道の向こう
「ここは……」
気が付くと真っ暗な中にいた。
上も下も、右も左も、どこもかしこも真っ暗だ。
「恐らくここには誰もいない」
確信は無かったが、何故だかそう思った。
唯一人、クロードだけがそこにいる。
「俺は、死んだのか……?」
死んでもおかしくないと思う。今思えば、何故武器を奮わなかったのかと酷く後悔している。
アトリアと必ず帰ると約束していたのに。
背後から奇襲を受けた時、一番始めにヤマさんが襲われた。問答無用の急襲に、抵抗する間も無かった。
背中に深い傷を負い地面に倒れたヤマさんは、それからぴくりとも動かなかった。本能的に早く治療しなければと思ったが、その体を保護する暇も無く次々と襲い掛かって来たのは、異常な程凶暴化した獣人達だった。
犬や蛇、ネズミや体の大きな者もいた。
猫子もいた。
リントが複数に襲われ助けようと加勢したが、目の前で牙を剥き爪を突き立てるケモミミの少女に、どうしても刃を向ける事が出来なかったのだ。
「アトリア……すまない……」
そうポツリと呟いた時だ。足元にうっすらと『道』が見えたのだ。
視線で辿るように顔を上げた。真っ暗な中にうっすらと、真っ直ぐ前に伸びているそれは一本道だ。
振り返ると後ろの方にも真っ直ぐ伸びている。どこまで続いているのかは一切分からない。それ程に闇は深く、不安と恐怖がクロードを支配する。
他には無いかと周りを見渡したが、見えるのは自分の足元から続くそれだけだ。
再び振り返り視線を上げると、さっきまでは無かった前方に小さな光が見えた。
ずっと奥にあるように見えるあれは出口だろうか。
後ろを振り返ってみるが、道の向こうは深い闇が広がるばかりだ。
「どっちへ行けばいい」
光の方へ足を向けてしまいたかった。こんな真っ暗な世界ではなく、明るい光の差す世界へ飛び出してしまいたい。
暗闇は不安や恐怖を増長させる。長くいればいる程、まともな精神状態を保つ事が難しくなってしまう。あっちに見える光の中なら、今胸の内に巣くっているこの不安が晴れるかもしれない。恐怖からも解放されるかもしれない。
そう思ったら足が自然とそちらに向かって一歩出ていた。
『どうにもならないことなんていくらでもあるさ。…それでも俺達は生きていかなきゃならん』
そう言って笑っていたヤマさんの笑顔がフッと過った。皺を深め人好きのする笑顔が鮮明に思い出される。
理不尽で不公平でも、そんな世界で生きていくんだと言って笑っていた。
『にやけるくらいの小さなもんでいい。あるだけ儲けもんだろ』
後ろに広がる暗闇を見つめる。
今まで生きていた世界もまた暗闇だったのではないかとも思える。いつまでこの生活が続けられるのかと言う不安、戦争への恐怖、自分達とは違うからという理由で虐げられる理不尽、同じ人なのに生まれで差別される不公平。手探りで懸命に、唯がむしゃらに生きてきた。
今まで生きてきた世界こそがまさにで、そちらに広がっているようにも思えた。
「くそっ! ……どうすりゃいい……」
ガリガリと頭をかいて前へと向き直った時だった。
「うわ!!」
いつの間にか人がいたのだ。全身をフードで覆った人間が立っている。
「お困りですね」
「!!」
声に聞き覚えがあった。
その人物が頭の被り物を取ると、クロードが思わず声を上げる。
「あんた……あの時の店主か」
まだ豊穣祭が準備の段階だった頃。
アトリアがミー子だった頃。
一緒に立ち寄りミサンガを買ったあの露店の店主が、何故か目の前に立っていた。
「……魔法使いだったのか……」
「はい。覚えていてくださって光栄です」
どこから出したのか、右手には背丈程の杖が握られている。
印象的な穏やかなエメラルドグリーンがやんわりと緩み、真っ直ぐクロードへ向けられる。
「アトリアさんのミサンガ、切れましたよ」
「そうか」
「貴方が戻ってくれなければ、アトリアさんの願いが叶わなくなってしまいます」
「戻れるのか!?」
「今なら」
魔法使いが光の方へ杖を差す。
「此方へ進めば直ぐに楽になれます」
「それはどういう……」
「そのままの意味ですよ」
今度はクロードの後ろ、闇へ杖を向ける。
「あちらは辛く苦しい世界です。目を覆ってしまいたくなるような真実があるでしょう」
「…………」
「今なら選べます。どうしますか?」
クロードは迷わず魔法使いに背を向けた。
真っ直ぐかどうか分からなかったが、闇へ向かって歩を進める。
「いいのですか?」
背中に届いた声に立ち止まる。
「そちらに行けば、本当に辛い現実と向き合う事になります。身体中痛いし、辛く苦しい。……そちらで、本当にいいのですか?」
相変わらず穏やかな瞳を見据える。
「アトリアの願いは、俺と生きる事なんだろ?」
「はい」
「なら、この選択しか有り得ない」
「後悔しても?」
「後悔なんかしない。どんなに理不尽で不公平で腐った世界でも、俺はアトリアと生きていく」
そうして再び歩き出す。真っ直ぐに見つめた闇は、先程より恐怖に思わなかった。
アトリアが待っている。そう思ったら、心なしか足取りも軽くなった。
そんなクロードの背中を、若い魔法使いは嬉しそうに見つめている。
杖を掲げて振り下ろすと、杖の底が道にぶつかりカーンと高い音を響かせる。
杖先が一本道へ触れると、そこから白い光が波紋状に広がっていった。
「あなた方がこの国の一助になりますよう——」
その声は、クロードの背中には届かなかったが、波紋はゆっくりゆっくり広がっていった。
「……っ……」
重い瞼を開ける。
ぼんやりと見えていた視界がやがてはっきり縁を成す。
目の前で不安そうな顔をしていたのは、クロードが会いたいと願ったその人だった。
ケモミミをふにゃりと垂らし、思った通り瞳からはポロポロと涙が溢れている。
ジレーザかと思うような重たい腕をようやく持ち上げ、彼女の頬に触れると指で涙をそっと拭う。
「お帰りなさい」
クロードの手に自分のそれを重ねて擦り寄る。
涙に濡れた頬をピンクに染めて微笑んだアトリアが、本当に愛しくて美しかった。




