第45話 【特賞 SSR】新妻優子の罪禍 4
次の土曜日の十九時、俺は黒沼先生と班目と三人で、ヤシノキ団地に来ていた。
「集まったな」
「うん」
「こんな夜遅くに男子高校生二人を連れて、一体私は何をやってるんだ……」
はぁ、と先生はため息を吐き、頭を抱える。
「先生、今日は頼みましたよ」
「分かった、分かったから……」
先生は資料を持ってやって来ていた。
「これで十上君の妄想だったらかなり迷惑なことしてるね、僕ら」
「でも十上くんは実際に新妻さんがいじめられてたのを一回止めてる実績があるからねぇ……」
「嘘⁉ 新妻さんっていじめられてたの⁉」
そうだ。俺には秘密ガチャがある。二人には伝えていないが、確かな情報源があるのだ。
「実は俺には……」
「あ」
秘密ガチャのことについて言おうかどうかと迷っていたその時、班目が声を上げた。
「あそこ」
「え?」
班目の指さす先には、新妻さんがいた。
「なんで⁉」
「新妻さんはここを通って帰るんじゃなかったのか⁉」
「僕たちがいるのを見つけてルート変えたのかも……」
「とにかく行くぞ」
俺たちは新妻さんの部屋へと向かった。
「もう入ってる……」
俺たちが新妻さんの家にたどり着いたときには、もう新妻さんは家に入っていた。
「どうしよう」
「また今度にしようか?」
班目と先生が諦めムードで俺を見る。
「いや」
俺は新妻さんの部屋の近くまで行き、耳をそばだてた。
「十上君、僕ここに住んでるんだけど、こんなのが見られたらいよいよ僕も変態扱いだよ」
「し」
静かに耳を凝らすと、新妻さんの家から声が聞こえてきた。
『また夜遊びか』
「……」
俺たちは視線を交錯させる。
『お前は本当に愚図だな。何も出来ない、何の才能もない。お前のような娘を持って俺は恥ずかしい。毎日毎日遊んでばかり。お前は自分を恥じたことはないのか?』
『すみません……』
声が静かに、聞こえてきた。
「インターホン押しますよ」
「やっぱりまた今度にした方が良いんじゃ……」
聞くより前に、俺はインターホンを押した。
「はい」
新妻さんの家から、父親と思わしき人物が顔を出した。黒沼先生がぱっ、と立ち上がり先生の顔になる。
「新妻優子さんの担任の者です。今回、優子さんの件について少しだけお伺いしたいことがあり、参りました」
「…………」
男は俺たち二人を見た。
「この二人は?」
「二人は優子さんのことをよく知る同級生です。お話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか」
「教師風情が越権行為だな……」
男は後方を振り返った。
「新妻さん」
俺は新妻さんの家の中へ声をかけた。
「こんな夜遅くに高校生を引き連れて、迷惑だとは思いませんでしたか? 即刻お帰り下さい」
男が閉めようとしたドアを、俺が掴む。
「十上くん」
先生が俺を制止する。
「帰りませんよ。あなたが虐待を止めるまでは」
「虐待?」
いかにも、何も知らないといった風体で男はしかめ面をする。白々しい。
「あんたは新妻さんに……優子さんに虐待をしている。違いますか?」
「人の教育方針に口を出すな坊主。それに虐待などしていない」
「嘘を吐くな」
俺は再び部屋の中にいるであろう新妻さんに声をかける。
「ちょっと、うるさいんだけど……」
新妻さんが出てくるよりも前に、母親が出て来た。
「また周りの人にぐちぐち文句言われちゃたまらないんだけど。え、何?」
女は先生と俺たちの顔を見て、怪訝な顔をする。もう先生も俺たちも引き返せない。先生の顔を見てみれば、引きつっていた。
全て俺が招いたことだ。もしこれが俺の勘違いだとしても、俺は全責任を自分で負う。
「俺は虐待などしていない。先生、勘違いですよ。即刻お帰り下さい」
「じゃあなんで優子さんは出て来ないんでしょうね。あんたらが対応しないと新妻さんが虐待を受けていることがバレるからだろ。違うか?」
「……」
男はドアを掴んだ手に力を入れる。
「娘の一人や二人見せることも出来ない親なんて聞いたことないなぁ。虐待してんのは知ってんですよ」
「してないって言ってるだろ! 根も葉もないことを言うな!」
男は激高した。
「じゃあ優子出せよ!」
「お前らのような若造に従う必要はないだろ!」
家の前で口論になる。
「出て来い優子! お前が、お前の意志で、直接、出て来い!」
俺は新妻さんを呼んだ。
これだけ大声を上げても、近隣の住民は誰も出て来ない。
当然だろう、誰もトラブルには巻き込まれたくないのだ。これが今を生きる人間の意志だ。近隣の住民がどれだけ不幸な目に遭っていようと、トラブルに巻き込まれていようと、自分には全く関係がない、とそ知らぬふりをして、自分が害を被ることを忌避する。
絆も愛もない、他者を他者として切り捨て、力を貸さず、見て見ぬふりをする。人間関係を切り捨て、損得勘定で動き、自分にとって利益にならないと判断した人間は友人であろうと切り捨てる。子供であろうと見殺しにする。
今を生きる人間の意志が、今までずっと、多くの子供たちを犠牲にしてきた。虐待を見て見ぬふりをして、自分には関係ないと切り捨てた結果が、子供たちに惨状をもたらした。
俺たちが守るべきものは何だ。自分か? はたまた世間体か?
