case4# COMING SOON! -4/7
「遠すぎるよ、20世紀」
言葉は哲学的と響いていたが、当の本人がボロボロなら知的な雰囲気は微塵もない。悪魔のような階段ダッシュの後、やっとの思いで百々が辿り着いたのは、曽我から伝え聞いていた『20世紀CINEMA』だった。
「おはようございます」
挨拶は「業界」のソレだ。昼夜関係なく、カウンターに立つ橋田と同じアルバイト仲間へ投げる。なら来ることは橋田にも伝えられていたらしい。
「おはようございます。支配人が奥の休憩室にいるからと。さっき始まった所じゃないですかね。希望シフトの提出もまだだったと思いますけど、帰り際でもかまわないので話の方、先に聞いてきてください」
「すみません。うっかりしてて」
などと日々はそれどころでない過激さだったが、理由にできる接点こそ双方になかった。
「大事な話らしいですよ」
あえて橋田が付け加える。様子こそ意味ありげで、解せぬまま百々はトートバッグを肩へ掛けなおした。カウンターの内側へ回り込む。鉄扉を引き開けると、事務所の中へ足を踏み入れた。カタカタと、いやバラバラの方がしっくりくるか。映写機の音はとたん耳へ飛び込んでくる。中央にはスチールデスクが二つ。それだけで事務所はほぼ満杯で、右の壁際には新旧いとわずポスターを挿した箱が並び、左の壁には雑然とスケジュールの書きこまれたホワイトボードが吊られていた。その傍らには無理やり押し込まれたようなコピー機がドンと居座り、補充用のコピー用紙や出番を待つチラシにパンフレット、販促グッズの段ボールが辛うじて通り道を残すと置かれている。
人はいない。百々はコピー機をかわし、デスクを迂回する格好で奥へ向かった。突き当りの壁に立てかけられた数段のハシゴは映写室へ上がるためのものだ。休憩室はその真下に半地下状態で設えられていた。
おかげで通常の三分の二ほどの高さしかないドア前で百々は立ち止まる。橋田が言う通り、中から水谷の話し声が微かに聞こえていた。映写機の音を考慮するならノックは力強くが鉄則だろう。力を込めて拳を振る。中の声が止んだところでドアを引き開けた。
「失礼します」
広さは六畳あまり。当然ながら窓はなく、足元から数段、階段は伸びている。降りたところに机は置かれると、腰かけていた水谷は振り返った。
「あ、百々君。いいタイミングですね。待ってましたよ」
おはようございます。
百々は頭をさげかける。
かなわず飛び上がりそうになって堪えた。
机を挟んだ水谷の向こう側だ。田所は憮然とした面持ちで座っている。すっかり忘れていた。というのは今日、田所が遅番シフトだったという事実についてだろう。
「これで話は一度ですみそうですね。こちらへ座って下さい」
何も知らない水谷が、百々を田所の隣へ促していた。とたん襲う、回れ右で逃げ出したい衝動は山ほどか。できやしないならぎこちなさも最大値で、田所の方へと歩み寄っていった。
「おつ」
「お」
投げてすぐ、それ以上の短さで返してくる田所を盗み見る。腰を下ろせば「じゃあもう一度、最初から」と断りを入れて水谷は「さっき配給会社から連絡がありましてね」と話し始めていた。
「本年度のアカデミー賞、作品賞と監督賞、主演女優賞に撮影賞、来週から上映のバスボムがノミネートされることになりました」
それは友人の結婚を知らされた時の気分のようだ。朗報はあまりに突然で、思わず「わぁ」と百々は声をもらしていた。
「これは今日の夜にも公式発表される内容です。伴い今、至急、文言の入ったチラシとポスターを手配してもらってます。そうですね、明後日の先行上映には間に合わないとしてもロードショーには必ず間に合う具合かな。その点では20世紀のみんなに手分けしてもらってチラシの差し替えやポスターの張りかえ、サイトの情報更新、期間が短い分、ちょっと頑張ってもらおうと思っています」
出来ますか、と身を乗り出す水谷の笑みは少々意地悪だ。すぐにも緩めて冗談だと先を続けた。
