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12th.レクスの任務

 セフィアに言われて町まで走る。何回も坂道で足が躓きそうになる。セフィアの銃撃の音が戦闘を意味して、何故か僕はその乾いた音に安堵も覚えていた。

「これさえ皆に届ければ、良いんだ」

 僕の任務。それはこの政権に対立する派閥の幹部から流れた情報ルートから漏れたワクチン精製術を得た、新薬ワクチンを前線にいる人々へ届けること。セフィアには仲間にって言ったけど、本当は町の生き残りの市民がいれば、その人たちにも投与する。正規軍が国民を巻き添えにしたこの戦争を、市民の批評の目に晒し、世界中に響かせるため。自国内の戦争とは言え、対外政策も進行している。僕ら側は国内ではゲリラなんだろう。しかし、町を生物兵器の実験に貶めたその事実を公に晒し、貧困に喘ぐ民への救済と安寧を他国に発信すれば、現政権に懸かる火の粉は瞬く間に燃え広がるはず。僕の行動が国の政策の一つだとしても、僕には一人でも多くの命を救うことが、何よりの任務。戦争に民を巻き込んではいけない。同じ国民が対立し、武器を取ることは間違っている。平和はある。その信念とセフィアのような哀しい子供が、この世界からいなくなることを思うと、僕の足は町へ進んだ。そうしなければ危なかった。

「セフィア、大丈夫かな……?」

 背中からは小銃のような持続的銃音が聞こえる。狙撃手なのに、その歪な銃は、どこまで彼女を戦場へと駆り立てるのだろう?

「僕は、僕のことをしないといけないんだ……」

 あんな少女が銃を持ち、戦場に立って、僕を守った。この先は僕一人。逃げるわけには行かない。後で追いつくって言っていたんだ。僕が待っていないといけない。だから急ごう。まだ、相手は戦闘を停止したままだ。このままなら何とか……。

 セフィアの狙撃により兵数を減らし、体制を整えなおし、進退を決めかねていた町の空に、突如轟音が轟き始めた。

「迫撃砲っ!?」

 もう町の入り口まで着たその時、近くの青物屋の壁面が爆発し、看板が振ってきた。攻撃した様子は感じられない。衛生学校でも習ったことを思い出した。

「風向きは、こっち方面か。急がないと」

 迫撃砲は命中率は低い。その代わり、曲射砲とも呼ばれるだけに、射出管の角度である程度の距離を自由に描ける。ただ、砲弾の軽さは風に流され、精度は悪い。戦術としては射出の単位時間が短い。だから数で圧倒する。それこそ、打ち上げる陸の雨だ。近くにいたら危ない。街中を迫撃砲で攻撃するなんて、恐らく航空部隊の援護が到着すれば、それこそ先ほどの空爆の二の舞になるかもしれない。時間がない。僕に出来る戦闘はない。セフィアに渡された銃だって、上手く扱えるか自信なんてない。恐い。足が震えてる。輸送ケースを抱きしめ、僕は走る。

「うわっ!」

 奇怪に風を突っ切る空からの爆撃に、目の前の石敷の通りが砂塵を巻き上げる。負傷はしなかった。でも驚いた勢いで倒れ、両手で身体を庇ったせいでケースが転がる。

「あっ……」

 ここは爆雷の中。あちこちで破壊される音が聞こえてきて、どこからとも無く崩れ落ちた破片が飛んでくる。こんなに痛い雨は経験したことがない。どこにも安全な場所が無いのに、安全な場所を探そうと本能が働く。兵士が興奮状態に陥る意味が分かった。

焦りと苛立ちと恐怖が混合すると、正断が出来ない。逃げるべきか、身を庇うべきか、セフィアに助けを求めるべきか。……最後は無理だ。だからケースを取りに小路地から町の大通りに転がるケースへ駆ける。どこに部隊がいるのか、まるで分からない。町の中で聞こえる銃撃戦も、ただ恐いだけ。流れ弾がどこから出てくるか、迫撃砲がいつ落ちてくるか。心臓が速すぎて痛みを感じさせるくらいに強く血液を送り出してる。

「あ……」

 大通りのケースを拾う為に、角を出た。敵はいない。距離はあるみたいだ。でも、その瞬間、耳の後ろ辺りから背中を、ぞっと怖気が走って、足が立ち竦んだ。兵士が五人、死んでいた。その傍らには成人を迎えていないような、セフィアより少しばかり成熟している若い女が全裸で横たわっていた。兵士の中には、数人が下半身を露出し、脳天を撃ち抜かれている。瞬時に理解できた。歩み寄り、男たちを見る。既に息の根は無い。女の腕をそっと取り、脈を探る。

