第二十八話 『魔族と神官、そして勇者』
『【沈黙】をかけられたような』──例えばこういう形容の言葉が存在する。
実際のところ、普通の形容詞を使えばいいので出番はあまりないのだが、形容にも使われているほどに【沈黙】の効果は万人に知れ渡っていると言えるだろう。
魔法というものは、それそのものは古来よりある原理だと言われているが、実際に体系が定義されて、人が自由に扱えるようになったのは、割と最近のことだ。
エディンバラの賢人高塔やミラノタスクの統合学術会といったいわゆる頭の良い人たちの雑穀煮みたいなところから、日々新しい魔法が開発されている。
実際、『【沈黙】をかけられたような』や『【発火】みたいに』──などという形容の言葉は、かの組織の人間たちが魔法を広めるために世界にばら撒いたという噂がある。
【沈黙】をかけられたような街。
それがハロケルに入ってから真っ先に思い浮かんだ言葉だった。
城壁を警備する衛兵たちは、何かに急き立てられるように無言でただ忙しなく動いていた。半日前までの堅牢な警備とは思えないほどに、稚拙で穴だらけの様相だった。グレイコーデたちが隙を見て、盗み入る程度には。
そうして、街にはハロケルのある種の騒がしさ──物理的なものではなく、雰囲気が感じられなかった。
確かに街の人々は普段と同じように、商いやら雑談やらで賑わっている。
──顎髭の豊かな絨毯商が顧客に向かって熱弁を振るっている。
──痩せた女の通行人が露店で売られている串焼きに目を奪われている。
──ヒラヒラとした真っ白なマントを引きずる派手な格好の男の子が地図とにらめっこをしている。
いつもどおりの光景。
なぜ、【沈黙】をかけられたような街といった印象を抱いたのか。考えれば考えるほど分からなくなってくる。
「……街の様子がおかしくないか」
「何のことです? 別に……いつもどおりだと思うんですけれど」
「……ならいいんだが」
街に入ってから、何やら空気というか魔力というか──そういった感覚が張り詰めているように思える。実際のところ、魔力の変化に敏感な【薪】が言うには、何も起きていないとのことだ。
一抹の警戒を胸に仕舞って、グレイコーデは【薪】に左腕の袖を差し出した。グレイコーデは隻腕だ。左腕の袖は中身が詰まっておらず、空のまま。
きゅ、と微かな振動をもって握られたことを確かめる。
「はぐれるな。往来のなかでは面倒だ」
「なら私と手、握りますか?」
にやにやとこちらを見上げてくる。グレイコーデはため息をついた。
「自由に使える腕を残しておきたい。……分からないお前ではないだろう?」
「……あっは。じゃあ、分かりませーん!」
回り込んで手を握ろうとしてくる【薪】を強引に退かせて、頭を軽く叩く。
「いい加減にしろ。お前は俺の協力者だ。ならばせめて失った腕の代わりを勤めてみせろ」
「こんなに可愛くて自由意思を持った左腕ですか。……強欲ですね、勇者さま」
諦めたようにもう一度左の袖に重みがかかる。
「分かってくれたか」
ふんすと鼻を鳴らして、【薪】は得意げに笑った。
「じゃあ、左腕なんですから一生くっついていないといけませんね。なんてプロポーズなんでしょう。ずいぶん意外な角度からきましたね」
「……なぜそうなる?」
そろそろ頭が痛くなってきた。
「あーあ。前任の左腕さんは勝手に離れちゃって。でも、私は離れませんよ、ちゃんとくっついていますから!」
「分かったわかった、そろそろ黙っておけ。頭痛がひどくなってきた」
「それってどういう意味ですか!?」
六十年前の旅路でも同じだった。
グレイコーデの周りにいる人たちは、グレイコーデを決して孤独にはさせてくれない。仲間として、敵として、友として──常に身の回りには人の姿があり、騒がしい。
魔王の呪いにより、人のとは違う身体となった今でもそれは同じだった。
「ありがとな」
「え」
周りに人がいる。
グレイコーデがグレイコーデたる所以であり、その意味は、存外に大切なことかもしれなかった。
大通りを歩き続けて数分後、冒険者組合の建物の前の階段で一人、空を見上げている黒いフード姿があった。
ユーリだ。
こちらに気がつくとぱっとフードの影に隠れていても分かる笑顔を咲かせて、こちらに全速力で走り寄ってくる。まるで子犬のようだ。
「そういえばまだ紹介していなかったか。弟子のユーリだ。仲良くしてやってくれ」
「……これはなんともちっこい、ですね」
