第5話:銀髪の魔女の目覚め
屋根裏部屋の腐りかけた木の扉が、乱暴な蹴撃によって悲鳴を上げた。
朝日とともに室内へ踏み込んできたのは、リリアーナの兄、ヘンリック・フォン・アドラーだった。
彼は不機嫌そうに鼻を鳴らし、埃っぽい空気を手で払う。
「おい、いつまで寝ている。無能ななりに掃除くらいは……」
ヘンリックの言葉が、喉の奥で凍りついた。
窓のないはずの部屋に、信じられないほどの輝きが満ちていたからだ。
埃まみれのベッドの傍らに立っていたのは、泥にまみれた敗残の妹ではなかった。
月の光をそのまま紡いだような、透き通る銀髪。
内側から発光するような、汚れ一つない真珠の肌。
かつて毒に蝕まれて土気色を呈していたはずの女は、今や神々しいまでの美しさを纏い、静かにそこに佇んでいた。
ヘンリックは呆然と立ち尽くし、その変貌に息を呑む。
「……リリアーナ、なのか? その姿は一体どうした」
驚愕と、わずかな欲情、そして得体の知れない恐怖が入り混じった声で彼は問いかけた。
だが、その問いに対する答えは、彼の予想を遥か斜め上へと飛び越えていった。
リリアーナは、わずかに小首を傾げた。
その紫水晶の瞳には、かつて向けられていた怯えも、憎しみも、媚びるような情愛も、何一つ宿っていない。
ただ、見知らぬ道端の石ころを眺めるような、透徹した無関心があるだけだった。
「失礼ですが、どなた様でしょうか。私の部屋に無断で入るなんて、随分と不作法な方ですね」
ヘンリックの顔が、怒りと当惑で赤黒く染まった。
「何をふざけたことを言っている! 兄の顔を忘れたというのか。その不遜な態度は何だ、誰に向かって口を……」
逆上した彼が、リリアーナの細い肩を掴もうと、乱暴に手を伸ばしたその瞬間だった。
リリアーナの周囲の空気が、キィィィンと耳鳴りのような音を立てて凍りついた。
彼女が意識的に魔法を放ったわけではない。
ただ、不快な存在が近づくことを、彼女の中に宿った膨大な魔力が「拒絶」したのだ。
目に見えない衝撃波がヘンリックの胸元を直撃し、彼の巨体は木の葉のように吹き飛んだ。
背中から廊下の壁に激突したヘンリックは、肺の中の空気をすべて吐き出し、無様に床を転がった。
リリアーナは、倒れ伏す男に一歩も近づくことなく、冷ややかにその光景を眺めている。
「ゼパル様、この方はどなた? 何か、腐った果実のような、ひどく嫌な匂いがしますわ」
彼女の背後の闇から、琥珀色の瞳を愉しげに細めたゼパルが姿を現す。
「いい子だ、リリアーナ。お前を不快にさせるものは、すべてゴミと同じだ」
ゼパルは彼女の銀の髪を愛おしそうに撫で、廊下で悶絶するヘンリックを、ゴミを掃除する庭師のような視線で見下ろした。
リリアーナの中にあった「家族」という鎖が、今、完全に断ち切られた。
記憶を失った彼女にとって、この屋敷に住む者たちは、ただの不愉快な侵入者に過ぎなかったのだ。
リリアーナ・フォン・アドラーとしての過去は死に、銀髪の魔女としての第一歩が、この屋根裏部屋から始まった。










