藤虎
腹が減っては戦は出来ない。結局、金魚をお預けされた白猫は適当な場所で草を分けて目に付いた虫を数匹喰って腹を満たした。
途中何度か金魚に「それ、美味しいんですか?」と微妙な顔で問われたので「不味い」と答えておいた。
正直なところ、白猫は虫があまり好きではない。身が無いのだ。スカスカして妙に細い脚は喉に引っ掛かる事もよくある。しかし、鼠を捉えるのは人の居住に忍び込まねばならない。
先程、人に追いかけられた事もある。狩りに夢中になった白猫が気付かないうちに他に金魚を横取りされては困るのだ。
「それで、今後の事だがこれから俺の知り合いに会いに行く」
「社では無くですか?」
路地裏の影。人の目に付かないようにゆっくりと陰に沿って歩を進める白猫の腹下の毛に埋もれて隠れる金魚は問う。
他の者から見れば白猫が長々と独り言を言っているようにしか見えないように細心の注意を払って白猫は口を開いた。
「ソイツは藤虎って大層な名前の猫又でな。妖怪になっちまったぶん普通は知り合えねぇ知り合いが多い奴なんだ。ただの猫と金魚が社に行っても神が簡単に会ってくれるとは思えないからな。まずはソイツから手頃に会えそうな神またはそれに通じる奴の情報を聞く。社に行くのはその後だ」
「猫又……初めて会います。どのような方なのですか?」
「豪儀な奴だよ。もう人の寿命並みに生きてる爺の癖に若い人に化けて酒は吞むわ、博打はするわ、喧嘩もするし、盗みもする。しまいには人の嫁を貰っちまった」
「えっ⁉ 人間のお嫁さんですか⁉」
驚いて大声を出した金魚に「シー! 静かにしろ」と白猫は注意する。すると、直ぐに「ごめんなさい」と謝った金魚は白猫の柔らかな毛並みに深く潜り込んだ。くすぐったい。
「あぁ、遊郭で一目惚れした遊女を攫ってな。今は橋を渡って直ぐの川沿いの大通りに二人で小料理店出して商売してるんだ。大通りは人が多い。頼むから静かにしてくれよ」
「はい」
そうして、会話は途切れた。暫く真っ直ぐ路地裏を歩いたところでようやく左に曲がった白猫は道を狭める木箱と壁の隙間を上手くすり抜けて顔を出した。
流石、陽の当たる大通り。見るからに人が多い。その人混みの足元を器用にすり抜けて橋を渡る。長く踏み慣らされ続けた橋は土に汚れ、歩く度にコンと軽い弾む音がした。そうして、橋の中腹も過ぎた頃、白猫は客が数人入ったばかりで賑わっているように見える料理屋を見据えた。
「あれだ。藤色の暖簾が掛かった店」
「あれが藤虎さんのお店ですか。大分繁盛なされているんですね」
「まぁ、良いもん食ってしっかり味覚えたって言ってたしな。取り敢えず、お前は俺の影から出てくんなよ。藤虎は鼻が良いから直ぐにお前が居るって事に気が付くかもしれないが、散々、宴会とやらで美味い物を喰らってきた奴だ。今更ちっぽけな金魚一匹に興味は無い筈だ」
白猫は建物同士の僅かな隙間を器用に通って店の裏に回った。井戸を中心に囲った小さな庭に入り込み、店の厨房に直接繋がっている扉の前に立つ。
金魚は白猫の前足の間から顔を覗かせた。
「いよいよ、猫又さんに会うんですね。緊張しますね」
「黙ってろ」
白猫は前足を扉に引っ掛けた。そのままガリガリと扉を掻いた。
「おーい、藤虎。開けろ」
何度か呼ぶ。暫くして扉に近づく人の気配がして白猫は扉から離れ、腹に金魚を隠すように座った。
扉が開いた。現れたのは藤虎の嫁で若葉色の着物に前掛けを身に纏った血色の良い綺麗な女だった。
女は足元で自分を見上げている白猫に気付くと顔を綻ばせた。女は笑うと別嬪というのはわりと本当で藤虎もこの笑顔にやられたのだろう。
「あら、誰かと思えば白猫ちゃんじゃないの。久し振りね。また旦那様に会いに来てくれたの?」
白猫は応えに「ニャア」と一声鳴く。「そうなの」と女は白猫の目線に合わせてしゃがんだ。
「急ぎの用事?」
白猫は再び一声鳴く。