違うだろ。俺たちがそうやって切り捨てたから、犠牲になった人がたくさんいる。俺はそんな未来は、望まない。
「出て来い、優子!」
「黙れ!」
新妻さんの家に何度も大声で叫んだからか、部屋の奥から新妻さんがやって来た。
「新妻さん……」
「十上くん……」
新妻さんは暗い顔でうつむいている。
「出て来なくて良い、優子!」
父親が声を荒らげた。
「新妻さん、こっちに」
「…………」
新妻さんは次の一歩を踏み出さない。
「新妻さんが今の状況に満足しているのなら、それで済む話なんだ。今新妻さんは幸福か? なにも嫌なことはないか? もし何かあるのなら、こっちに、来い!」
「下がっていろ、優子!」
新妻さんは親と俺を交互に見る。
「来い!」
「優子!」
「……」
新妻さんは逡巡の末、少しずつこちらに寄って来た。
「お前は下がっていろ!」
父親がドアから手を離し、新妻さんの肩を掴む。
「新妻さん!」
俺は家の中まで入り、新妻さんの手を掴み、抱き寄せた。
「お前!」
俺はそのまま新妻さんを家の外まで連れて行った。
「十上くん……」
「新妻さん」
新妻さんは裸足のまま、外へ出た。
「こんなことをして許されると思ってるのか」
「虐待よりは」
「そんなことはしていないと言っているだろう!」
黒沼先生が新妻さんを保護する。俺は新妻さんを見た。
「新妻さん、その服の下、見せて」
「はぁ?」
新妻さんの両親が顔をしかめる。
「俺が嫌なら先生にだけでも」
「参ったなこれは……。結局優子のストーカーか何かじゃないか」
男は、ははは、と笑う。
「大丈夫……」
新妻さんは服をぺら、とめくった。
「いや」
「嘘……」
新妻さんの体には、大きな青あざと、コテで焼いたような、火傷でただれた皮膚が、無数にあった。
「何これ……」
新妻さんの母親も口元に手を当て、驚いた顔をしている。
そして、
「なんだ、お前それは……」
それは父親も、同様だった。
「あなたたちがこれをやったんでしょう。驚いたふりをしても今さらですよ。警察に突き出します」
「違う! 俺たちは本当にそんなことはやっていない!」
「自分で!」
新妻さんが大きな声を上げた。
「私が自分で、やりました」
「……」
「……」
「……」
どういう、ことだ。
俺たちの視線は、新妻さんに注がれた。
「自分で自分を罰しました。コテで焼いたのも、私が自分でやりました」
新妻さんは俯いたまま、言う。
「新妻さん、何言ってるんだ。もう隠さなくて良い。何かあったら俺が絶対になんとかする。だから本当のことを」
「本当に! 自分で、やったの」
「…………」
新妻さんはぽつぽつと話し始めた。
「優子、お前、何故そんなことを……」
「私がダメな子だから……」
「ダメな子……」
「私には何の才能もないから。勉強も出来ない、家庭科も出来ない、技術も裁縫も料理も何も出来ない。ダメダメな自分だから、お父さんに叱られるたびに自分で自分を罰しました」
「……」
父親に視線が注がれる。
「そんなことをやれと指示した覚えはないぞ!」
「お父さんが私はダメな子だってずっと言い続けるから。私には生きてる価値がないと思いました」
「そんな……誰がそんなことをしろと頼んだ!」
父親は声を荒らげる。新妻さんは父親の声を聞き、身を縮こまらせる。
「勉強も出来ない私だから、ずっとお父さんに怒られて、何も出来ないから生きる意味がないって言われて、全部取り上げられて、私、私はダメな娘だから……」
新妻さんが涙を流しながら、その場にぺしゃん、と座り込んだ。
「ダメな自分を変えたくて、何も出来ない自分を変えたくて、お父さんに怒られるたびに自分にバツをつけてたのに、でも全然何も良くならなくて、お父さんはずっと怒ったままで、お母さんは私を見てくれなくて。私、私、自分がどうすれば良いか分からなくて。自分で自分にバツをつけることしか出来なくて」
母親は目を見開き、新妻さんを見る。
「私は何も出来ないから、私は生きる意味がないから、私は何しても上手くいかないから。怖くなって、お父さんの期待に応えられなくて、そのたびに怒られて、それが怖くて、自分が情けなくて。誰の役にも立たないのに生きてる自分が嫌いで」
新妻さんは嗚咽しながら、言う。
「私ダメな娘だから、だから、自分で自分にバツをつけてないとおかしくなりそうだったから」
「……」
人を壊すのは、何も暴力を伴う虐待だけでは、なかった。
