。……ただ大学に行きたいだけだ」
「この山を離れて?」
そう面白がるように言う秋久にオレは唇を噛み締めた。
――そうだ。オレはこの山を離れたい。
吉賀山には前鬼と後鬼にまつわる呪いがある。
オレは深い溜め息を漏らしながら呪いについて思い返す。
土着信仰派閥との覇権争いに勝利した仏教徒たちは役小角の逸話を自分たちの栄光の証拠として後生に残した。
だが、そんな嘘を本当のものと信じ込む一派が出てきた。彼らは女を使い、呪いをかけて無理やり前鬼を産み出そうとした。だが結局、産まれたのは鬼か人間かわからない出来損ないばかりだった。だから彼らは不特定多数の人間に呪いをかけて、鬼を産み出そうとしたのだ。鬼を産み出そうとしたものたちは自分の子どもを呪いの種とした。子孫が長く住み居心地を良いと感じた場所を呪いの界域とするようにした。つまり前鬼の子孫が住んだ家は呪いの場所となる。
だからこそ前鬼の子孫と呼ばれるものたちは、吉賀山から出るのは禁忌とされている。
オレもそうだった。とくにオレは祖先の血を色濃く継いだせいか、他にも生きる上で弊害が出ていた。普通の人間ではいられず、身体の成長を止められたまま、緩やかに時間を過ごしていくことしかできなかった。人か鬼かわからない出来損ないとしての肉体をまとう――それがオレの呪いだった。
本物の鬼を産み出せば、それで卵の呪いは終わる。そこで母体を痛めつけることで苦痛を増やし、真の鬼を生み出そうとしていた。そのためには卵の呪いにかかった人間が必要だった。オレも自分の呪いを解呪したいがために、それに付き従っていた。
だが前鬼後鬼を産み出すための呪いは、一人の平凡な少年が全てを変えていった。
オレの呪いが緩和されたのも、その影響だ。
大勢死んだ、あの卵の呪いの一件、オレは関係者の家に厄介になっていたが、しばらくして結局、再び以前に住んでいた山に戻されたのだった。
「……先に言っておきますがね、君は後悔しますよ」
秋久の声にオレは現実に戻される。顎を上げて彼を見つめ直した。
「お前たちの庇護から離れて一人暮らしすることがか? そこは別にいい、むしろ自立したいと……」
「ああ、そっちじゃなくて……」
秋久は手を横にふると、カラカラと笑いながら言葉を続けた。
「人の世界に移り住むことが、ですよ。君は今回、呪いが緩和されたことで、鬼から人になれると信じ込んでいる。実際に身体の成長も取り戻していますしね。緩やかではありますが」
秋久は冷えた刃のような双眸でオレを見据えた。
「ですが、そんなものは不可能だと、思い知ればいい」
「……」
オレは押し黙った。どう言葉を選んでも、オレにはこいつの考えなど何もわからないし、読み取れない。ならば、こいつに構うだけ無駄だ。
「……どうせ、すでに受験には合格しているのでしょう。ならオレが止めても無意味でしょうから」
彼はにこりと微笑んだ。
「好きにしなさい。何かあれば連絡を。……どうせ、すぐに連絡することになるのだろうから、俺の電話番号をアドレス帳から消さないように」
ふうと息を吐き出しながら小さく頷いた。
消しても消さなくても、どうせお前たちからは逃げられない。そんなことはわかっている。だが大学生活という一時の夢を味わいたかっただけだ。
◆
――遠くから泣き声が聞こえる。
ああ、覚えているとも。オレの泣き声だ。昔はよく泣いていた。
「お母さん、どうして僕は怪我をしているのに、すぐ治ってしまうの?」
「お母さん、どうして僕はみんなと同じように大きくなれないの?」
「お母さん、どうして僕はみんなが眠いときに眠たくならないの?」
「お母さん、どうして僕はみんなみたいに風邪を引かないの?」
ああ、やめろ。そんなことを言うな。
どうせ、またぶたれるだけだ。
「ごめんなさい、お母さん、ごめんなさい」
謝っても無駄だ。どうせ相手も泣いて喚いてごまかすだけだ。
そんなに痛みを感じないのだから、泣く意味もないだろう。
叩いてごめんなさい、そんなことするつもりじゃなかったのに。お母さんが悪いのよ。
やめろ、強く抱きしめて母親面するな。
結局、耐えきれなくて、外から来た血筋であるのをいいことに、オレを捨てて山から出ていってしまったくせに。
「お母さん、行かないで。僕を置いていかないで。ひとりにしないで」
ああ、うるさい。そんなふうに叫んだって、もう相手には聞こえない。
