41.白い空間と謎の電話相手
手のひらを裏返す、尻尾のない尻を見る。黒い髪を掴む、足で歩く。
「人間だ、人間の体だ!!」
俺は手で顔を覆う。
「俺、人間だ……人間なんだ……」
猫の姿は苦痛以外のなにものでもなかった。
あの姿はどんなに己を殺そうとも傷つくばかりで、辛かった。
あれは、夢だったのだ。
ジジジジジジジジジ。
ジジジジジジジジジ。
再び、鳴り響く電話。取らずにそれを見つめ、それから周囲を見渡す。
黒電話以外、何もない。なかった。
電話からどこまでも伸びる電話線が白い空間に立体感があるというのを告げる。
「どこだよ、ここ」
映画で実験場にでもされていそうな部屋にも思えるが、終わりの見えない電話線からそうではないと確信する。
恐怖心から、いろんな方向にひたすら走る。走る。走る。
――辿りつけるのは、黒電話があるその場所だけだった。
ジジジジジジジジジ。
ジジジジジジジジジ。
観念して、受話器を持ち上げる。
「はい」
「もしもしぃー、ミズヘリソラ? おっそいよぅ」
「フルネームで呼ぶな、うざい」
受話器を少し離す。
ぶーぶーと受話器の先の相手は前回と同じように奇声を上げる。
「じゃあ、ソラって呼ぶけどぉ、君に質問でーす。十五億九千九百三十二番目の世界の管理者さんの世界になんで居るの?」
「先にこっちの質問に答えろ、お前は誰だ。なんで、俺のこと知ってんだよ」
「だからぁ、七兆とんで五千三番目の管理者だってば。君のことを知っている理由は、君と言う存在の情報を共有してるからってので、ご満足いただけるぅ?」
理解できない。
「さっぱり、わからない」
「理解力ないなー、もうっ! らちが明かないから、十五億九千九百三十二番目の管理者さんにかわってよっ!」
「ここには俺以外いない」
「いーなーいー!? わぁー、面白くないジョーク。そんなの、ありえないから」
見渡す限り、白い空間が続くだけのこの場所にはこのイカレた電話相手の望むような人物はいない。
「いないものは、いない」
「えー、また他の世界の手伝いでもしてるのかなぁ。じゃあ、君でいいや、もう、めんどくさいから。伝言を伝えてよ」
人が返事もしないうちに、相手は喋り出す。
「エラーは無事に回避成功。サイトウユカ、キヅキトオル、ミズヘリソラの死亡を確認、タツセミキヤは無事生存。はい、以上でよろしく」
サイトウユカ。
キヅキトオル。
ミズヘリソラ――死亡?
生存は、タツセミキヤだけ?
他の三人には聞き覚えがないが、水縁想良なんていう珍しい名前の人物がいるとは思えない。
だがしかし、現にいま自分はここでこうしている。
死んでなんかない。
「待て、なんで、俺が死亡なんだよ!!」
「え、ミズヘリソラは交通事故だけど?」
「あれは、夢だろ、だって、俺はここに……」
相手は重々しく溜息を吐く。呆れているようにも聞こえた。
「君ってば本当になんでそこにぃ、居るのぉ? 思考ごと情報を持って帰ったんだとしても、わけわかんなぁい。十五億九千九百三十二番目の管理者さんってば本当に何してるんだろぉー」
「そんな、死んでなんて、俺は」
「あのさー」と、相手は愚痴混じりに続ける。
「現実逃避やめてくれなぁい? 君は、死んだの。そこになんで居るかは知らないけどぉ、ね」
(そんな、嘘だっ!!)
人間の時の体がここにある。
服だって、あの時来ていたものだが血の跡どころか、雨に濡れた気配すらない。
「まー、死んでも悲しむことないよ。どーせ、零の世界のための確定分岐だもの」
「ぜろのせかい?」
「そっそ、ぼくたちみたいな管理者は零を一にするためにいるけど。君はただの情報体。つまりデータなわけ。死ぬも何も確定してたんだから悲しむなんて必要ないでしょ?」
受話器の声が一気に遠のいた。
水縁想良はデータ?
俺はじゃあ、なんだ?
「おーい」
やたらと明るい声が、死刑宣告に聞こえた。
これから、電波臭漂う話になっていきます。