走る、走る、走っている──グレイコーデの隣にいる、少女に気づくまでは。
ユーリはグレイコーデから数歩離れたところでふらりと立ち止まり、目を見開いた。
そして。
「……誰、その女」
「わお」
「──っ、じゃなくて、違くて……えっと、誰なの、その人は」
「随分と独占欲がお強いみたいで」
「そ、そんなこと知りません! それよりも」
腰に手を当てて、精一杯胸を張って身体を大きく見せようとする。しかしながら、悲しいことか。年相応の威勢はどうにも年相応の迫力しか生まない。【薪】がユーリを見て思ったのは『割と子どもだなぁ』というあっけらかんとしたものだった。
「どういうこと勇者様? なんで目を離した隙に、訳ありそうな女の人を連れて歩いているの?」
「何やら大きな誤解があるようだが」
「勇者様は面食いで、旅の間一度目を離せば数分後には厄介事と女の子をつれてくるって」
「……出典元は?」
「グレイコーデ様の勇者物語」
「シルヴィア、あいつ……」
シルヴィアの書いた日記が後の世で全世界に発行されているというのも勘弁して欲しいが、実害が出ているとなると冗談ではない。『英雄色を好む』とは良く言ったものだが、言われた人がたまたま色を好んだだけであり、結局のところ個人差というものがあるのだ。
グレイコーデが愛したのはシルヴィアただ一人。それを当のシルヴィアが後の世で否定してどうするというのか。
まったくもって、頭が痛い。
【薪】はそんな二人を見て、頬に手を当てて上品に笑っていた。ユーリが胡乱げな眼差しを向けたところでぺこりと礼をして、胸に手を当てる。
その様子は普段の【薪】の仕草とはかけ離れた神官のものであり──。
「私は大教会の神官、レオットです。どうぞよろしくおねがいしますね」
レオット。冒険者組合ハロケル支部長のロゼルト・アルバに名乗った偽名。【薪】という洗礼名を隠すための仮面だった。
人好きしそうな笑みも、たおやかに揺れる花のような儚げな仕草も、すべて仮面。
──いや、それはどうだろうか。
今までグレイコーデに接してきた態度そのものが仮面なのかもしれない。幼気な悪戯も、人懐っこい行動も、不真面目な言動も、すべて仮面だったと思えば。
結局のところ、人という生き物は他人に接するときに必ずといっていいほど仮面をかぶる。目上には誠実な仮面を、同年代には気のおけない態度の仮面を、仲間には限りなく薄くても、親しき中にも礼儀ありといった仮面をかぶる。
人から仮面を剥いでいけば、タマネギのように次々と無限に仮面が現れて、最後の最後には脆い芯が見えてくる。
それこそ、あの【銀海】のように。
気にしていても仕方がない。
なにせ、長年付き添ったあのシルヴィアでさえ、最後の最後までグレイコーデに『本音』は語らなかったのだから。
そんな【薪】──レオットを睨めつけるように見つめたユーリは、ふっと肩の力を抜いた。そして、フードを頭から脱ぐ。
捻れた角と火傷のような紋があらわになる。
「……ユーリ。わたしの身体は魔族のものだけど、心は人間のつもり。大丈夫?」
「あら、口調が変わりましたね? ──平気ですよ。人に害を及ぼさない魔族ならば、私は気にしません」
「ほんと?」
「ええ」
ユーリはレオットの身体を見渡して。
「短剣が十二本。ベルトに二本、靴と靴裏には左右合わせて四本、懐には左右に二本、右手首に一本、左袖に一本──」
ユーリの細い指先がレオットの白杖に向けられる。
「それの中に二本。合わせて十二本」
つかつかとユーリはレオットの目の前に立ち、そのまま見上げる形で視線を合わせた。
「ほんとう?」
短剣屋──というわけでもあるまい。神官にしては些か過剰だろう。旅人ならばあるいは、と今まで気づいていても指摘はしなかったが。
目線を向けると困ったように眉をへにゃっと緩める。
「ふふっ」
レオット──いや、【薪】は対して速度も体捌きの鋭さも伴っていなかった。ただ意識の間隙とでもいうべきか、そこにするりと入り込んでいた。
ぴんっ、と人差し指の先っぽが伸ばされる。
「ッ、」
反応が遅れた。
ユーリは一瞬遅れて魔力による身体強化を合わせて咄嗟に数メートルも後ろに跳び退る──が、ぴたりとそれに追随する【薪】。
二人が動きを止めると、そこには【薪】の両手の指先がユーリの頸と目玉に触れるか触れないかの距離で止まっていた。
「…………っ、……」
ユーリは一歩も動かない。いや、動けない。
