我が家への帰還
「それでは、明日からは夏季休業となるが、各々鍛錬を忘れずに。来学期で皆無事に再びここに戻るように」
学園長の全体への話が終わり、各自の教室に戻るとヨンドはそう言った。ミリアベルとミアータは連れ立って教室を出て、いつもの面々と待ち合わせのために正門に行く。途中でピュリエやミュートと会い、四人で話をしながら進んでいく。
目的の場所にはすでに男子陣とマリアベル、リオーネがいた。
「待った?」
「全然」
ピュリエの言葉にそう返し、マリアベルは笑う。
「それじゃあ、またしばらくは会えないわけだし、ぱぁーっと行きますか」
ヨルダンが言い、キーンとピュリエがそうしよう、と笑う。仕方がないなあ、とあきれ顔のクロフォード。静かに笑うイーゼルロット。リュートとリオーネが談笑する。マリアベルやミアータ、それに自分がいる。
またこうして、皆で集まれるといいな、とミリアベルは思った。
その後、少年少女たちはしばしの別れの前に年相応に騒ぎ、遊んだ。そして、実家に戻る双子の姉妹は仲間たちと次の再会を約束して、学園を後にした。
街の中心街である繁華街にある、大きいが質素な屋敷。それは、ミリアベルが生まれる前、アルゲサス家の屋敷があった場所であった。かつての戦いで損壊した屋敷を父クィルは立て直した。ミリアベルやマリアベル、それに父母、時たま訪れる客人で毎日が楽しかった思い出がある。学園生活中は寮での生活が基本であるため、二人とも実家に戻るのは久しぶりであった。
その日も両親は忙しいらしかったが、屋敷の留守を預かっているアルゲサス家の家老のルースキンと双子の世話役もしていたリオネットが二人を迎えた。二人とも年老いた亜人であり、長い間アルゲサス家に仕えてきたという。先代アルゲサス家当主ヨトゥンフェイムからも信任が厚かった彼らは、戦後の混乱期も父母を助けた。双子にとっても、家族のような存在だ。
「お嬢様方はまた、お美しくなられて」
リオネットがそう言い、優しく双子を抱きしめる。ルースキンは穏やかな笑みを浮かべてそれを見ている。妻であるリオネットとの間にいた実子はかつての戦争で死亡しているため、二人は双子を子供のように愛していた。
「さあさ、お部屋に。毎日手入れをしていますし、あの時から変わっていないんですよ。もうしばらくすれば、坊ちゃんもエノラさんも帰ってきますしね」
嬉しそうに言うリオネットは夫に案内を任せ、自分は食事の準備に向かう。ルースキンは双子の荷物を預かると、二人を先導する。
「あ、そうだルースキン」
そう言い、ミリアベルが腕に抱いた仔猫を見せる。
「この子のお世話、大丈夫かしら。友人から預かったのだけれども」
そう言い、シャンクシーションクを見せると、ルースキンは一度、少女たちに気付かれないように目を細め、じっと仔猫を見る。だが、何事もなかったかのように笑い、「大丈夫ですよ」という。
シャンクシーションクは小さくニャン、と鳴いた。よかったね、と双子が猫の頭を撫でた。
そのあと、帰ってきたクィルとエノラが食卓に着く。ルースキンやリオネットも使用人ではあるが、家族として同じ卓につく。それがアルゲサス家の習慣である。帰ってきたのだな、と実感する双子に、クィルらは先日は効けなかった学園のことについて尋ねる。ミリアベルとマリアベルは自分たちのことを話す。良き友人のこと、教師のこと。それを楽しそうにアルゲサス家の者たちは聞く。
穏やかな時間が流れる。
家に戻り、一夜が過ぎた。
マリアベルは早朝、彼女の剣術の師に会いに行くために家を出ていた。彼女の住む場所はここより少しばかり離れた場所にあるため、時間がかかる。師匠に足を折らせるわけにはいかない、と言って双子の妹は出ていった。ミリアベルも彼女には挨拶しようと思っていたが、マリアベルとはいかなかった。師弟で水入らずで話もあるだろう、と言う気遣いであった。それに、騎士クラスのマリアベルとは基礎体力が違う。双子ではあるが、ミリアベルは典型的な魔術師の肉体であり、それとは逆にマリアベルは典型的な騎士型であった。
綺麗に才能が分かれたなあ、と知り合いや家族からは言われていたなあ、とミリアベルは思い出す。
自分の部屋で世話をしているシャンクシーションクの毛並みを整えてやると、仔猫はごろごろと喉を鳴らし、気持ちよさそうにあくびをした。ただじっとしているだけでもむっとする暑さであるため、ミリアベルは冷気の魔術を唱え、部屋の温度を少しだけ下げた。
夏も盛りになってきた。こういう時は、どこかの泉で泳ぎたいな、とミリアベルは思った。
そう言えば、とミリアベルはいつかピュリエらと話していたことを思い出す。精霊湖のことを話していたが、あのことをほかのみんなは憶えているだろうか。男子陣は用事があるとはいえ、ピュリエやリュート、リオーネ、ミアータは特にそう言った用事についてはいっていない。
後で連絡を取ってみよう、と思い、ミリアベルはごろりと寝転がる。仔猫も彼女の横であおむけに寝転がる。フフ、と笑いミリアベルは仔猫の腹を撫でると、くすぐったそうにニャァン、と鳴いた。
