超美形ナイトたちのお姫様抱っこ争奪戦
「――エリザベート様っ!!」
床の冷たさを感じる間もなかった。
視界が真っ白に染まり、膝から崩れ落ちた私の身体は、固い石畳ではなく、硬質で温かい胸板の上にすっぽりと受け止められていた。
「エリザベート様! しっかりなさいませ、エリザベート様……!」
耳元で、かすれたレオナルドの絶叫が響く。
顔を上げようとするのに、首に力が入らない。
怒りで無理やり駆動させていた頭の回線が完全にショートし、指先ひとつ動かすことすらできなかった。
ただ、私を抱きしめるレオナルドの腕の激しい震えだけが伝わってくる。
「どけ!」
誰かがいきなり横から割り込んできた。
「 息を確保させろ!」
……その声はセシル?
「……セ――」
「話さんでいい! 呼吸することにだけ集中しろ!」
横から割り込んできたセシルが私の首筋に指を当て、脈を測る。
小生意気な薄笑いは跡形もなく消え、その琥珀色の瞳は激しい動揺で見開かれている。
「……脈は速いが、外傷はない。過呼吸と、爆発の強烈なショックによる虚脱だ。……信じられん、こんな状態であんな啖呵を切っていたのか!?」
「下がれ! これ以上、エリザベート様に触れることは騎士団長として看過できぬ!」
「うるさい、誰が触れるなと言った!? 俺の上着を敷く。そこにそっと寝かせろ!」
「床にか!? 冗談じゃない! 私がこのまま医務室へお連れする!」
「お前は腕を負傷しているだろうが! 俺が運ぶ!」
「かすり傷だ! エリザベート様は私が! 他国の男になど任せられん!」
「ナショナリストになっている場合か!」
頭の上で、帝国の近衛騎士団長とセシルが、私を挟んで猛烈な怒号の応酬を繰り広げている。普通なら二人のイケメンが私を取り合っているようにも思えるけど、これは私が危険な状態にあるからということなんだろう。
しかしレオナルドの部下のくせに何という態度……とうっすらと思うが、とにかくどっちもうるさい。すごくうるさいけれど、言い返す気力が湧いてこない。 身体の芯がガタガタと震え、ただただ怖い。 死ぬかと思った。本当に、あと数歩遅れていたら私は粉々になっていたのだ。
その恐怖が遅れて津波のように押し寄せてきて、私の目から不覚にもボロボロと勝手に涙が零れ落ちた。
「……っ!?」
二人の男が、同時に息を呑んで凍りついた。
「エリザベート様……泣かないでください。もう大丈夫です。私がここにいます。貴女に指一本触れさせなどしない……!」
レオナルドが、壊れ物を扱うようにそっと私を抱き上げ、胸元へ強く引き寄せた。焦げたマントと、彼自身の血の匂い、そして微かな石鹸の香りが鼻腔を包む。
その腕は鉄のように頑丈で、けれど信じられないほど優しい。
「……おい、泣かせるな……」
セシルが苦々しげに顔を歪めながら、自分のマントを乱暴に外して、私の肩の上からふわりと掛けた。上等な毛織物の温もりが、冷え切った指先を包み込む。
ぶっきらぼうだけど、悪い人間ではないのかも知れない。
「よく一人で耐えたな。従業員を庇い、現場を守り……こんなにも誇り高い女性を、俺は他に知らない。もう矢面に立つな。お前が戦う必要はどこにもない」
え!?
セシルが膝をつき、私の震える右手を両手で包み込んだ。
熱い吐息が、煤で汚れた私の指先に落ちる。
「おいセシル、何をしている!」
「見て分からんか、求婚の誓いだ。レオナルド、貴様らの無能な皇室にこの女を置いておけば、いずれ過労か暗殺で殺される。……エリザベート、このまま俺の国へ来い」
「な……っ!?」
レオナルドの青い瞳が、怒りと焦燥で燃え上がった。
「寝言は寝て言え! エリザベート様は我が国の至宝だ! 貴様のような隣国の野蛮人に渡すものか!」
「至宝だと? その至宝を泥まみれにさせ、爆弾の前に晒したのはどこのどいつだ! 俺の国に来れば、宮殿の最上階にサロンを作ってやる。予算も人員も湯水のように使い放題だ。お前は指一本動かさず、ただソファーで笑って紅茶を飲んでいればいい。一生、俺が腕の中で養ってやる」
……ちょっと待って。セシルって一体——
思わず目がパチッと開いた。
「「おお!」」
「レオナルド、セシルって――」
「しっかり聞こえていらしたのですね。実はセシル――いや、セシル様は、修行のためにお預かりしている隣国の皇太子殿下なのです」
はあ!?
「だから言ってる。皇太子妃として迎えよう。何なら我が宮殿最上階のサロンに花畑を作らせる。中心にジャグジーを作らせ、野草でも薬草でも薔薇でも何でも好きなものに囲まれて紅茶でもドナ・ぺリニオンでも自由に楽しめばよい。腕の良い専属マッサージ師ももちろん用意する」
「そのような退屈な囲い込み、エリザベート様が望むはずがない! 彼女の誇りは私が一番知っている! その歩みを支え、命を懸けて前払いするのが私の役目だ!」
「ふん、言わせておけば……!」
超ド級の美形ふたりが、焦げた瓦礫のサロンの真ん中で私を奪い合ってバチバチと火花を散らしている。
……至高のサロン? 予算使い放題?
一生養ってくれる……?
