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第十五話「ジュネーブへの極秘任務」

 帝国予算会議から1日後 1909年4月12日 スイス連邦 ジュネーブ


 列車に揺られ十数時間、スイスの一大都市、ジュネーブに到着したモローは、列車から降りるとすぐさま深呼吸した。パリやリヨンの空気と比べると、ジュネーブの空気はやや冷たく感じられた。


「ここがジュネーブか、見渡す限り山一面の景色で、空気も澄んでいて美味しいな。」


 モローは初めての景色に見惚れつつ、駅の改札を出ると、すぐさま車を捕まえた。


「資源庁前まで頼む。」


 運転手は言われるがまま車を走らせた。


 移動すること数分——


「ありがとう。」


 料金を手渡し、降車する。眼前には『スイス資源庁』と書かれた石碑が鎮座している。やがてモローは歩き出し、建物内へと入ると、フロントの職員に話しかけた。


「鉱物課のベルナールはいますか?」


 モローが尋ねると、フロントの職員は少し待つように言って内線電話を掛ける。少ししたのち、受話器をフックに戻すと、職員は答えた。


「えぇ、いらっしゃいますよ。お呼びしましょうか?」


「あぁ、頼んだ。」


「ではあちらの応接室でお待ち下さい。」


 そう言って部屋に通されたモローはあたりを見渡した。机と椅子、申し訳程度に置かれた花瓶だけの、本当に応接以外の用途がなさそうな部屋のようだ。


「失礼します。」


 待つこと数分、二度のノックの音とともに、一人の男が入ってきた。その男——ベルナールは、来賓の顔を見るなり声色を変えた。


「誰かと思えば!久しぶりだなモロー!もう本当に焦ったわ、何か俺仕事のミスしちゃったかなって、全く生きた心地がしなかったよ。怖い人だったらどうしようかともう……」


 入室時の声からは見る影もない、ヘロヘロと緊張が解けたような声でモローと親しげに話す。モローも、そんな彼に対し笑顔で答えた。


「あはは、変に怖がらせてすまないね。こっちの事情で急遽尋ねることになってしまったんだ。」

 

「事情?わざわざお前が出向いてくるってことは、あまり良い内容ではないみたいだな?まぁ座ってくれ。」


 そう言うと二人は椅子に座り、机を挟んで対面する。モローはカバンから一枚の書類を取り出し、ベルナールに見せた。


「これは……」


 突然見せられた書類に困惑するベルナールを前にして、モローは続ける。


「スイスの鉱山開発の”Mt.up(マウント・アップ)”って会社があるだろ?うちの諜報課が調べたところによると、Mt.up社と別の軍需会社とスイスの資源庁の間で、不自然な金融・鉱物の取引の疑いが浮上した。」


 モローが声を抑えながら言うと、ベルナールは驚くとともにモローに食って掛かった。


「ちょっと待て、フランスの諜報課がスイスの資源庁や他会社を調べてたなんて、それってほぼ内政干渉な——」

 

「言いたいことは分かる。だがひとまず最後まで聞いてくれ。何故フランスがスイスの会社や庁を調べていたか、その理由なんだが、フランス帝国議会の管轄省庁で、軍を司る”軍務省”という省がある。そこのトップである総参謀本部長が、その取引に一枚噛んでる可能性があるんだ。」


「フランス軍のトップが、隣国の不正取引に関わっている……!?それって他に漏れたら大変なことになるのでは……もしかしたら国際問題にまで発展するかも……」


 ベルナールは声を抑えながらも、ひどく動揺したように言った。モローは彼を宥めると、話を続けた。


「今のフランス軍部はあまりに肥大化し、文民政府のコントロールを外れ、挙げ句にはその政府の存在すら脅かしている。私はそんな軍部の在り方は、銃後のフランスのためにはならないと思っている。だからこそ、現総参謀本部長を失脚させ得る確固たる証拠が欲しいんだ。ベルナール、協力してほしい。」


 モローは拳を握り、演説するようにベルナールを説得する。話を聞いた彼は、左手を顎に添えて勘案した。やがてベルナールはモローの目をまっすぐ見つめて言った。


この国(スイス連邦)の将来のためにも、そういった汚職や不正は、一人の公務員としては見逃せない。それに、お前の頼みなら尚更な。協力しよう。」


「本当か!ありがとうベルナール!」


 二人は力強く握手を交わした。やがて二人は応接室を出て、並んで歩く。モローはベルナールに尋ねた。


「ひとまずは金の流れを調べようと思う。金融庁に連絡を取れる人はいるか?」


 モローの質問に対し、ベルナールは自信満々に答える。


「任せてくれ。仕事柄、金融庁には何度も足を運ぶ機会があったからな。話せるやつは何人かいる。そいつに連絡を入れてみるよ。あぁ、あとその事件なんだけど、僕も個人的に調べてみる。」


