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知らせ

 クロードやレオニが出兵して一週の時間が流れた。


 独身寮からも家族寮からも、新米や老兵を除く殆どの兵士が駆り出されてしまった。いつもなら喧騒と繁忙で慌ただしい朝や夕方の混み合う時間帯が、静かに過ぎていく。その事にようやく少しずつ慣れてきた。

 忙しくないにも拘わらず、ベリエはアトリアに手伝いを頼み続けている。クロードから頼まれていたからと言うのもあっただろうが、ベリエとシエロが単にアトリアを案じていたのだろう。

 アトリアも二人と一緒にいる間は、手伝いやお喋りで気が紛れる。意図せずとも自然と笑顔で明るく過ごせた。元々アトリアが明朗快活な性格であった事も起因しているだろうが、アトリアにとってはそんな二人の気遣いが有り難い事だった。


 ただ夜になると途端に寂しくて堪らなくなる。ベリエやシエロが「泊まっていかないか」と声を掛けてくれたが、アトリアは首を縦に振らなかった。

「クロさんがいつ帰ってくるかわからないから」と、そう言って毎日自分の家へと帰るのだ。

 帰って来たときは、笑顔で「お帰りなさい」と言って迎えたい。そう思い、いつも部屋を綺麗に整えて帰りを待った。


 クロードのいない部屋は、いつもよりずっと広く感じる。

 彼が一緒だった頃は、暖かく居心地の良い空間だったそこが、今はただただ物悲しい。

 広くて、寂しくて、悲しい。


 一人でベッドへ入る。

 今はもう毛むくじゃらに戻る事は無くなった。昼間も夜の間も猫子の姿だ。

 呪いはいつの間にか消え去ってしまった。思えば徐々にだったが猫子の姿でいられる時間が増えていたかもしれない。何が原因で、何故呪いが解けたかは分からないが、その事だって早く教えてあげたい。

 クロードから奪い取る形になった彼の上着を抱き締めて寝るのが続いている。

 彼の匂いに囲まれて目を閉じた。


 早く帰って来て。

 ベッドが冷たくて寂しいの。

 あの低くて優しい声で名前を呼んで。

 大きな手で頭を撫でて、抱き締めて欲しい。


 毎日同じ事を願い、上着を抱き締めて、涙の滲んだ瞼を閉じた。




 出兵から二週が過ぎたある日のお昼過ぎ。

 食堂にお客さんがいなくなるのを見計らって、アトリアとシエロが床掃除を始めようかと立ち上がった時だった。


 ガラッ

 入り口の戸が開く音に振り返る。


「失礼します」

「!!」


 やって来たのは、役所で何度もお世話になったあの中年の担当者だった。

 アトリアに気付くとペコリと頭を下げ、姿勢よくこちらへ近付いて来た。


「こちらにいると伺ったもので。アトリアさん、少しお時間宜しいですか」


 心臓がばくばくと音を立てている。

 どうしたものかとベリエを見ると、既にお茶の入ったカップが二つトレイに乗っていた。


「その席使いな」

「母さん、ありがとう」

「ありがとうございます」


 担当者と向かい合う形で席に着いた。

 少し離れた所にベリエとシエロが見守るように立っている。


「急に伺ってしまい、申し訳ありません。すぐにお伝えした方が良いと思いまして」

「わざわざありがとうございます。……婚姻の件ですか?」


 担当者は頷くと、封筒を取り出し中から一枚の書類を出した。それをテーブルの上に広げる。

 先日、クロードと一緒に役所へ婚姻の手続きをしようと訪れた際に書いた『婚姻届』だ。結果が分かったらすぐに手続きが出来るようにと、彼に預けたままにしておいたものだった。


