13th.戦場の花
一発の銃声。一筋の無音。風は止み、太陽が荒野を白く染め上げるように輝いていた。熔解した戦術品の残骸の匂いは鼻腔を劈き、脳に麻痺をもたらす。だが、花は咲き続ける。切られた大気は既に音に戻り、貫かれた風はどこかへ消えた。サクラの短刀の切先に触れた血が転々と穢土となり、セフィアの銃弾の裂け目がサクラの血を弾く。無情と無垢の殺し合いが、観客のいない星のドームで繰り広げられる。銃声と斬撃、駆ける足音、乱れる呼吸。鳴り止まない鐘の音のように、それは不快であり、爽快でもあった。
「やる、ね。サクラ……」
小さな堰が漏れ、唾液混じりの血液が口端を伝う。腕には無数に切り傷があり、ワンピースだった白は、赤の染める割合が増し、土に巻かれ、その下の幼さの残る身体が垣間見えている。
「……どう、して……?」
同じく口端に血を垂らすサクラ。白髪も赤の模様が浮いている。脈動に合わせ湧水のように横わき腹付近が赤に染まり続ける。
「簡単。私の任務は、ワクチンと、衛生兵を送り届ける、こと。邪魔は排除、するけど、ワクチンも、衛生兵も、ここには、いない」
二人は抱き合うように、互いの上体に身を寄せ合い、バランスを保ち、そこに立っていた。セフィアの腕にはサクラのわき腹につきつけ、血を浴びる拳銃。サクラの腕にはセフィアの左肩関節部付近を貫通する短刀。日の光に陰となり、二人は照らされている。水溜りのようにしみこむ血液に全身を汚されていても、倒れはしない。
「サクラの、契約は?」
関節部に刺さる短刀を握り、サクラから離れるように抜く。血が粒になり、サクラの頬に涙を描いた。
「ワクチン輸送……阻止。でも、ダメ。ワクチン……ここに、ない」
撃たれた箇所に突きつけられている銃を退け、傷口を確認するように触れる。二人の息は上がり、二人の身体が脈動に合わせてわずかに揺れていた。
「じゃあ、さ」
二人の唇は当初より赤みを失っている。互いに乱れた髪は荒野の土煙を浴びて汚され、乾き続ける血液は黒く変色していこうとしている。サクラは短刀を振り、血液を払うが、その勢いに身体から血が飛ぶ。そして表情には、疑問。勝敗は決着してはいない。
「こっちに、来ない? 戦争で寝返りなんて、罪にならないよ?」
セグレアのことを知る。任務失敗の先にあるもの。
「……哀れ、み?」
不機嫌になるサクラの表情は、あどけなさが残る。セフィアよりも幾つか年下のようだ。
「違うよ。お互いに、武装は、完璧じゃない。闘うなら、最高の自分で、やりたい、でしょ?」
マスタライズも盾の剣も無いセフィア。日本刀のないサクラ。双方欠落した状況での戦闘。
「……セグレア、は?」
「平気、だよ。私がどうとでも言ってあげる。それに、これは元から理不尽。私たちが、一つに納まれば良いんだよ。ワクチンは、ないん、だもん」
だから、ここでの戦闘は終結にして、合意の下に一つになる。セフィアの提案に、暫くの呼吸音。
「……何を、したら、良いの、ボクは?」
短刀がぶら下がる。血が滲み出す。サクラの体もセフィアの身体も、わずかに震えている。だが、セフィアは無表情に首を傾げ、その提案を飲み込んだサクラに笑った。
「……セグレアに、怒ってくれた、人がいる。その人を、セグレアに連れてくの」
誰もが知るセグレアは、武器商であり、戦争下のみに稼動する戦争屋。兵士と戦場、武器しか知らない二人には、それは意外。セグレアに賛意を持つ者は多く、セフィアたちへの要請も尽きない。その中で、たった一人の衛生兵が反感を抱いた。
「……あの、ひ弱そうな、兵……?」
斬る価値もないと、一度は相手にすらしなかったレクス。それがそんなことを言うとは思ってなかった。サクラの顔には微かに驚きがある。
「そ。それに賭けもしてるの。負けたくないでしょ?」
「……負ける、賭けは、しない」
サクラの言葉に、賛同に笑むセフィア。
「この怪我じゃ、お互いに使えるもの、最後かも」
セフィアが所々が切り裂かれているワンピースを捲りあげる。露になる下着も、わずかに膨らみを見せる胸も、土や血で天使の輝きを失っていた。その胸下にあるホルスター。そこには一丁の銃が銀の輝きを照らし出す。
「……もう、一丁、は?」