やがて、【薪】は指先をそっと外すと背伸びをしてにへらと笑った。
「とまあ、殺すつもりがあれば短剣無しでもさくっとできますのでご心配なく。あはっ、仲良くしましょうよ、ユーリさん」
「……」
「私って結構髪長いじゃないですか。ユーリさんって触ったところ、すごく髪が綺麗ですよね。お手入れのコツとかあったりします? 仲良くなるついでに教えて下さい」
そのままにこにこと笑う【薪】を尻目に、ユーリはグレイコーデに近づいて助けを求める。
「あの人、怖い……」
「あれほどの腕前だとは思っていなかったな。盲目であの腕前か。どれだけの修練を積んできたのやら」
【薪】が見せた意識の間隙に滑り込む術は暗殺者の奥義といっても差し支えないものだ。わざわざそんなものを安売りして警告してみせたのだ。これ以上の技を持っているという言外の牽制。【薪】が本気になれば、グレイコーデでさえ危ないかもしれない。
「やっぱり神官は怖い」
「うん?」
「アトリーナ様も、あの人も強かった。……もしかして、神官って皆とても強いの? あんなのが何人もいたらこの国は無敵」
「……おいおい」
少なくとも、六十年前ならば【薪】程度の気配の消し方や滑り込み方をするものは大勢いた。あの術をさらに応用したものでなければ、勇者の暗殺や魔族に対する不意打ちには使えない。魔王によって求められる戦力が大幅に上がった。必然的に、暗殺者に求められる技術もそれに伴って上がったのだ。
暗殺を躱す体術も、気配察知の技術も。
後はいたちごっこ。人として到達できる限界値まで技術は進み、そして魔王討伐によって徐々に忘れ去られた。
今はそんなことはないだろう。
旅路の後半期には、寝袋にくるまった瞬間、魔法と魔法陣を多重に刻んだ短剣が音の速さをも飛び越えて突っ込んでくるといったことが珍しいことではなくなった。就寝中に襲われるのならまだしも、時には宿屋ごと超克系魔法に圧縮されて異空間に飛ばされかけたこともあった。流石に勘弁して欲しい。
「とりあえず、だ」
「あ」
グレイコーデの背中に隠れようとするユーリを【薪】の前に出してやる。ぴくりと震えるユーリが恐る恐る目線を上に向ける。
【薪】はユーリの声が発せられる高さを把握したのだろう。膝を曲げてユーリの目線に合わせる。
黒革のベルト越しに、ユーリの視線が注がれる。
「あなたは……レオットさんはなんでグレイコーデ様と一緒にいるの?」
「それはですね。グレイコーデさまに頼まれたからですよ。『俺の左腕の代わりになれ。一生離すつもりはないからそばにいろ』的な感じです」
「──グレイコーデさま……? シルヴィア様の首飾りをぶら下げて、アトリーナ様の願いも蔑ろに……節操無く新しい女の人を侍らせて……いい御身分……?」
こちらをじろりと向くユーリの目線が肉食獣のそれと重なった。というか、そんな顔もできたのか。
「ユーリ。俺がそこまで節度のない男に見えるか?」
ふっと眉に入っていた力が緩む。
「……冗談。見えないから安心して。この人をつれている理由があるんでしょ?」
「信用されてますね、羨ましいです」
「グレイコーデ様はアトリーナ様が愛した人だから、当然のこと」
胸を張ってそう言ってくれるユーリの頭をグレイコーデはくしゃくしゃとかき混ぜる。気持ちよさそうに目を閉じて身を任せる様子を、どこか【薪】は羨ましそうにしていた。
やがて、気を取り直したように咳払いをする。
「ユーリさんも外の風に当たって身体が冷えたでしょう? そろそろ夕刻ですし、早めのご飯を食べに行きませんか? そこで詳しいお話をすれば良いと思うんです」
「……ご飯」
「良さそうなレストランを聞いたんです。前々から気になっていたんですけど、【銀海】さまってそういう店に興味が無くって」
「わっ……ちょっと、手引っ張らないで……!」
「いいですよね?」
【薪】はグレイコーデに白杖を手渡し、瞬時にユーリの手とグレイコーデの左袖を握って先へと歩き出す。
「拒否権はないんだろう?」
「あら、こんな可愛い左腕の頼みを聞かないつもりですか?」
「ったく」
手を引かれるままに往来のなかを【薪】について行く。途中で出逢った人々が何やら微笑ましいものを見るかのような目でこちらを見ている。
三人で、家族とでも思われているのだろうか。
