呪文学
事件は、その日の呪文学の授業で起きた。
魔法使いにとって、魔法の基本は自身の魔法石と、それに対応する呪文を用いることで発動する仕組みにある。ゆえに、各呪文とその効果を正確に覚えることは、すべての魔法使いにとって必須の心得だった。
「では、ヴィオレッタ。前に出て次の問題に答えてください。 魔人イフリートの討伐に効果的な装備と呪文は何か分かりますか?」
突然の指名に、フローレンスは息を呑んだ。
「え、えっと……」
動揺が隠せず、答えに詰まってしまう。
「ヴィオレッタ、こんな初歩的な問題をお忘れではないですよね?」
教壇からの厳しい声に、教室内がざわついた。
「あら、普段優秀なあなたが答えられないなんて。珍しい。」
教師はため息をつき、代わりに答えた。
「イフリートは炎属性の竜魔です。水属性の呪文や装備が有効となります」
その一言で、教室に気まずい空気が流れ、続いてあちこちから嘲笑と噂が聞こえてきた。
「ヴィオレッタ様、いつもの冴えがありませんわね」
「逃亡生活で授業内容を忘れてしまったのかしら」
「付き添いの青年と遊んでいただけじゃない?」
嫌味混じりの声が、耳に届くほどの距離で囁かれた。
「僕のフィフィを馬鹿にするなんて……なんて無礼な連中だ」
ニグレスが立ち上がりかけ、周囲の生徒たちを睨みつける。
「だめよ、騒ぎを起こしてはいけないわ」
フローレンスは彼の腕を掴んで引き止めた。
「これは私の失態よ。彼らを責めることはできないわ」
闇魔法にまだ不慣れな自分が、こうした問題に答えられなかったのは仕方のないことだった。しかし、クラスメイトたちは事情を知らず、ただの『失態』として受け止める。
それでも、フローレンスは避難の声を甘んじて受け入れた。
「今は無理でも、なんとかして授業の遅れを取り戻さなければ……」
ため息まじりに呟くと、ニグレスは彼女の肩にそっと手を置いた。
再び座り直したニグレスの横で、先生は授業を再開した。
「では、実際に呪文を唱えてみましょう。 呪文は『水鉄砲』です」
先生は説明をしながら、実際に魔法を発動させて見せてくれた。
先生が呪文を唱えると、彼の指先から衝撃音が走り、教室の端に置かれていた花瓶が一瞬で粉砕された。
「これは水属性の呪文ですが、攻撃魔法として闇属性の生徒も使用可能です。ただし、トロルやゴーレムのような木属性には効果が薄いので注意してください」
「火・水・木の三属性はそれぞれに有利不利があります。火は木に強く、木は水に、水は火に強い。そして、闇と光は互いに対立する属性であり、唯一闇が不利とするのが光です。それぞれの属性の関係をよく理解して、正しい呪文を駆使するように。」
先生の説明に、生徒たちは真剣な表情で頷いた。
「では実践に移りましょう。教室の壁に的を並べてあります。 一人ずつ呪文を唱えて、花瓶を破壊してみてください」
いわれて、生徒たちは列に並びだした。フローレンスも釣られて教室の端のほうに陣取る。
「呪文を唱えるときはよく注意してください。間違っても周りの生徒に当たらないように。
とはいっても、この呪文はとても高度で難しいものですから、今回は破裂音がしただけでも上出来でしょう。」
生徒たちは互いに顔を見合わせながら、見様見真似で呪文を唱えだした。しかし誰も呪文を発動させることができない。
「フィフィ、君にはそんな呪文は簡単すぎるんじゃない。」
ニグレスがからかうように笑いかける。
「やめてよ。さっき失敗したばかりなんだから……」
それでも、フローレンスは覚悟を決め、指先に力を込めて呪文を唱えた。
「水鉄砲!」
次の瞬間、彼女の指先から鋭い振動が走り、向かいの花瓶が粉々に砕けた。
教室が一瞬静まり返り、すぐにどよめきに変わる。
「ヴィオレッタ様、どうやって……?」
「一年生には無理だって言われていたのに!」
驚きと賞賛が入り混じる声が教室を包み、生徒たちは一斉にフローレンスを囲んだ。
その輪の中で、フローレンスはようやく小さな逆転に胸をなでおろしていた。




