第32話 守るということ
街からの帰り道。
「気をつけろよ、ルミアはすぐに転ぶんだから」
「う、うん……」
馬車から降りるときに、ふらついた私を抱えて抱きとめてくれたキアン。
キアンの厚い胸板に支えられて、私は顔を上げた。
(こんなに胸板……厚かったっけ)
まっすぐ立っても、私の頭の位置は彼の随分下にあった。
いつの間にこんなに背が伸びたんだろう。
そういえば、不安なときは手を握ってくれる。
今までその温かさだけを感じてたけど……。
「キアン、手」
「は?」
「ほら、重ねてみてよ」
彼は、一回ズボンで手を拭いてから差し出した。
その仕草に笑ってしまうけれど――。
そっと重ねてみる。
関節一つ分は違う。
ゴツゴツしていて、自分の手との違いに何故か心が落ち着かなかった。
「いつの間にこんなに大人になっちゃったの?昔は可愛かったのに……」
「……ルミアこそ自覚無さすぎ」
そっとキアンの顔が近づいてきた。
耳元で囁く。
「大人の男が、好きな女の子の前でどんな事考えてるか教えてあげようか」
「……!!」
頬に、湿った感触。すぐに離れるキアン。
これはまさか――!
手で頬を触る。
すでに、彼の体温も残っていなかった。
私は思わず距離を取った。
それを見てキアンは苦笑いしている。
どこまで冗談なのかわからない。
それとも……本気なのだろうか。
「大丈夫。……待てるから。ルミアのこと待ってる」
「……キアン」
胸が締め付けられた。
男性がこんな表情をするなんて。
私は、自分の姿を鏡で見たことがない。
もしかして、今の私もこんな切ない表情をしているのだろうか。
夕日に向かって歩いて行くキアンの背中に何故か縋りたくなった。
「待って!お願い……!私、本当にキアンのことがずっと好きなの……!これからも側にいたい」
彼の影を必死で追いかける。
そして私が彼の服を掴んだ瞬間――。
力強く引き寄せられた。
「……え」
――抱きしめられてる?
肩にキアンの吐息が触れた。
それと同時に私の肌に雫が落ちた。
「……俺、ずっと待ってた。後悔しない?」
(……涙?私、ずっとキアンを不安にさせてた……?)
「しない……!絶対、後悔しな――」
言い終わる前に、深い口づけが落とされて言葉にならなかった。
あまりにも長く感じたその時間に、膝が崩れ落ちそうになる。
「ルミア。ルミア。……好きだ。ずっとルミアしか見てなかった」
「……キアン。私でいいの?」
「ああ。ルミアしかいらない」
彼はそっと私の顔に触れ、もう一度キスしてから、本当に幸せそうに笑った。
「もう離す気ないから」
「うん。私もずっとキアンから離れない」
何故か彼の唇をまた見てしまう。
私はやっぱり、12歳のあの時からキアンが好きなんだ。
でも、大人になった彼は心臓に悪い……。
胸の鼓動を必死に押さえて、ゆっくりと並んで家に戻った。
◇◇◇
家に帰ると、エレナ母さんとセラが笑い合って何やら話していた。
やはり、セラは成長するごとにエレナ母さんに似ていく。
「え!嘘……!そんな記憶ないし」
「いいや、本当だね。セラは夜泣きは凄いし、お気に入りの毛布は絶対に譲らないで。さらに火がついたように泣くから大変だったよ」
母さんは、セラの拳を両手で防いで笑った。
こちらに気づいた彼女は、私たちに手を上げて挨拶してくれた。
「お、おかえり。今、キアンの話もしようと思ってたんだよ」
「は!?俺!?」
帰った途端に水を向けられ、キアンは素っ頓狂な声を出した。
それが珍しくて、つい笑みを浮かべてしまう。
「キアンは6歳でうちに来たかな?亡くなった両親が恋しかったみたいでね。何度も脱走して、その度に必死に探し回って心配かけられたよ」
そう指摘された彼は不貞腐れたように、そっぽを向いて答えた。
「覚えてない」
「でもね……。気づいたらちゃんとここに帰ってきてた。いつもセラが泣いていたら、ずっと離れないで、抱きしめようとしてたしね。セラもお兄ちゃーんって懐いて――」
セラとキアンが同時に叫んだ。
タイミングもまったく一緒だった。
「「覚えてない!!」」
二人の子供の頃を想像すると、寂しい気持ちと微笑ましい感情が綯い交ぜになる。
つい自分の唇に触れた。
もうそこには、彼の体温は残っていないけれど。
ふっと笑ったエレナ母さんは、椅子の上に置いてあった本と紙の束をテーブルに広げた。
「だからね。子どもが泣くのは見たくない。みんな聞いて」
エレナ母さんは、その地図を広げ、本を開いた。
そして地図の南を指さす。南大陸の国々だった。この国とは気候が違い、湿度も高いという。
「最近、南大陸から流行り病がやってきた。まだこっちの村には来ていないけれど」
そして、医療書の1ページのある部分を指で弾く。
「関節が腫れ上がる。まだ南大陸の人間には耐性があるんだ。……でも、こっちの人間はそうはいかない」
そして、机の上でギュッと拳を握った。まるで何かに耐えるように眉根を寄せる。
「その病にかかった子の治療に当たったよ。成長期の子どもほど、後遺症が残りやすい。――その子は、足の関節が動かなくなった。走れなくなったよ」
キアンが静かに椅子についた。
「薬屋ギルドでも少し話題になってた。『赤土熱』って呼ばれてるやつだろう」
エレナ母さんはキアンに頷いた。セラも真剣に耳を傾けていた。初めて聞く病気だ。自分の知識の浅さに少しだけ罪悪感が交じる。
「それに備えたい。いつ、ここに来るか……。もしかしたら来ないかもしれない。でも未来のことは誰にもわからない」
「ギルドによると、特効薬になるのは赤い根の植物らしい。日当たりのいい場所、主に斜面や東南。そこに生息する植物らしい。植物図鑑も持ってきたほうがいいかな」
「さすが!」
エレナ母さんも頷いて、キアンの肩を叩いた。
彼は痛そうに眉を寄せて肩を擦る。
しかしその直後に、ブツブツと何やら呟いていた。考えている時の癖だ。
「あんたの情報は、いつも幅広いね。本に書いてあるとおりだ。そして、この近くの山にも生えている可能性がある」
そこで、セラが声を上げた。
「でも霜風邪の薬がまだ用意出来てないよ!」
今は毎年流行する、霜風邪対策を進めたいのだろう。まだ薬のストックがあるとはいえ、そろそろ薬草園で収穫する時期だ。
「南大陸からの病気なら冬には流行らない!でしょう!?」
「セラ。病気は形を変えて襲ってくることも多い。覚えておきなさい。それに山に登るのはせいぜい二日にしよう」
ぐっと拳を握りしめ、セラは黙り込んだ。
結局、彼女もその有用性を認め、山に探しに入ることになった。
せめて足手まといにならないように――。
私が決意を固めていると、キアンが頬をつねってきた。
それで、先程の出来事を思い出してしまう。
反則だ。
「大丈夫、山慣れしてるエレナ母さんもいるし。まだ急ぎじゃないんだから」
そのキアンの言葉に少し慰められて、私は彼の手を取った。
「脱走息子は、ちゃんと帰巣本能があるもんね?」
「ルミア。……なに?今度はもっと本格的なのがいい?」
ひぇっ!!
男性をからかうと痛い目をみるらしいと学んだ私。
それをニヤニヤと見物している二人には気づかなかった。
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