マリアベルは共和国の街並みを抜け、ひっそりとした森の中を進んでいく。かつては凶悪な魔物の巣窟であり、魔族国であった頃の共和国を人間の手から守ってきたベスティア大森林。かつての戦いで森の規模は縮小したが、今なお広大な森林を誇る。魔物たちは周辺住民により大部分が駆逐されている。
その大森林の中に、マリアベルの剣術の師は棲んでいる。彼女はこの世界とはまた違う時間の流れる空間に降り、その空間の裂け目が森林の中にある。あまり師が出てくることはないが、マリアベルが子どものときはよく来ていた。ミリアベルは魔術に興味を示したが、マリアベルは剣に憧れた。そのため、彼女が師に教えを乞うのも当然であった。
彼女の師は、かつては魔神として怖れられた存在であり、史上最強の剣士『剣聖』である。伝説ともいえる存在である師は、厳しさの中に優しさもあり、マリアベルに剣を教えてくれた。学園に入る前に師事じたマリアベルはそのまま学園などに行かずに師のもとで剣を極めようとしたが、師がそれを了承しなかった。剣以外にも学ぶべきことはある、ということであった。
師の勧めに従い、ミリアベルとともに学園に通うマリアベルだが、長期休暇となると、師のもとで鍛錬に励む。師もそれを咎めはしない。
しばらく歩き、裂け目までたどり着くと、マリアベルはそこに入っていく。緑色の景色が一変し、灰色の荒野が広がる。そして、荒廃した城が彼女の目の前にそびえ立つ。
アウンガル。それが城の名前である。
城に向かって歩き出すと、城の門に誰かが立っていることに気づく。凛々しい顔の、若い女性。騎士の礼服に身を包み、鞘に収めた剣を腰から下げている。穏やかに彼女は笑い、マリアベルを見る。
「よく来たな、マリアベル」
「はい、師匠」
師、レヴィア=ツィリアに頷き返し、マリアベルは笑った。
若々しい外見であり、まだ二十代前半の容姿のレヴィア=ツィリアだが、彼女はすでに6世紀近い年月を過ごしている。魔神、と呼ばれるモノであり、ヒトや亜人とは構造が違う。かつては彼女も人であったが、あるきっかけで人を超える存在となった。その時のことをレヴィアはあまり語ろうとはしない。
6世紀もの間、彼女は世界で最強の剣士であり、彼女を超える剣術の達人は生まれなかった。それは、今現在であってもである。
「この世界は変わりませんね」
「それはそうだ」
かつてレヴィア=ツィリアが作り出したこの世界は、時の流れが非常にゆっくりとしている。かつての戦いで祝福が失われ、レヴィア=ツィリアの時を操る能力は消えた。老いを知らなかった彼女も、常人と比べればゆっくりであるが、肉体の老いは始まっているという。それでも、彼女の美貌は変わることなく、輝いてマリアベルには見える。
「それよりも、マリアベル。今日ここに来たのは、あいさつのためだけか」
そう言うと、ニヤリとレヴィアは笑う。
「久々に剣を交えようと思ったが、準備は大丈夫か?」
マリアベルは自分の愛剣を掲げてみせる。
「勿論です」
レヴィア=ツィリアは自身の愛剣にして、剣聖の証、『剣聖剣』を構える。対するマリアベルは、剣匠オクスナフの作った魔法剣リーゼルを構えている。剣聖剣と比べれば可愛いものだが、これも持ち手を選ぶ魔剣の一種である。レヴィアがドワーフの匠に造らせた一品であり、マリアベルの宝でもあった。
いつか、マリアベルが自分を超える剣士となった時に、この剣を渡そう、とかつてレヴィアは剣聖剣を見せていた。
「いくぞ」
「はい」
すう、と息を吸うマリアベル。そして、二人が動き出す。マリアベルは自分の持てる力をすべて出す。一方のレヴィアは勿論全力ではない。だが、決して手は抜いていない。愛弟子の成長を確かめるように剣を受け止め、適度に反撃する。
「ッ」
マリアベルがレヴィアのフェイントに気づき、身を反らす。レヴィアは笑い言った。
「なるほど、いい競争相手がいるようだな、学園には。動きが春ごろよりも格段に良くなっている」
「ありが、とうござい、ます」
息を切らせながら言うマリアベル。
加減はしていても、レヴィアの剣を受け止められるマリアベルは同年代の中でも群を抜くだろう。それでも世界は広い。彼女と同じか、それを超える使い手はまだまだいる。レヴィアのもとで師事していただけでは、それを知ることなく、傲慢になってしまう。そうなることを恐れてレヴィアは学園に入ることを進めた。そして彼女の期待通りにマリアベルは学び、心身ともに強くなっている。レヴィアは喜びに顔をほころばせた。
マリアベルの剣を弾き、「そこまで」と言う。息を切らせたマリアベルが姿勢を正し、「ありがとうございました」と礼をする。
「またしばらく休みはここに来るのだろう?」
「はい、ご迷惑でなければ」
「迷惑などと、とんでもないよ」
そう言い、師は少女の頭を撫でる。
「いつでもおいで、マリア。私は君のことは特に可愛がっているのだから」
さあ、ご飯にしようか、とレヴィアは言う。マリアベルは頷き、剣をしまうと師と並んで城に向かって歩いていく。