オレは山から出られない。
オレは二度と外には行けない。
もう一生、母親には会えない。
どれだけ会いたいと願ったとしても――。
「冬彦くーん、どうしたの? 寝てた? お酒飲み過ぎ?」
からかうような女性の声にオレは瞼を開いた。
どうやら眠ってしまったようだ。
声をかけてくれたのは、大学の同じサークルの知り合いだ。いつも大学では黒髪に黒か茶で統一した地味な格好している女性は、ハロウィンサークルイベントということで、髪も綺麗な茶色に染めていて、細やかな花柄のレースが目立つ、長袖の黒ワンピースを着ている。
名前は忘れてしまった。お世話になっている女性だというのに。山育ちが長かったせいか、オレは人の顔と名前をうまく覚えられない
ああ、華やかで綺麗だ。山でこんな女性は見たことがない。いつも陰鬱に、それでいてどこか落ち着くような色合いが、あの山には飾られていた。そこまで考えて、オレは顔をしかめた。
オレはまだ山に縛られている。ふとしたことで、こうして山であったことと比較する癖がついてしまっていた。
「起こしてごめん。まだ寝たかった? でも、こんな場所で寝ていると風邪引いちゃうよ
「ああ……」
女性の心配そうな声に、そう呻きながら首を横に振った。
ソファから身を起こす。ここはコテージ内の一室だ。人の喧騒に疲れてしまい、コテージに戻って、誰もいない適当な部屋のソファで横になっていたのだ。外は騒がしいから、まだサークルメンバーたちがキャンプをしているのだろう。
いつまでも悪夢の中に浸るわけにはいかない。ここは山の中でも、あの山ではない。今、オレはサークルのイベントでハロウィンに合わせたコテージキャンプに来ていた。山の中と聞いて行く気はなかったのだが、せっかく大学に通っているのだ。イベントを楽しまなければ意味がない。そう思って参加したものの、結局はこのザマだ。
「みんなは……?」
そう問いかけると女性は苦笑しながら答えた。
「外でバーベキューやっているよ。行く?」
「いや、いい。体調悪いからここにいる……おま……君はオレのことなんて気にせずに向こうに戻るといい」
思わず、昔の名残で相手に対して、お前と言いそうになり、慌てて言い換える。その変化に相手は気づかなかったようだ。慌てるオレのことを気にした様子もなく、表情を変えずにオレの顔を覗き込んでくる。
「でも……本当に大丈夫? 顔色悪いんだけど?」
だろうな。先程まで、これ以上とない悪夢を見ていたから。
だが、そんなことを相手に伝えても仕方ない。
女性は心配そうな顔で言葉を続ける。
「やっぱりサークルメンバーだけじゃなくて、同志としてサークルに加わってくれている教授も一緒に連れてくるべきだったかも。実は冬彦くんだけじゃないんだよね、体調壊している子。ちゃんとした大人がいたら安心感も違うでしょ」
「いらないだろう。むしろただのサークルの遊びなのに面倒みてる教授に悪いと思うがな」
「じゃあ、せめて助教とか? ほら、若くてかっこいい例の……。彼もこの民俗学サークルに同志として席を置いてくれているじゃない? ほとんど名前だけであちこち旅行するだけのサークルなのに! 彼もたまについてきてくれるから女の子の参加率も高いんだよね、私はどちらかというと女の子が多いと安心するから」
「そうか……」
本当に表情がころころ変わる女性だ。あの山にこんな明るい子はいなかった。みな、どこか陰を背負わせていた。だからこそ傍でこうして会話するだけで心が自然に緩んでいく。自然体で話をしてくれる人間の、なんと有り難いことか。
「ねえ、冬彦くんもそう思わない? あの助教のおかげでうちのサークルも盛り上がっているって。ほら、彼、すごいかっこいい緑助きょ……」
「もういい、名前を出さないでくれるか」
不機嫌に息を吐き出したオレは彼女の言葉を遮った。
その助教の話はオレにとって都合が悪い。
そいつがいると知っていたら、そもそも今の大学を選ばなかったのに。自分の浅はかさにため息しか出ない。
「もー、嫉妬? 大丈夫、冬彦くんは可愛い系で比較対象にならないから」
「なんの比較だ。そもそも比較をしようと思うほうがどうかしているがな」
これ以上、あいつの話を引っ張りたくない。
「……外、かなり騒がしいな」
話題を変える意味でも、オレは彼女から顔を逸らし視線を外に向けた。




