第8話:悪魔の食卓、アドラー家の黄昏
ゼパルは琥珀色の瞳を細め、喉の奥でくつくつと愉しげな笑いを漏らした。
目の前で「愛しい娘」を演じながら、その実、脳内で金貨の音を鳴らしている公爵。
その醜悪な精神の動きは、悪魔にとっては何よりも退屈で、かつ救いようのないほど滑稽な余興だった。
「お前たちがリリアーナから搾取してきたものは、単なる彼女の労働や美貌だけだと思っているのか?」
ゼパルの声が低く響くと、屋根裏部屋の影が生き物のように蠢き、公爵とヘンリックの足元に絡みついた。
「お前たちがこの不潔な屋敷で、病も知らず、老いも緩やかに、贅沢を享受できていた理由を教えてやろう」
ゼパルはリリアーナの細い腰を抱き寄せ、その銀髪に深く顔を埋めた。
「彼女はこの五年間、アリステアという男の猛毒を浄化する傍らで、その余波として溢れる清浄な魔力を、この屋敷の隅々にまで流し続けていたのだよ」
公爵の顔から血の気が引いていく。
「何を……馬鹿な……。リリアーナにそのような力が……」
「無知とは罪だな。彼女はお前たちのために、自らの命を削って『浄化の結界』を張り続けていた。お前たちが彼女をゴミのように扱っている間も、彼女の無意識の愛が、この腐りかけた家門を繋ぎ止めていたのだ」
ゼパルが指先を軽く鳴らす。
その瞬間、透明なガラスが砕けるような、鋭い音が響き渡った。
「だが、もう必要ないだろう? お前たちは彼女を捨てた。ならば、彼女が与えてきた恩恵もすべて返してもらわねばな」
異変は一瞬だった。
白く輝いていたはずの壁紙が、みるみるうちにどす黒く変色し、カビと煤が浮き上がってくる。
豪華な装飾が施された天井の梁は、一気に数十年分の歳月を食らったかのように腐り落ち、埃が雪のように降り積もった。
「あ、あああああっ!? 私の顔が、手が!!」
ヘンリックが悲鳴を上げた。
折れた手首を抱える彼の肌は、瑞々しさを失い、瞬く間に老婆のような深い皺に覆われていく。
公爵もまた、豊かなはずの髪が音もなく抜け落ち、自慢の体躯は見る影もなく萎んでいった。
リリアーナの魔力が消えたことで、彼女が堰き止めていた「時間の毒」と「腐敗」が、濁流となって一族を飲み込み始めたのだ。
「ゼパル様、なんだか急に、この場所がさらに薄暗く、汚くなってしまいましたわ」
リリアーナは、周囲の崩壊を、まるで他人の家の火事でも眺めるような無機質な視線で見つめていた。
彼女にとっては、この屋敷がどれほど腐り果てようとも、自分の心には何の痛みも走らない。
なぜなら、彼女を守っていた「愛」の記憶は、すでに悪魔の胃袋の中で消化されてしまったのだから。
「そうだな。ここはもう、お前のような美しい花が咲く場所ではない」
ゼパルは公爵たちの絶叫を、最高級の音楽でも聴くかのように聞き惚れながら、リリアーナに甘い接吻を贈った。
アドラー公爵邸は、一晩にして幽霊屋敷のような惨状へと変わり果て、そこに住まう者たちは、自分たちが誰の犠牲の上に立っていたのかを、その崩れゆく肉体で思い知ることになった。