サクラも同様に黒の装束を捲りあげる。日焼けの無い、不健康なほどに白い肌の両腿部には、黒く輝く八本のナイフが巻きつけられていた。
「渡しちゃった。使えるかは知らないけど、お守り代わりに、ね」
「……今なら、ボクの、勝ち?」
両手の指の間にナイフを挟むサクラが、首を傾げる。不気味に伸びる悪魔の手のように、無垢な表情が刃の爪を磨ぐ。
「普通のでも、一応、トゥーハンドだよ。負ける自信なんて、私は無いよ?」
負傷した腕には先ほどの拳銃。無傷の腕には研ぎ澄まされた銀装飾の超大型回転式銃。少女の手には起きすぎる代物。およそ五百ミリほどの全長がある。両手の銃はバランスの取れないほどに差が出ている。
「……勝敗は、死になる。だから、行く?」
「うん。早く行かないと、レクスが殺されちゃうかもしれないし」
だが、セフィアは容易に操るように、サクラに行くよう振る。肯くサクラは、一歩を踏み出す。しかし、一歩を地に着けた瞬間、倒木のように、顔面からその場に倒れ、白髪が広がった。
「その前に、応急処置、だね」
「……血が、足りない……」
顔を上げることも億劫のようにサクラが呟き、セフィアも脂汗を滲ませながら、レクスの置いていった処置道具を漁り始めた。戦場に荒れ狂う二つの少女の風は、この時だけは、ハリケーンの目に入ったように静かに血の臭いを漂わせていた。
どうすれば良い? 考えろ。たとえ部隊に合流しても、どうやって感染者に治療、もしくは感染予防に当てられる? 三人分だなんて、最悪、仲間同士で取り合いが起こる可能性だってある。でもだからって、ワクチンを投与しなければ、遅かれ早かれ仲間が死んでいく。市民だって助けられない。生きてる人がいた。でも、助けられなかった。目の前で死んでいくことを見ているだけなんて、僕はなんて愚かだ。戦場において、医療従事者は全てにおいて平等で仁を以って己の技術を遺憾なく発揮する。それが軍医たるもの。じゃあ、道具も無い、薬も無い中で何をすれば良い? ここでじっと助けを待つ? 無理だ。助けなんて来るはずが無い。支援があるなら、僕は一人でここまで派遣されることは無い。きっと、これは捨て身なんだ。最悪、捨て駒としてでも。
「セフィア……」
あぁ、こんな時に僕はやっぱり頼りないなぁ。年下の少女に請いているなんて。
「ダメだ。出来る限りは尽くさないと」
今は、やるしかない。それだけだ。
「―――っ!」
壁に手を着き、立ち上がり、違和感に角から一瞬大通りに視線を飛ばして顔を引く。その一瞬で分かった。足元が揺れている。人間の走力の小さなものと、不気味な小刻み。視界に一瞬で捉えられたのは、正規軍の陸上部隊。しかも特殊部隊の紋章が何となく見えた。歩兵師団に機動戦車隊の中隊が大通りを闊歩していた。収まった高鳴りが冷たさとともに湧き上がる。いつの間に、ここまで侵攻していたのか、まるで気づけなかった。足の痛みに気を取られてた。
「どうすれば……」
僕の武装は、セフィアに渡された一丁の銃。リボルバー式の大型銃。輪弾倉はない。つまりは五発。精錬された射撃訓練を受けている軍隊に比べて、僕らはゲリラでしかない。全うなものは受けていない。勝機を見出せたとしても、倒れるのは五人。何人が居るのかも分からないのに、飛び込めるわけが無い。
「残存兵がいる可能性があるっ。路地裏、小道までくまなく探せっ。市民の生き残りも全て殺害しろ。状況が終了次第、この町は連中の手による無差別殺人の地とする」
声で分かった。少なくとも十五人以上はいる。手榴弾一つも無い、僕に勝てるものは何もない。死ぬんだ。直感的に感じて、足が竦んでしまう。死にたくない。殺された家族の無念を報いたい。負傷した人たちを助けたい。やりたいことはあるのに、やれるものが無い。間髪のない銃声が路地の合間を掻い潜ってくる。生きている人が近くにいたんだと、もう過去の事象になってしまう未来の恐怖。どうすることも出来ない。鼓動が強くなる。身体が寒くて震える。投降すれば助かるだろうか? 無理、かな。この町を無人街にするまで戦争は終わらないはず。生き残りは全てが証言者。濡れ衣を着せ、殲滅し、英雄を生む。正規軍は戦争で魔女裁判を表現している。ならば、逃げるか死ぬか。この国のどこに逃げ場があるんだろうか。もう、ない。ここを制圧し終われば、次に行く。掃討は終わらない。