新妻さんは両親から何も期待されず、育ってしまった。
両親から愛情を受けず、育ってしまった。新妻さんのやることなすことに親は怒り、出来なかった新妻さんを責め、生まれてからずっと新妻さんのことを責め続けたんだろう。
出来ることには目を向けず、新妻さんを叱ることで新妻さんを意のままにコントロールしようとした。新妻さんはそんな親の歪んだ思いを受け、自分を罰するようになってしまった。自分の体を自分で焼くことで、自分が出来ないことへの戒めにしようとしたのだろう。
それは確かに、虐待ではないのかもしれない。だが、確実に、着実に、新妻さんの精神を蝕んでいった。自分は出来ない子供だから。自分は期待に応えられない子供だから。そうして新妻さんは、自分自身を罰するようになっていった。誰に言われずとも、父親の怒りを買うたびに、そのたびに自分を罰していったんだろう。
新妻さんの自己肯定感の低さは、両親から愛情を受けていないことに起因していたんだろう。そんな自己肯定感の低さが、今の現状を作ってしまったんだろう。新妻さんは自分を罰することでしか、自分を保つことが出来なくなっていた。
新妻さんの体はひどく焼けただれ、大きな青あざを作っていた。脚も同じく青あざを多く作っていた。
「新妻さんはダメなんかじゃないよ」
俺は新妻さんに手を差し伸べた。
「新妻さんはそのままで自分を肯定していい。自分を肯定する人は新妻さんだけだ。自分に罰を与えるんじゃなく、自分が出来たことを数えていった方が良い」
「ひっ……」
新妻さんが嗚咽する。新妻さんは俺の手を借り、立ち上がった。
「私、ずっと、ずっと十上くんに助けてもらってばかりで、自分で何も出来なくて、いじめられてたのも十上くんが助けてくれて、もう十上くんに頼ってばかりじゃダメだって思って、自分で何とかしないといけないと思って」
「大丈夫。大丈夫」
俺は新妻さんの背中をさする。
「お父さん、お母さん、お二人は優子さんが何かが出来ないたびに罰を与えてはいませんでしたか?」
「……」
「優子さんのテストの点が低いたびに叱責したりしませんでしたか? 優子さんが出来たことには何も褒めず、出来なかったことに怒りませんでしたか? 今まで優子さんがどんな気持ちでお父さん、お母さんと接して来たか考えたことはありますか? 優子さんがどんな気持ちで暮らしていたか、少しでも考えたことはありましたか?」
「……」
「優子さんは毎日学校で白米だけを食べてましたが、それはお父さんとお母さんの罰によるものではなかったですか? 優子さんに罰を与えることが、優子さん自身の能力への責任だと思われてたんじゃなかったですか?」
「……」
「自分の子供を大切にしてやってください。出来なかったことを数えるんじゃなく、出来たことを数えてあげてください。優子さんは自分を責めてる。あなたたちが愛情を与えなかったから、優子さんは自分を肯定できなくなってる、傷ついているんです。自分がやったことに責任を見出して、自分を罰してる。もし可能なら、優子さんを褒めてあげてください。愛してあげてください。構ってください。抱きしめてあげてください。そして間違っていたのなら、叱責してください。出来なかったことを怒らないでください。新妻さんにこれ以上自分を責めさせないようにしてください。子供のことを、もっとよく見てやってください。お願いします」
父親と母親は目を合わせた。
「優子、そんなこと、今まで気付かなかった……悪かった」
父親は新妻さんに、頭を下げた。
「新妻さん、これ以上自分を罰するのは止めてくれ。何か困ったことがあったなら俺に言ってくれ。一人で出来ないことがあったなら、俺を頼ってくれ。人の手を借りることを恐れないでくれ。前も言っただろ? 新妻さん、これからは一人で、悩まないでくれ。人の手を借りることを恐れないでくれ。分かった?」
「うん……」
俺は小指を立てた。
「約束ね」
「うん、うん……」
俺は新妻さんと指切りをした。
「指切りげんまん嘘吐いたら針千本飲ます。指切った」
新妻さんは、涙を拭いながら、笑っていた。
今まで新妻さんを蝕んでいたのは、新妻さん自身の、心だった。他人でも誰でもない、新妻さん自身の心が、ずっと新妻さんを苦しめていた。
新妻さんは両親に思いの丈を伝ることが出来て、もしかすると、今までよりも、もっと良い関係が構築できるのかもしれない。