 去り際、モローは振り返ってベルナールに言う。


 「気を付けろよ。この案件は社長二人と庁長、うちの総参謀本部長が絡んでるんだ。もし身に危険が及ぶようなら、その時は身を引いてくれ。」


 モローの心配する声に対し、ベルナールは振り返ることなく、左手の掌を振って返した。


 「言われなくともそうするさ。お前も気をつけろよ。」


 モローは階段を登って行くベルナールの姿を見届けた後、スイス資源庁舎を出た。


 *


 「今度はここだな……」


 スイス資源庁舎を出たモローは、近い場所に位置するスイス金融庁の庁舎を訪れていた。


「ベルナールが渡してきたこの紙……”スイス金融庁 不正監査委員会 アーノルド”。こいつに話しかけろって言ってたけど……」


 モローは資源庁の時と同じように、フロント職員に話しかけ、応接室に通される。今度の応接室はお茶が出てくるあたり、さっきの場所よりかはマシだなと考えた。


 待つこと数分、やがて一人の男がノックとともに入室する。モローは立ち上がり、右手を差し出した。


「フランス帝国中尉、南部作戦本部副部長のジャン・モローと申します。」


「スイス連邦金融庁不正監査委員会、アルバート・アーノルドです。ベルナールから話は大まかにですが聞きました。正直な所、いくら親友の頼みといえども、初対面の貴方の話を全面的に信じろというのは無理がありますので、私個人としてはできる限りの協力に留めさせていただきます。」


 二人は椅子に座って、資源庁の時のように対面する。つい数十分前と似たような景色に、モローは既視感を覚えた。


 「それでも構いません。ご協力感謝致します。さっそく本題なのですが、スイスの鉱山開発会社”Mt.up”社の口座に不自然な取引やお金の動きがなかったか、調査してほしいのです。」


 瞬間、アーノルドの眉が釣り上がる。


「モローさん、その要求はスイス連邦金融庁職員として受け入れられません。庁としても、理由もなく企業の口座をチェックするのは、プライバシー的な観点からなんとも……」


 アーノルドの難色にも、モローは諦めずに質問する。


「では!Mt.up社が出している年度末確定予算執行報告書を見せてはもらえないでしょうか!」


 これに対しても、アーノルドは唸って暗に難色を示す。やがてアーノルドは口を開いた。


「少し待っていてください。」


 そう言い残すと、突然アーノルドは部屋から退出する。モローは、アーノルドを待つ間、静かな部屋で一人、思考を巡らせた。


「(お金が急に湧いて出てくるはずがない。となると、着服や賄賂として使った金額を他の項目と一緒くたにして記入しなければ、収支が合わないはず……口座内の金の動きがわからなくても、せめて執行予算の細かい内訳が確認できれば……)」


「お待たせしました!」


 勢いよくドアが開くと、アーノルドは一枚の紙をモローの目の前に置いた。


「それがMt.up社の、去年度のものにはなりますが、予算執行報告書になります。」


 モローが近くで見ようと、その書類へ手を伸ばそうとすると、アーノルドが掌を突き出して制止する。


「これは機密文書のコピーです。持ち帰りは厳禁なので、頭の中に入れるか、もしくはメモ帳に、他人が見てもわからないようにメモする程度に留めてください。この後この紙はシュレッダーにかけて処分します。」


 アーノルドは、言いたいことを終えると掌を引っ込めた。モローは書類を手に取り、まじまじと見つめる。


「土地代、建物修繕費、施設内設備修繕費、人件費……なんだ?”特別貸付費”?」


 モローは報告書の隅の方に記載された一項目に目が留まる。モローは懐疑的な目でアーノルドに尋ねる。


「ここの”特別貸付費”の内容って分かりますか?」


 アーノルドはモローが指摘した項目を横から覗き見ると、首を傾げる。


「いえ、項目ごとの内容までは……にしても特別貸付費ですか、銀行でもないただの一企業が何を貸付……」


 どうやらアーノルドも、この怪しい項目の存在に疑問を抱いたようだ。


「ではMt.up社の経理部に、ここの項目の詳しい内訳について、訊いてはもらえないでしょうか?」


 「そのくらいならば、普通の監理業務として自然に訊くことができるでしょう。私の方から経理部に訊いてみます。」


 アーノルドは頷いて承諾する。手ぶらでフランスに帰るようなことにはならなそうだと、モローはホッと胸を撫で下ろした。アーノルドは手元の腕時計を一瞥すると、モローに向き直った。


「私はそろそろ仕事に戻らねばなりません。この書類はもう処分しますが、よろしいですか?」

 

「大丈夫です!本日はありがとうございました。」


 モローは深々と頭を下げると、アーノルドは書類を回収し、部屋を出た。一人残されたモローは思考を巡らす。


「恐らくあの項目が不正資金の隠れ蓑として機能していることは間違いないだろう。あとは確固たる汚職の証拠にさえ辿り着き、ロランとの繋がりを立証できれば、ロラン総参謀本部長を失脚させられるかもしれない……ロランの追手がくるのも時間の問題なはず。うかうかはしていられない……」


 モローは冷えきった茶を飲み干すと、ドアノブに手を掛けて応接室を出た。

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