「……なんてことを、同じ国民なのに……」

 既に虫の息。暴行され、顔は青白く腫れ、微かな体温は消えていく。兵士の遺体の状況に、それが誰の手によるものなのか、すぐに気づいた。そして良く見れば、全裸の女は一人じゃない。口から血液を垂らし死んでいる者。腹部にナイフが刺さっている者。後頭部を撃ち抜かれている者。全て女。全裸で犯された形跡を残し、死んでいた。無残に壁に寄りかかるように血を溢れさせた男もいれば、子供は無造作に顔面から地に沈み、体の一部を欠かれた者は少なくない。気持ち悪さと同時に、悲しみと怒りが湧く。

「どうして……」

 腐敗の進む死体は、徐々に飢えた獣を呼び寄せ、風の中に悪魔を引き寄せる腐乱臭を撒き散らす。レクスは呆然としていた。ショックを拭えないのだろう。ワクチンのケースが、付近で爆発した破片の崩れ落ちる粉塵を浴びている。

「無関係なのに、どうしてこんなことを。子供まで無差別に殺すなんて……」

 それを手がけたであろう兵士を見る。もうその命は無い。脳天、喉元、胸の三箇所を見事に直線に射抜かれている。セフィアはあの時、この女性の犯されている現場に気づき、五発撃った。レクスの抱く感情とはまた別のものを抱いて。

戦場で犯される女性はその後の扱いも酷いものだ。家族に見放され、孤独に死ぬ。守るものなんて無い。戦後の復興期は、誰しもが生き残る為に躍起になるのだから、見捨てることなど茶飯事。知るセフィアだからこそ、平然と兵を殲滅した。立ち直ることは出来る。そう願うからこそ、女性は殺されはしなかった。だが、レクスは処置を諦めた。虫の息とは言え、持ち合わせている医療具はない。セフィアがサクラとの戦闘を繰り広げる場に残していた。任務を優先した結果だ。何も知らないからこその、呆然。

「許せない……許していいはずが無い」

 憤りに握り拳が震える。どれだけ力を入れても、怒りが湧いてくる。でも、僕に何が出来る? セフィアのように僕は人を殺めることは出来ない。人に罪を償わせることも出来ない。出来ること。それは治療だけだ。でも、それじゃ救えない。人を救うことを任務にここにいるはずなのに、僕には救えないんだ……。いつか、セフィアが言っていた。戦争は神の戯画だと。そう、なのかもしれない。神により作られ、守られ、壊される。それが戦争。平等に作ることに失敗した神だからこそ、全ては雌雄があり、数を増やした。でも、人間は欲望を多く持ちすぎた。結果がこうなった。神は干渉してこない。ただ、誰が死のうと生きようと、それを茫漠とした時の中で見ているだけ。全く愚かなことでしかない。悲しかった。同じ人間同士が、こんなことをするなんて。

「……やるべきことを、僕はするしかないんだ……」

 どれほど戦争を憎もうと、平和を望もうと、口では言える。だが、レクスに追従する力はない。だからこそ、この現実を知り、絶望する中で、立ち止まらないことが唯一、セフィアとの再開を約束して生き残る為だった。

 レクスが大通りに転がるケースを拾いに出る。四方を通りが走り、脇には店舗が破壊された傷跡がどこまでも広がっている。この区域での戦闘は終結したのだろう。だが、聞こえてくる銃声は、再びその轟音を増していく。

「……ぅあっ!」

 レクスがケースを拾い上げようとした瞬間、転ぶ。足から崩れるように。前のめりに倒れ、ワクチンケースが伸ばした手の先にある。何に躓いたのか、レクスが振り返る。

「っ! ……あぁぅぅ〜」

 一瞬、何で転んだのかと思った。躓くものなんてなかったのに。それで振り返ってみたら自分の足からドクドクと血液が溢れていた。それを目視した瞬間にその箇所から熱が襲う。熱い。そう感じた瞬間に痛みが来た。ふくらはぎから脛に鋭くもあり、鈍くもある重たい痛みに声が出た。

「ど、どこから……ぅっ」

 後方からの射撃だった。落ちた膝の辺りに硬いものがあった。弾頭で、僕の血が付いていた。ワクチンを運ぶことが出来ないととっさに判断して、匍匐(ほふく)前進になりながら建物の影に歩く。

「はぁ、はぁ……」

 距離にして十メーターも無い。なのに壁に背を預けた時には、脂汗が垂れ、呼吸が上がっていた。血圧が低下してる。とっさのことでも症状の把握が出来るくらいに意識はある。ただ、痛みに堪えるのはきつい。止血しないと、失血ならびに感染症。この環境下なら間違いなくすぐに感染する。