「貴様っ! 何者だっ」
「っ!?」
大通りの戦車部隊とは逆の小道から銃を構える音がした。心臓が跳ね上がると言う気持ちを実感した。頭が真白になる。
「隊長っ! ゲリラの生き残りですっ!」
大通りからも挟まれる。緊張と恐怖でどうにかなりそうなくらいに、焦る。
「まだ居たか。報告のあった数に差異があったようだが、これで最後だろう」
部隊長らしい三十代後半のひげ面の男が戦車の上で僕を見下ろす。今の言葉で仲間が全滅させられたんだって、分かった。でも、その時には、逃げ場の無い、小さな黒い穴がいくつも向けられていて、無意識のうちに両手を掲げていた。セフィアの銃を持つ手が震えて。
「ん? 奇妙は銃だな。おい」
「はっ。アブラムス。こい」
「はい」
銃口に貫かれて動けない僕。情けないけど、恐いんだ。
「お前、その銃を下におけ。腕を頭に廻して壁に着け」
殺されることは分かっても、逆らえない。銃を足元に置いて、後頭部に両手をあて、壁にくっついた。こんな所、セフィアに見られたら、罵られるんだろうけど、無理だ。
「動くなよ」
背中に突きつけられる硬いものに目を閉じた。神よ、今こそ我を救いたまえ。祈るしかない。
「ん? 何だ、この銃は? 隊長。この男、怪しげな銃を有していました」
銃を持った男が先に戻って、アブラムスと呼ばれた男がゆっくりと銃を向けたまま戻る。
「ほぉ。奴ら、独自に武器の製造まで行っているのか。まぁいずれ突き止めてやる。その前に、試し撃ちと行くか」
隊長が降りる。こっちに足音が近づいてくる。
「貴様、衛生兵か。衛生兵の分際でこんなものを持っているとはな。これは俺たちが検証に没収する。そして、貴様。分かるな?」
ヘルメットが小突かれる。殺される。恐くて動けないのに、心臓だけは異常に動いている。もう、何も言えない。走馬灯すら駆け巡らない。
「遺言があるなら聞いておいてやろうか?」
重厚な音が一つ、首筋に響く。後は引き金を引くだけなんだ。マラソンをしたわけじゃないのに、この鼓動は辛い。頂点に達する恐怖に思うしかない。
(セフィア……っ)
結局合流なんて出来なかった。任務も達成出来ない。市民の命だって救えない。これは髪が僕に与えた罪と罰なんだろう。どんなに国を浴したいと思っても、これは許されない行為で、神が使わした兵によって魔は排除される。家族の下へ行けるだろうか。もう、死んでしまえばきっと怖いことなんてないんだろう。セフィア、ごめん。賭けは、僕の負けだよ。
「セフィアに、ありがとう、と伝えてくれませんか?」
「良いだろう。伝えておこう」
偽りだと分かっている。それを信じることが救いだと、信じることで救われると誰もが神を慕うから。最後まで心は落ち着かない。これから死ぬんだと言う恐怖は、尋常じゃないほどに苦しい。銃弾の痛みは知った。だが次は即死かもしれない。どうなるのか、ただ、恐くて、胸の中でセフィアの名を呼び続ける。
―――ひたすらに、恐い時間があった。
「うぁっ」
「ふぐ……っ」
その声に、身体が極度の緊張に強張った。ぱぱぱ、ぱぱぱぱ。と銃声がして、死んだと思った。歯がカチカチ鳴っている。ただ祈って目を閉じて、その時を待つしかなかった。銃弾が身体を貫くまでの時間が、途方もない時間に思えた。
「敵襲っ! 敵襲っ!」
「どこからだっ!?」
後ろの首元に突きつけられていた銃の感触が消えた。でも、すぐには気づけなかった。
「上で……うぁっ」
上? 周りを見る余裕は無い。耳元で銃声が劈き、恐さにしゃがみこんでしまった。
「何者だっ……こ、子供っ?」
「レクスッ。ありがとうを言うのは早いんじゃないの? まだ契約終わってないよ」
―――え?
今、何が聞こえた?
「構うな、殺せっ」
幾重にも重なり、周囲の音を掻き消す銃声の乱舞。断末魔の声もある。でも、聞こえた。
「……セフィア。……歩兵は、ボクが……やる」
「オッケー。じゃあ私は車、ぶっ壊しちゃうから」
銃声の中に、飛んだぞっ、と聞こえた。僕は、恐る恐る身を小さくして、瞼のカーテンを開いた。シェイクスピアのハムレットの終幕部の剣術試合で、全ての真相を知り、毒剣の負傷で死んでいくハムレットの悲劇の中で知る、するべきかしないべきか、と言う迷いの中に見出した光を、僕は感じた。




