case5# GUN & SHOW -3/7
「超、イイヒトそうじゃん。もっと気難しくてさ、神経質な人かと思ってたけど全然ちがう」
興奮のあまり声はその範疇を超えていたが、れっきとした独り言だ。吐く百々は、通用口から入ったところ、警備員室隣の給湯室にいた。
ブラック監督一行は水谷の案内ですでに控室へ向かっている。別れた百々は段取り通りお茶の準備に取りかかっていた。
「うん。絶対、タドコロに報告しなきゃ」
決意と共にドリップコーヒーと緑茶のセットが乗る盆を持ち上げる。ポットもまた引っ提げた。
「う、お」
これが見た目通りで相当重い。筋肉痛も予想とおりに頂点なら、唸って百々は気合いを入れ直す。
通用口ではパイプ椅子へ警備員がどっかと腰を下ろしていた。聞けばファンからのプレゼントは今も後を絶たず、人の出入りの激しさに気が抜けないらしい。なにしろ侮れないのは熱狂的ファンの存在で、崇拝者のためならばときに犯罪もいとわぬ暴挙に出るという。隙をうかがい侵入されたり、いやそれ以上、監督が娯楽界の重要人物であればこそだった。託されたプレゼントが爆発するやもしれず、紛れてテロリストが会場へ乗り込んで来るかもしれなかった。
「はっ。だめら。いつの間にか完全に洗脳されてるよ」
逸れた妄想に百々はストップをかける。
その時だ。前へ、マスタード色の制服は飛び込んで来る。更衣室前で田所は足踏みすると、百々に気付く様子もなく控室へ身をひるがえしていた。
「ど、して?」
持ち場を抜け出しブラック監督を盗み見に来た、と言うのなら、それこそ頭からポットの湯をかけるしかないだろう。
でなければ。
過ったとたん百々の声は大きくなる。
「タドコロっ」
それもこれも順調過ぎることへの代償だ。バイクが去ってから沈黙は居心地悪いほど続いていた。満たす護送車とワゴンは今、片側二車線の産業道路を淡々と走行している。
「百々さん今頃、なんでしたっけ」
やおら切り出したのは、まるで先程まで話し続けていたような口ぶりのストラヴィンスキーだった。
「舞台挨拶だ」
同様に返すハートも心得たもので、おかげで思い出したらしい、ストラヴィンスキーがうなずいてみせていた。
「そうでした。スタンプラリー・ブックだったかな。監督の映画が百々さんの映画館で始まるって。大変そうでしたよ」
無論、それが彼なりの気づまりへの気遣いだったとして、無理もほどほどにだろう。あまりの見切り発車は次にレフの口を開かせることになる。
「それはスタンリー・ブラックの間違いじゃないのか」
「え、レフは知ってるんですか」
「るるロード」を前に路面が混雑し始めていた。近づく護送車のテールを避け、ワゴンは速度を落としてゆく。比例してぐっと増した周囲の密度に、警戒するレフの目はなおさら神経質と辺りを探って動いた。
「有名な監督だからな。四年前の映画も三度、見に行った」
へぇ、と打ったストラヴィンスキーの相槌こそ社交辞令で間違いない。が求めてもいない感想は、こう付け足されていた。
「泣ける」
瞬間、ワゴンは護送車へ追突しかける。
「ここから二百メートル先、るるロード前交差点まで渋滞発生中です」
告げるオペレーターは今の発言を聞いていなかったのか。ともあれ全ては渋滞に護送車が急にブレーキを踏んだせいだ。思うことにしてストラヴィンスキーも車間を取りなおす。眼鏡のブリッジを押し上げ、恐る恐るとレフへ振り返っていった。
「すごい、監督なんですね。やっぱり」
十二時十二分。
「るるロード」前交差点手前。これもまた予定通りの足踏みだった。
「うそぉっ」
唸って百々は目を見開く。それでも田所は盆を持ち、控室までを手伝ってくれていた。
「松川さん、体調不良なのぉっ」
そう、松川とは田所が今、映写を教えてもらっている社員であり、『20世紀CINEMA』の専属映写技師だ。
「だって朝、元気そうだったじゃんっ」
「昨日から体調、悪かったって。けど今日、橋田さん出張だろ。支配人もコッチ、手が離せないってわかってたから言えなかったって」
教える田所は唇を、今にもガーと鳴きだしそうに尖らせている。
「そうだけどぉ」
百々は唸るが、困り果てたのは田所の方が先なのだから繰り出される足はまた速度を上げていた。
「松川さんは?」
並べた肩で確かめる。
「トイレ。なんか悪いモン、食ったんじゃないかってよ」
「まぁつっ、かわさぁんっ」
「とにかく、俺、そのこと話しに来たから」
などと事態はどれほど滑稽だろうと、言う田所の顔は真剣だった。いや満員御礼の先行上映会が控えていたなら、ならざるを得ない状況だった。
「わかった」