【薪】から持たされた白杖を軽く調べる。──仕込み杖となっており、やはり中には刃が隠されていた。二本の短剣となる構造だ。そして、持ち手には小さな魔法陣やらバネやらが仕込まれており、機能の全容を想像することさえ難しい。
特注で作られたにしてもただの神官がこんな代物を持ち歩いていることがありえないとグレイコーデの直感は断じていた。
しかし。
「……まあいい」
少なくとも、渡してくれたのだ。調べられることも織り込み済みで渡してくれたとすれば、【薪】からグレイコーデに対する信用の証左となる。信用されているということは、実害を伴う攻撃はしてこないということ。
今は気にしていてもしょうがないだろう。
「……確かに【銀海】は、あまり好まないだろうな。このような店は」
「いらっしゃいだにゃあ! ご注文はお決まりですかにゃん?」
給仕がグレイコーデたちがテーブルに座ったのを見計らって声をかける。店員はまるで貴族の奉公のようや格好をしている。……そして、頭の上に毛皮の生えたつけ耳が存在感を主張していた。中に魔導回路が仕込んであるのか知らないが、ピクピクと動く代物だ。
店員は皆、同じ格好をしている。
【薪】に案内されたのは、最近開いたばかりだという喫茶店だった。
『猫耳メイド喫茶店』……とかいうものだ。何でも、東方大陸の地下に広がる妖精王国、そこから伝わってきた神秘の文化だとか何とか。
はるか昔、『獣人』と呼ばれる種族がエルフやドワーフなどと肩を並べて世界を席巻していた時代があったという。しかし、突如として現れた『人』という種族が絶滅させてしまったのだとか。……人。つまりグレイコーデたちのことである。獣人の突然変異として人が生まれたと学者間では説が唱えられているが、そんなことはグレイコーデにとってどうでもいいのだ。
問題は、目の前の給仕にどの料理を頼むか否か、だ。
「……うむ。では、この『愛情たっぷりオムライス』を頼む」
「私はグレイコーデさまと同じものを」
「わたしは『干し魚のゼリー寄せ』を」
「……おい」
「し、知らない」
ユーリが目を逸らす。わざわざ飲食店まで来て、どこにでもあるような料理を頼むなど、まったくユーリの食の世界は狭いと見える。
料理が届くまでの時間は異様に早かった。
注文してから一分も経っていないのではないのかという早さだ。
奉公の格好をした給仕がテーブルに料理の皿を置いていく。グレイコーデと【薪】が頼んだのは、アーシュトメリア風の卵とじ飯だ。野菜が星型やハート型に切り抜いてあり、作り手のこだわりが感じられる。
対するユーリは、薄茶色の調味料で最低限味付けされたゼリーの塊だった。なかにはぶつ切りにされた干し魚が入っているだろう。
テーブルの両端で料理の彩度がまるで違う。
グレイコーデたちの色とりどりな料理を羨ましそうに見つめて、自分のゼリー寄せをスプーンですくって一口。そのような哀愁漂う顔を十の子どもがするものではない。
「では、ケチャップソースをかけますにゃ! わたしが合図を出すので繰り返して言ってくださいにゃ! せーの、【滋味よ ダルクの食卓に】!」
「「【滋味よ ダルクの食卓に】」」
治癒系魔法である食欲増進魔法だ。厨房でこっそりとかけておくならばまだ分かるが、客と一緒に魔法をかけるなどこの店は変わっている。
「それでは、ごゆっくりだにゃ〜!」
給仕が厨房の奥に消える。その様相は異様に早足であり、やはり獣人の格好をするのは恥ずかしかったのだろう。
「変わった店だな」
「今は多様性の時代ですよ。アーシュトメリアの誘致のおかげです」
「……なるほどな」
確かにこの国では見かけないような形式の店であり、他国の文化というのならば納得だ。
「この料理もうまいな……」
卵とじは半熟で、中は鶏とトマトが混ざったような、そんな炒めた米だった。給仕はあんな格好をしているが、料理そのものは非常に美味しい。
「本当ですか? 良かったです、ここを紹介して」
「ユーリ、本当にそのようなものでいいのか」
ちらりと物欲しそうな目線を向けてくれるが、すぐに顔を背けてしまう。
「……平気。平気だから」
「そうか」
奥のテーブルに見覚えのある女が二人座っていた。片方は金髪を流し、もう片方は燃えるような赤髪を捻っている。
金髪を流している女がこちらに気づき、大きく手を振る。
「ここ、おいしいですよね〜」
「イレちゃん? 誰と──」
「また会ったな」
冒険者組合のイレーベとティルサが奥の席に座っていた。
持ってくれよ、書き溜めの量……ッ!




