第18話:罪の重力と騎士団の消滅
魔界の境界線を越えた瞬間、騎士たちの耳からあらゆる音が消え去った。
風の鳴る音も、軍靴が地面を叩く音も、隣を歩く仲間の息遣いさえも。
代わりに聞こえてきたのは、自らの心臓が脈打つ、不快なほどに大きな音だけだった。
アリステアに率いられた王室騎士団は、ゼパルが仕掛けた「罪の回廊」へと足を踏み入れたことに、まだ気づいていなかった。
周囲に立ち込める霧は、次第に粘り気を帯び、黒い影となって足元に絡みつく。
それは魔物でもなければ、物理的な罠でもない。
侵入者たちがこれまでの人生で積み重ねてきた「罪悪感」が具現化した、精神の重力だった。
「……リ、リリアーナ様?」
先頭を歩いていた一人の騎士が、虚空を見つめて足を止めた。
彼の目には、かつて王宮の片隅で、毒に侵され震えていたリリアーナの姿が映っていた。
彼はあの時、彼女の助けを求める視線を無視し、「不気味な女だ」と吐き捨てて通り過ぎた。
その記憶が影となり、彼の背後から首元に冷たい指をかける。
「違う、私はただ、殿下の命令に従っただけで……!」
弁明は誰にも届かない。
影は、彼自身の声で囁きかける。
──お前は知っていたはずだ。彼女の犠牲を。お前はそれを笑い、彼女が死ぬのを待っていた。
騎士は絶叫しようとしたが、その喉を自らの影が深く切り裂いた。
音もなく、彼はどす黒い霧の中へと消えていく。
一人、また一人と、精鋭と呼ばれた騎士たちが崩れ落ちていく。
ある者は、リリアーナの食事をわざと地面にぶちまけた過去に。
ある者は、彼女を「動く死体」と揶揄して酒の肴にした夜の記憶に。
彼らを殺したのはゼパルではなく、彼ら自身の卑劣な沈黙と加害の記憶だった。
「どうした! なぜ止まる! 聖女を、リリアーナを救い出すのだ!」
最後尾で叫ぶアリステアだけは、その光景に気づいていなかった。
ゼパルの魔力によって「強制的に正気と生命力を維持させられている」彼は、部下たちが次々と闇に飲み込まれていく理由すら理解できない。
彼の視界には、ただ奥へと続く不気味な回廊と、その先に待つはずの「自分を癒やす道具」しか見えていなかった。
「殿下……お助け、ください……」
最期に残った副団長が、血を吐きながらアリステアの足元にすがりつく。
だが、アリステアはその手を無情に振り払った。
「無能な者から脱落していくのは当然だ。私は太陽の王子だぞ。私を一人にするな、進め!」
アリステアが歩みを進めるたびに、騎士団の命の灯は完全に消え失せた。
やがて、重厚な扉が目の前に現れる。
かつての仲間を一人残らず見捨て、血と泥にまみれたアリステアは、狂気に満ちた喜びを浮かべてその扉を押し開いた。
彼は、自分がゼパルの用意した「舞台」へ、唯一の観客として招き入れられたことに気づいていなかった。
扉の向こう側、玉座の間で彼を待っているのは、救済ではなく、永遠の断絶という名の処刑であった。