百々も至極真面目とアゴを引き返す。「応接室」とプレートの張られたドア前で、ともかくハプニングで強張った顔をほぐしにかかった。温まったところで田所に預けていた盆を受け取る。
「ありがと」
その時ばかりは田所の渋い顔も元通りだ。
「いい感じじゃん」
「ま、ね」
一息吸い込む。
軽く握った拳で百々はノックを繰り出した。
返事はない。代わりにドアはわずか浮き上がる。水谷の顔はのぞき、まず目が、ここにいるはずのない田所を捉えた。無言でうなずく田所を確認したそのあとで、盆の上へ落とする。抱える百々へ、道を譲ると肩を開いた。
昨日、磨いたセンターテーブルだ。まず目に飛び込んできたのはその輝きである。ブラック監督は、その向こうに腰掛けていた。傍らには通訳の赤毛の女性が、監督を挟む格好で友人だろう日本人男性は、座っている。
把握したなら己が人生におけるまさにランウェイだ。百々は室内へ足を踏み入れた。テーブルを回り込み、通訳の傍らに盆を置く。
「ぅおう。リョクチャ。じゃぱにーず、ぐりーんてぃデスネ」
早くものぞきこんでくるブラック監督は満面の笑みだ。
「はい、玉露入りです」
答えたものの、その近さにドギマギが止まらない。
「ギョ、クロ。ヨイオチャ、デスネ」
「コーヒーもご用意出来ますが……」
「ののの、リョクチャガ、ノミタイデスネ。アツイノヲ、オネガイシマス」
連呼と共に突き出した手を、監督は思い切り振っていた。仕草に癒されたところで、通訳の彼女はカフェインがダメだということは発覚する。
「自分で何か買ってきます」
「あ、すぐご用意できますので」
百々は返すが、監督へ目配せした彼女はもう立ち上がっていた。
「ハナシテ、イナカッタデスネ。ういあー、そーりー」
などとブラック監督にまで謝られてしまえばもう収拾がつかない。日本人の友人も不慣れな彼女へ案内しますよと、共に部屋から抜け出してゆく。
通路で話し込んでいた水谷と田所が、そんな二人を不思議そうに見送っていた。入れ替わりだ。部屋へ戻っていた。
二言三言、ブラック監督と言葉を交わす水谷の英語力は相変わらずだ。振り返ると百々へも、いつも通りにこう投げる。
「じゃ、映写室に行ってますから。百々君、後は頼みましたね」
ドア際では田所が、硬直したような一礼を繰り出していた。
「はい」
水谷は、そんな田所を連れ部屋を後にする。
静かだ。
のみならず、部屋はやけに広くも感じられていた。当然だ。気づけばあれだけひしめいていた人間は、今や熱い緑茶を待つ天下の巨匠と百々の二人だけになっていたのである。
いやな予感にまみれた百々の、首の蝶番がギシギシ音を立てていた。ままにブラック監督へと振り返ってみる。
「リョクチャ、タノシミデス」
笑みに叫び出しかけて、死ぬ気で堪えた。
前へ、監督は親指を立てる。
「ギョクロ、いえー」
この無邪気さに抗える者がいようか。のみならず、親しみに敬意を感じていればこそだった。
「ぎょ、玉露、イエー……」
引きつっていようがめいっぱい、百々も笑って親指を立て返す。
というか、この対応で合っているのか。
合ってないだろ。
ともかくただちに湯を注ぎにかかった。支配人カムバックを胸の内で叫びながら。
映画の内容が気になるあまり集中できないじゃないか。ストラヴィンスキーが思ったかどうかは定かでない。ただレフの一言でせっかくの話題も立ち消えとなる。
しかしながら車両だけは止まることなく流れ続けると、予定通り護送車は十二時二十分を前に、混雑の中枢「るるロード」前交差点に辿り着いていた。屋上に駐車場を備えた七階建ての「るるロード」が、左角にエントランスを広げている。なぞって交差点を左へ進んだところに、駐車場の順番を待つ車両が路肩を埋め並んでいた。相対する右斜め向かいには、昔懐かしい商店街のアーケードがテナントビルとビルの間にかまぼこ型の屋根を伸ばしている。
辺りは双方の買い物客で賑わっていた。
さばいて信号は全方向へ歩行者を促すと、後に車両へ通行を譲るローテーションを繰り返している。
「十二時十七分。第三ポイント侵入。もうまもなくるるロード前交差点を右折する」
護送車からハートが知らせた。
「了解しました」
符合するように護送車も右折レーンへ乗り変えてゆく。黄色いタクシーの後ろに着くと徐行を始めた。
先行くタクシーはおそらく、向かいから来る黒のセダンとその後ろのジープをやり過ごして曲がるつもりなのだろう。タイミングを見計らい、わずかにハンドルを切り始める。
前を、黒のセダンは通過していった。
だが迫るジープは続かない。
突如、大きく車線を逸れる。