「うっ、く……」

 筋肉が燃えているような体内からの熱みは痛い。多分骨を掠め。神経は切れていない。筋肉側部を貫通させられた。歩行は困難。店の小箱に足を乗せ上げ、ズボンを十徳ナイフで裂き、関節部を締め上げる。チョッキに予備として入れていた包帯とブランデーを取り出し、消毒代わりにかけた。

「あぁっ、っくぅ……」

 余計な熱さが全身を焼く。消毒用ではない。だから体内に沁みるアルコール分に痛みよりも熱さに筋肉が無意識に緊張を起こし、つったような激しい痛みに襲われる。負傷兵の治療の痛みを初めて知った。口にタオルを入れられ、踏ん張る力の強さは、僕も危険性を理解していても、やっぱり歯軋りが鳴った、清潔な布は無い。拭き取るものは無く、包帯を強く巻く。滲み出す血液に落ち着こうとするけど、なかなか上手くいかず、逆に自分でも分かるくらいに、焦りと死の恐怖、痛みに心音が勢いを失わない。ショックを起こさないよう、深く呼吸をする。ショック症状を起こせば死んでしまう。分かっているからこそ、意識を集中して腹式呼吸に努める。少しずつ落ち着く気持ちに、足を見ないようにする。視覚は脳に認識を与える。その感覚は直結して誤認を招く。ショック症状はその類。僕は死なない。この戦争が平和的に終結をして、死ぬ必要ない人々が救われることを見届けるまでは、死ねない。父さん、母さん、妹のリリの無念が報われることが起きるように。そして、セフィアやサクラと言っていた少女たちが戦場に立つことを止めさせるために、セグレアと言うものに訴えるまでは、僕は死ねない。強く何度も思った。

「よし、行こう」

 痛みは引かない。わずかにアルコール分の麻痺がある。立ち上がることが出来ても、歩くことは辛かった。血が足に流れる度に鉄球をつけられたような重さがある。

「んっ……んっ……」

 引きずりながらワクチンのケースを取りに戻る。どこから銃弾が飛んできたのかなんて、知らなくていい。来た道には血路が出来てる。もう位置は知られている。警戒するにも発砲音は聞こえなかった。もしかしたら、セフィアに撃たれた? いや、でもセフィアはサクラと闘っていた。僕を庇って。もしこれがセフィアの狙撃ならセフィアはこっちに来るはず。姿はどこにも見えない。だからきっと、どこかに敵が迫ってる。

「とにかく、急がない、と」

 待ってる仲間がいる。届けられるのは僕だけだ。きっとセフィアは来てくれる。守ってばかりじゃダメだ。家族を守れなかったんだ。セフィアがここへ来れなくても、僕が助けられるくらいにならないといけないんだ。

 レクスは痛みを堪えながら歩いた。

 ―――風が、小さな渦を瞬間の風の中に舞いた。

 転がるワクチンケース。レクスの瞳が、口が、大きく開いた。乾燥した空気には湿気は無く、レクスの唇はひび割れている。

「あぁ……ぁぁああ」

 静かな足取りが急く。痛みにズボンが血で滲もうとも、レクスは引きずる足を急がせる。

 ―――雨も無いのに、大地が潤っている。

 ケースの外面を伝い流れ落ちる液体。レクスが手に取る。ぼたぼたと液体が流れ落ちた。

「な、何てことを……っ」

 ワクチンケースの両サイドに弾創痕。そこから零れている液体。ガラス片も吹き出ている。注射器だと知るレクスは、貫通した方向を睨んだ。誰もいない。砂塵を纏う乾燥風が、崩れ落ちた瓦礫片を撫でていく。弾奏は近くなる。迫撃の雨はいつしか止まり、空が静けさを取り戻す。大通りの真ん中で、レクスは目の前で殺された赤子を拾い上げ、悲しみに劣情した父親のように、ケースのふたに手をかける。

「一……二……三……」

 縦置きにされていた注射器と、呼びのワクチンの入れられたビン。ケースの中は液体とガラス片に溢れ、無事を保っていたのは三本だけの注射器。元々入っていたのはその十倍近く。割れていた。零れ落ちるワクチンが、レクスの手を伝い、肘から垂れ落ちる。レクスの手は震えている。前線にいる部隊は百人以上。戦闘開始後に幾らが敗戦したかの情報はない。だが、生き残りが三人であることはまずない。聞こえる弾奏は多い。

「これじゃ……仲間を……」

 救えない。苦しんでいるかもしれない仲間への薬が無い。一瞬で破壊されたワクチンに、レクスはその場を動けず、ケースの中に視線を落としていた。遥か遠くで一筋に光る発砲に気づくことも無く。


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