あまりの疲労とショックで思考が完全に停止していた私の脳裏に、その図々しすぎるワードだけが、妙に甘ったるく響いた。
「もう……どっちでもいいから……」
掠れた声で小さく呟くと、二人が同時にピクッと肩を揺らして、食い入るように私の顔を覗き込んできた。
「エリザベート様!? 何とおっしゃいました!?」
「……早く、暖かいところで……寝かせて……」
「「ただちに!!」」
呼吸をぴったり合わせて叫んだ二人は、互いを牽制して睨み合いながらも、一歩も揺らさない異様なまでの安定感で、私を医務室へと運び始めた。
*
その頃、東京ではトイプードルのゼンちゃんが本物のエリザベートの正体を見破って以来、彼女に気づいてもらおうと懸命に伝えるのだが、なぜか全然伝わらずイラついていた。
(他の犬たちとは問題なく喋れるのに、エリザベートとも雑談程度はできるのに、いざ、俺の正体を明かそうとすると強烈なノイズが入る……なぜだ? なぜなんだ?)
厄介なことに、かっちゃんが恵美子にゼンちゃんが元々異世界から来たこと、そして誰だったか言おうとしても同じノイズが嵐のように吹き荒れる。
(言うなということか。ここで再びめぐり合わせておきながら神様も残酷だ)
仕方なく恵美子に駆け寄り(リードが伸びる範囲で)、心からの笑顔を見せて尻尾を振りまくるくらいしかできない。
「よしよし、ゼンちゃんは今日も元気ですわね」
恵美子(本物のエリザベート)は屈み込み、ゼンちゃんのフワフワの頭を優しく撫でた。
その横顔には、ほんの少しだけ疲れと憂鬱の色が差している。
(恵美子さん、あまり元気ないみたいだけど、どうかした?)
公園のベンチで、おっとりしたボーダーミックスのかっちゃんが首をかしげて尋ねる。
「ええ……私たち今週末、トシ子さんの亡き夫の実家の法事に行くのですけれど、向こうの親戚たちがなかなか手強いらしくて、トシ子さんがひどく心配されているのです」とため息をつく。
普段強気なトシ子だが、本家の親族の前では嫌味や値踏みに散々耐えてきたらしい。
「嫁の分際で」「東京もんが」「たくあん一つつくれねえのか」「しょっつるが何かわからない? バカか!?」などなど。
「法事はトシ子さんにとって針のむしろのような場所なのだそうです。何とかお守りしたいのですけれど、ひとつだけ、大きな壁がありまして」
(壁?)
ゼンちゃんが耳をピクッと立てる。
「言葉の壁です。本家のご老人たちは『つがるべん』と『なんぶべん』をお話しになるそうなのですが、ネットで調べた感じではまるで異国の古代呪文のようで、何を仰っているのかさっぱりわからなさそうなのです。これでは、トシ子さんに理不尽な言葉が投げかけられた時、盾になって差し上げることができません」
王宮の洗練された宮廷語や外交用の諸言語なら完璧に使いこなせる元皇妃にとっても日本の奥深き方言は未知の結界のような難敵だった。
すると、その会話を隣で聞いていた大型犬、―ワイマラナーのアルがやおら立ち上がって「フッ」と鼻を鳴らした。
(……恵美子さん、それはオラの出番だな)
「えっ?」
(オラのブリーダー、青森から上京してきた爺ちゃんでな。毎晩のように津軽弁の演歌と晩酌に付き合わされてたから、完璧にバイリンガルだ)
「マジで!? アル、お前そんなスキル持ってたの!?」
ゼンちゃんが目を丸くする中、アルは威厳たっぷりに恵美子の前に座り直した。
(いいか、恵美子さん。まず基本だ。『んだ』はイエス。『わがね』はノー。『なんぼめごいばし』は激賞だ。そして一番大事なのは、嫌味を言われた時の返し技だ。相手がグチグチ言ってきたら、優雅に微笑んだままこう返すんだ)
アルが低く重厚な声でネイティブの発音を響かせる。
(――『まいね』ってな)
「『まいね』……?」
(『ダメだ、通用しない』って意味だ。相手の揚げ足取りを、高貴な笑顔と完璧なイントネーションの『まいね』一言で突っぱねる。これだけで田舎の親戚連中は『こ、この嫁、只者でねぇ……!』って度肝を抜かれるはずだ)
「まあ……! 相手の方のお国の言葉を完璧に返礼としてお使いすることで、無礼を優雅に制するわけですね!」
恵美子の瞳がかつての皇妃らしい気品と知性の輝きを宿した。
「分かりましたわ、アル先生。法事までの残り三日間、みっちりご指導をお願いいたします。トシ子さんの名誉は、わたくしがお守りいたしますわ」
(任せろ。まずはリスニングからだ。『どさ』『ゆさ』の活用から叩き込んでやる)
(……いや、どんな特訓だよ)
犬から津軽弁の集中講義を真剣に受ける元皇妃と、熱血指導に入る大型犬を前に、元幼馴染のゼンちゃんは、ただただ遠い目をすることしかできなかった。
(はあ。こんなことしてないで、俺があっちの世界のゼノンだととっとと伝えて田舎に連れて帰りたい)
犬たちの飼い主のおじさん・おばさんたちはおしゃべりに熱中していて、恵美子と犬たちが小声で囁くように展開するランゲージレッスンにはまるで気づいていないようである。しかし一人の目がゼンと合った。
「ちょっと、ゼノン」




