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世界を渡る者

夏休み、ということもあり、生徒たちは浮足立っている様子であり、それはミリアベルたちも同様である。魔術師の卵である彼女らはまだまだ大人にはなりきれていない。それはいけないことではなく、むしろ好ましいことである。子供は子供らしく遊び、学ぶ。そうやって大人になっていけばいい、と常々ディエゴは思っている。ディエゴらが子どものころは、年齢など関係なしに政治や戦争に巻き込まれたものだ。ディエゴも実戦を経験したのは十四歳であった。人を殺す感触。それは非常に冷たく、恐ろしいことであった。

今の子どもたちは、そのような経験をする必要はない。戦争は終わった。悪夢は終わったのだ。

フゥーッと煙を口から吐き出す。共和国にはさまざまな品が輸出入されており、その際にディエゴも上等な煙草を買っている。麻薬などは共和国をはじめ、各国は取引を禁止しているが、煙草は規制対象ではない。十六歳ごろ、戦場で吸って以降、ディエゴは愛煙家であった。


「またそのようなものを」


「よぉ」


声をかけてきたヨンドに片手を上げてこたえるディエゴ。フン、と鼻息を突き、軽蔑の目で見るヨンド。健康に害がある煙草を好き好んで吸うなど、馬鹿ではないか、という小言を聞くのはもうお約束であった。

いいじゃあねえか、生徒もここには来ねえ。そう目で言うディエゴに、ヨンドは肩を落とす。


「まあいい。それより、聞いたか?」


ヨンドが問うと、ディエゴは小さく頷く。

二人の間で話されている話題は、学園長から任されたある密命について、である。

例の事件以降、英雄たちをはじめ、各国で秘密裏の調査が行われているが、未だ手がかりは見えていない。ディエゴとヨンドは近々学園が休み期間に入るため、その期間中、その情報を集めるため、それぞれこの地を離れるのだ。

ディエゴもかつては名をはせた勇士であり、各地にコネクションがある。ヨンドも彼女の師や仲間の魔術師のつてをたどり、情報を集めることを命令されていた。

彼らはそのことに不満はない。こうして学園で教えることは、大変ではあるがやりがいを感じているのだ。人を殺す方法ではなく、守り未来を切り開くため。そのために自分たちの知識と技術が継承されることは、うれしいことであるから。





イーゼルロットは仔猫を肩に乗せ、照りつける夏の日差しを睨んだ。灼熱の光が水分を奪う。女学生たちが姦しく騒いでいるが、そちらには興味も示さず、イーゼルロットはシャンクシーションクに語りかけた。


「イルイーネ。僕はしばらく学園から出る」


兄の言葉に、仔猫はつぶらな目を向け、問いかけた。


(どうして?)


「・・・・・・確かめたいことがある」


そう言う兄の顔は、イルイーネにとっては怖いものであった。兄がこのような表情をするのは、あの話題の時だけであった。立った二人だけの家族だ。言葉がなくとも、わかる。


(私は、邪魔?)


「お前を傷つけたくない。あいつだとしたら、お前をどうするか。考えただけで僕は・・・・・・」


兄の優しさを感じ、イルイーネは静かに頷いた。


(その間、私はここにいればいいの?)


「いや、ミリアベルたちの家でしばらく面倒を見てもらうんだ。姿は猫のままで、な」


すでに話はつけている。イルイーネとて、ミリアベルのことは嫌ってはいないし、ミリアベルも快諾してくれた。


(そう。わたし、あの人は好きよ)


イルイーネはそう言い、小さく鳴いた。そうか、とその頭を撫でてイーゼルロットは遠くを見る。

その目は、この世界ではないどこかを見ていた。


(親父・・・・・・)







イーゼルロットにとって、父はもっとも憎い存在であった。母と父がいて自分が生まれた。そう考えても、憎しみしか生まれなかった。

父と母は愛によって結びついていたわけではない。父による、一方的な行為による結果として、イーゼルロットは生まれたのだ。そこに、愛はあるはずがない。

父親はイーゼルロットを道具としてしか見ていなかった。母親の一族であるファーレンハイトに預け、暗殺者に育てようとした。自分を守ろうとする母は、父の奴隷であり、毎日痛めつけられていた。そして、弱った体でイーゼルロットを抱きしめる。他人の血に塗れ、虚ろな目で母を見返すイーゼルロットに「ごめんね」と呟く。頬を涙が伝い、哀しみが溢れた。

全てが滅亡した世界で、母と息子は生きた。過酷な現実の中、生き残るために他者を殺した。同い年の子どもも、大人も、ニンゲンも魔族もエルフも、すべて。そうしなければ、死んでいたから。