「そう分かったわ。直ぐ連れて来るからちょっと待っててね」
頷いた女は白猫を一撫でして立ち上がり、藤虎を呼びに奥に消えた。そうして、直ぐに今度は体格の良い目付きの悪い中年の男姿の藤虎が出て来た。
「何の用だ、白いの。まだ客が中に居るんだ。手短に済ませろよ」
商売中の藤虎は不機嫌そうに唐突に来訪した白猫を睨む。慣れていないと怯んでしまう程の鋭い眼差しだ。
(ほんと、ガラの悪い)
「聞きたい事があるんだ。お前の知り合いに神本人もしくはそれに通じる知り合いは居るか?」
単刀直入。白猫の問いに藤虎はピクリと眉を揺らした。
「居るが?」
「流石だな。何方だ?」
「なぁ、何でそんな事を聞くんだ。もしかして、その下に隠してる魚に関係してんのか?」
流石、藤虎。鼻は凄まじく利く。
(隠しても意味ねぇか)
「猫さん……」
「出て来るな」
押さえつけるように小声で白猫は言う。一対一の方が会話は早い。今、金魚に出て来られる方が面倒な事になりそうだ。
白猫は大きく息を吸った。
「そうだ。俺の腹に隠れてるコイツは水神に会って叶えて貰いたい願いがあるそうだ。それで、神に縁がありそうな奴に聞こうと思ってな」
「それで態々、俺の所に来たってか? 見たところ、お前の身体で隠せるくらいの小魚のようだが、何で、猫が魚の手助けしてんだ。馬鹿か、お前」
呆れた藤虎の口調に白猫は反論する。
「馬鹿じゃない。俺はその手伝いをする代わりに全てが終わった後、コイツを喰らっていい事になっている。これは俺の為でもある」
「はぁ? そんなの約束する必要ねぇだろうに。強者が弱者を食べるのは当たり前だろ。『食べて終わり』を態々面倒な手順踏んでよ。木に登れもしねぇ餓鬼から立派に成長したとしても根のお人好しな部分は捨て切れてねぇんだな、お前は」
「自覚はあるさ。虎猫の野郎にも散々ぬけてるなんて言われてるからな。だが、それを踏まえても俺の勝手だろ。それとも、横取るか?」
白猫は毛を逆立てて言い放つ。しかし、そんな解かりやすい挑発に藤虎が乗る筈もなく、手を振りながら藤虎は笑う。
「はっ、馬鹿も休み休み言え。そんな精々小鉢の料理にしかならねぇようなチビなんて要るか。俺は大皿に乗る魚じゃねぇと興味がねぇんだ」
「だろうな」
分かっていた。だから、藤虎の所に来たのだ。
「おい、魚」
「は、はい!」
先程から二匹の不穏なやり取りに不安げに尾ひれを揺らしていた金魚が藤虎の声に白猫の腹下で飛び上がった。暴れるのは止めて欲しい。特に尾ひれは擦れる度にくすぐったい。
「本当に水神に願いを叶えて貰った後にコイツに喰われるのか?」
「はい。約束を破るつもりはありません」
姿を見せないまま金魚は答える。藤虎は興味深げにニヤリと笑った。
「ほう、自ら餌になるか。面白い奴だ。良いだろう。今夜、俺は南坂の先にある社の土地神から飲み会に誘われている。そのついでだ。連れて行ってやろう」
「⁉」
「いいのか!」
南坂と言えばなだらかに続く幅の広い通りの名で坂になっているせいか建物は多くないが、よく地方から出て来た農民や商人の市場が開かれる活気のある場所で、社が一つ通りを見守るような形で建っていた。確か、商いと無病息災の祈願を主に人がお参りに行くという。
「五月蠅いぞ、白いの。別に構わん。知り合いを連れて行くくらいあの気ままな爺さんは笑って許すだろうしな。夜まで時間がある。まぁ、中に入って待ってろ。ただし、表には出るなよ。猫嫌いの客が五月蠅いからな」
「分かった」
白猫は頷いた。そして、ようやく金魚に前に出るように促した。緊張した面持ちで金魚は白猫の前足の間から顔を出した。
「ありがとうございます、藤虎さん」
「金魚だったのか。ふむ、食い物にはなりえねぇが観賞用には持ってこいだな」
「おい」
「冗談だ」
冗談でも獲物の横取りは赦さない。
白猫は藤虎を睨み上げる。藤虎は気にもせずに笑い、白猫と金魚を中に招き入れた。