「結論から申し上げますと、お二人の婚姻は認められます」

「え」


 驚いた顔のまま固まったアトリアへ、担当者は続けて説明する。


「それに関する文献全てに目を通しました。思ったよりも数が多く、想定したよりも時間が掛かってしまいました。クロードさんの出立に間に合わず、本当に申し訳ありません」

「いえ、そんな…」

「正直に申し上げますが、獣人との婚姻を認めると言う記述は見受けられませんでした」

「それ、て…」

「しかし、認められないと言う記述も見受けられませんでした。よって、法律に基づき、お二人の婚姻は認められます」

「…!」


 担当者が僅かに表情を緩めた。その姿にアトリアの目頭が熱くなる。


「良かったですね」

「……っ……ありがとうございます……」


「良かったね、アトリア」

「くまに幸せにしてもらうんだよ」


 ベリエとシエロは、まるで自分達の事のように喜んでくれている。その事がまたアトリアの胸を熱くした。


 クロさんの奥さんになれる。本当の意味で家族になれるんだ。

 そう思ったら嬉しくて自然と涙が頬を伝っていた。

 シエロが肩を抱いてくれて、瞳を潤ませたベリエがハンカチを差し出してくれた。それを受け取り、目元へ押し付ける。

 嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。

 クロードに伝えたい事がまた一つ増えたのだ。嬉しい反面、すぐに伝えられないもどかしさと、側に居ないのだという現実に胸が締め付けられる。

 その度に『彼は必ず帰る』と約束してくれたのだから、信じて待とうと心を奮い立たせるのだった。



「必要事項の記入は既に済んでおりますので、直ぐにでも手続き出来ますが、どうしますか?」


 アトリアが落ち着くのを待って、担当者が口を開く。

 目の前に広げられた婚姻届を見つめた。


 これを出せば、直ぐにでも夫婦になれる……。


 伏せていた顔を上げ、真っ直ぐに担当者を見つめる。


「クロさんが帰って来たら、また一緒に伺います。……なので、その時まで待って貰えますか?」

「アトリア…いいの?」


 シエロの問いにアトリアは大きく頷いた。

 それだけはどうしてもクロードと一緒が良い。例えどれ程時間が掛かったとしても。


「分かりました。ではこの書類はお預かりしておきます。お二人で来られる日をお待ちしています」


 担当者は「お邪魔しました」とお辞儀をすると、姿勢よく帰って行った。

 その背中を見送りながら、無意識にクロードから貰ったリングに触れていた。




 それからまた一週の時が流れた。

 時間がやけに長く感じる。一人で食事をし、掃除をし、ベッドで眠る。ベッドは相変わらず広くて冷たい。

 クロードが一緒だった頃の時間は信じられないくらいあっという間に過ぎていくのに、一人の時間は全然過ぎていかない。一日一日が驚く程ゆっくり味気無く過ぎていく。

 一月も経っていないのに、まるで季節が移り変わってしまったかと錯覚する程の長さだった。




 すっかり秋も深まった頃、不思議な噂が流れてくるようになった。


 戦争に全く動きが無いらしい

 戦況が全然入ってこないようだ

 本当に戦争は起こったのか?

 実は隣国とは既に和睦が成立しているのではないか


 それらの噂はたちまち広がり、市井を駆け巡ると、三人の耳にも届いた。

 クロさんがもうすぐ帰って来るかもしれない。

 そんな期待を持ちながら、やっぱり酷く長い一人の時間を過ごした。




 食堂の手伝いへ向かう為、いつものようにアトリアが支度をしていた時の事。


 ぶつっ


 すぐ側で何かが切れる音がした。

 何だろうかとキョロキョロしているうちに、首に結ばれていたミサンガがするりと足元へ落ちてきた。

 真ん中から切れているそれを拾い上げる。


「……どうして急に……」


 何の前触れも無かった為に驚いた。毎日姿見で自分の姿を見ているが、切れそうな様子など感じられなかったのに。

 これを露店で買った時、宝石のような目をした店主は『切れた時に願いが叶う』と言っていた。

 クロードに首へ結んでもらいながら、『この人とずっと一緒にいられたらいいなぁ』と思った。その時は、まさか奥さんとして共にあれるとは思ってもみなかったが、結果的に望む形になれたのだ。

 だから嬉しい筈なのだ。ミサンガが切れたと言うことは、自分の願いが叶うという事なのだから。


 なのに何故だろう。

 胸騒ぎがするのだ。

 確信がある訳ではない。

 何となく胸の奥の方がざわざわしている。

 なんか嫌な感じだな。

 そう思った。


 そして、そう言う予感は何故か当たってしまうのだ。



 ドンドンドン


 突然玄関の扉が激しく叩かれ、びくりと体が揺れた。咄嗟に動けず、扉のある玄関の方を見つめる。


「アトリア!! アトリアいないの!?」


 聞こえたのはシエロの声だった。

 息を吐き出し、少しだけ緊張が溶けると、急いで扉を開けた。


「…っ! 良かった…っ! 早く来て!!」


 そこにいたのは激しく息を切らし、明らかに様子のおかしいシエロだった。


「どうしたの!?」

「くまさんが帰って来た!!」

「本当!?」


 待ちに待った知らせに喜びのあまり身体中の産毛が逆立った。

 が、焦りの色を濃く映すシエロの表情に、喜びの気持ちは一瞬で失せていく。


「大怪我してるみたいなの! 治癒師のいる中央教会に運ばれたってさっき知らせが——」


 聞き終わらないうちに駆け出していた。

 後ろから名前を呼ぶシエロの声が直ぐに遠くなる。


 クロさん……!


 心の中で何度も名前を呼んだ。


 お願い神様。

 何でもします。

 他には何も要りません。

 だからクロさんだけは私から奪って行かないで。


 涙が溢れる。

 大きな雫となって次から次から溢れるそれは、走っているせいで横へ流れていく。

 邪魔なそれを何度も雑に拭いながら、視界がぼやけようが、足がもつれようが、構わず走った。


 建ち並ぶ建物の奥の方、頭一つ分飛び抜けた大きな中央教会(それ)が、まるで恐ろしい顔でこちらを見下ろしているように感じられてならなかった。

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