父は神であった。あの世界で父親は神であり、絶対者であった。彼は世界を統べ、世界を超え、そして滅ぼす存在。

やがて妹も生まれた。イルイーネと言う名の少女は、生まれた時よりある呪いを抱えていた。その呪いのせいで、父親から目をつけられていた。

いつか、自分よりも過酷な目に遭う、と幼いイーゼルロットは確信した。そして、強くなろうと思った。

母と妹を守るために。

母は妹を愛し、イーゼルロットを愛した。二人も母を愛した。

けれども、その母が死んだ。

母の死の原因は父であった。父による、狂気の拷問じみた行動により、母は死んだのだ。母の死により、おもちゃを失くした父は、妹に目をかけた。まだ、七歳になったばかりの妹に。

イーゼルロットは妹を連れて逃げた。この世界のどこに逃げようとも、そこに逃げ場はないのをわかっていながら。それでも、一縷の希望にかけて、イーゼルロットは逃げた。

暗闇の中、絶望の中、奔る。その中で、妹の小さな体を抱えるイーゼルロットは、息も絶え絶えであった。


「お兄ちゃん」


「待ってろ、イル」


必ず救ってやるからな、そう言うイーゼルロットだが、彼の顔に刻まれた刻印がドクン、と疼く。痛みに顔を顰め、叫びそうになるが口を強く噛みしめ、彼は耐えた。脳裏に声が聞こえた。


(我が息子よ、その刻印がある限り、貴様は逃れられぬぞ)


父の声だ。邪悪で、尊大で、神を気取る者の声。それに耳を貸さず、イーゼルロットは奔り続ける。

顔の左側を大きく覆う竜の文様が、蠢く。痛みはさらに激しくなる。

イーゼルロットは倒れ込む。「お兄ちゃん!」イルイーネの声が聞こえる。膝をついた少年は、イルイーネを見る。


「イル、ごめんよ。お前を救ってやれなくて」


背後の闇で蠢く気配を感じながら、イーゼルロットは言う。このまま自分は殺されるだろう。父に、神に逆らった罰として。そして、妹はあの外道の手に落ちる。母やほかの女性たちと同じように死ぬのだ。


(どうして・・・・・・)


どうして、この世界には神も希望もないのか。救いを差し伸べる手はない。いつだってあるのは絶望と闇だけ。生まれてきた意味さえ分からずに死ぬのだ。妹は死ぬために生まれたのか、自分は、母は、この世界は?

理不尽だ。あまりにも理不尽だ。


涙を溢すイーゼルロット。後ろから迫る気配が、ついに姿を現す。かつては人や魔族であったモノたちは、その醜い容貌を現した。混じりあい、グロテスクな怪物たちがその牙をむき、イーゼルロットに襲い掛かる。少年は苦無を構え、覚悟をした。

その時。

怪物たちの身体が切り飛ばされ、下半身だけがそこに残った。緑色の血を撒き散らす怪物の遺骸と少年の間に、一人の男が立っていた。いや、男かどうかはよくわからない。黒いフードをかぶり、その歪な、剣と言えるかどうかわからないものを構えた男は、イーゼルロットを見る。

白髪の少年は、呆然と男を見る。気を失った妹を抱える少年を見て、男は口を開く。


「お前は・・・・・・」


少年の顔を見て、何か納得した男は少年に手を差し伸べた。


「?」


イーゼルロットが疑問の目で見ると、男は自嘲したように笑う。


「お前が望むならば、この世界から連れて行ってやろう。そして、いつか奪われた何もかもを取り戻すための道を示そう」


「道?」


「そうだ。この世界ではない場所で学び、そして強くなるのだ。いつか、この世界を救うために」


闇により壊れかけた世界。欠けた月。暗闇の雲。死の大地。


「希望を、与えよう」


その言葉を聞き、イーゼルロットは疑いながらも、その手を掴んだ。この男の言う言葉が何であろうとも、もはや頼るべきものはない。ならば、いっそかけてみようと思ったのだ。

男の手を掴んだ時、何かがイーゼルロットの中に流れ込んできた、様な気がした。



そして、ぐにゃりと空間が歪曲し、兄妹を飲み込む。


「あ――――」


「安心しろ」


男はそう言い、暗いフードの奥で笑う。その黒曜石のような瞳は、父にそっくりでありながら、どこか人間的な温かみを感じた。


「あの世界でなら、お前を助けてくれる奴がきっといるだろう」


「あなたは―――――――」


男はもう一度笑うと、「次に会った時、俺が誰か教えてやるよ」と言った。


そして。



二人は世界を越えた。本来であればありえないことであるが、なぜかそれが起こり、二人は元いた世界とは異なる世界へと落ちた。



それが、約一年前の話であった。


この世界は、イーゼルロットの住んでいた世界と似ている。だが、決定的な違いがあった。それは、滅びを与えるはずの『神』も、父親もいないことであった。

この世界では、闇は力を失っていた。

この、エデナ=アルバで力をつければ、自分がいたあのエデナ=アルバをどうにかできるかもしれない。

そして、


(あのクソッタレな親父を殺すこともできる)


少年は手を握る。あの時、男から与えられた不可思議な力。それは、イーゼルロットの中に確実に存在していた。まだ完全にコントロールはできないがいつか必ず、この力をモノにする。


「待っていろよ、アンセルムス」


父の名前を呟き、少年は虚空を睨んだ。







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