「作品はもともとがミニシアター系なので、このあたりで上映するのも今のところウチだけですから、問い合わせも殺到すると思われます。前作の動員数からみても上映期間中はてんやわんやが必至でしょう。『あかウサ』の比じゃないですよ。その辺り、十分覚悟しておいて下さい」
「はぁ、てんやわんや、ですか……」
だとすればまだ一度も体験したことのない状況だろう。思い描けば百々の脳内に、期待に満ちた顔は次々押し寄せていた。あふれたところで感動冷めやらぬ顔もまた連なりシアターを後にしてゆく。涙と笑みに彩られ、フロアは大きく揺れていた。揺れてむせ返るような熱気を放つと『20世紀CINEMA』をついに目覚めさせる。そうしてまとうのは、ここでバイトをすると決めたあの日、目にした光だ。「20世紀CINEMA」はまばゆいばかりの光の中で息を吹き返そうとしていた。
これだ。
百々は息をのむ。
この興奮を待っていたんだ。
過らせていた。
「すごい、かも」
呟く。
「……違う、すごいっ」
言いなおして田所へと振り返った。
「すごいね。バスボム、やっちゃったんだ」
持ち上がってゆく頬を止められない。得意満面と田所も、口をアヒルに尖らせている。
「それを受けて明後日の先行上映会に急遽、スタンリー・ブラック監督の舞台挨拶が行われる事が決定しました。ここまで話してたんだっけね」
確かめる水谷が田所へと目を向けていた。どうやらそれが憮然と見えた田所のワケらしい。一転して深刻さを取り戻した田所が、水谷へとうなずき返す。
「え、誰かここへ来るんですか」
問う百々へ、ガクンと肩を落とした。
「ブラック監督がウチへ来るって今、聞いたろ」
いや、その言葉並びが百々にはまるで馴染まないのだ。
「あ、ああ、そっか」
とにかくうなずき、うなずき返したその後で、ようやく百々も理解に至る。
「ええぇっ、それって先行上映に監督が来るってことですかぁっ」
前にした水谷の笑いこそ苦い。
そっちのけで百々は田所の制服へ掴みかかっていた。
「すごいよ。タドコロっ、アカデミー賞が来るんだってっ。オスカー監督だよっ。しかも海外から来ちゃうんだよっ。こんな小さな映画館にっ。すごいよっ。げーのーかいだよっ」
首ももげんばかりだ。揺さぶり倒す。だとして先に聞かされていたのは田所の方なら反応こそ鈍かった。
「あのさ、アカデミー賞は来ないし、オスカーはまだ取ってないだろ。発表は来月。それにその、げーのーかいって、なぁ」
それを言うなら映画業界だ。言いたいところをぐっと飲み込み、落ちたジャケットの肩をぐいと引き上げる。水谷も、まぁまぁ落ち着いて、となだめて話を元へ戻した。
「で、ですね。もちろんブラック監督のお出迎え等、応対はわたしの方でする予定ですが、その際のお手伝いを百々君にお願いしたいと思っているんです」
「へ?」
握り締めていた百々の手も、田所のジャケットから浮き上がる。
「どうでしょう、お願いできますか」
「あ、たしがですか。社員の橋田さんは」
「それが次の上映作品の手配で出張になっちゃってて、どうしても都合がつかないんですよ。当日の混雑を予想したらそれでなくても人手は欲しいところなんですけど。なにしろ急ですからねぇ」
「え、英語とか、喋れませんけれど」
近頃この手の不安が絶えない。
「それは気にしなくてもいいですよ。向こうも専属のスタッフを連れて来られるということですし、その中には通訳の方もおられるそうです。それにブラック監督自身かなりの日本ツウらしいですからね。簡単な日常会話ならできると昨日、わたしも知らされました」
などと話に胸をなでおろせばもう、それは引き受けたも同然のリアクションとなっていた。
「この急な舞台挨拶もちょうどお忍びできていた日本旅行中に発表が重なったせいで、監督の思い付きから推し進められた話だということです。でないとたった二日でスケジュールの調整なんて、なかなかできる人ではないですからね。ま、滅多にない名誉なことです。ここはひとつ踏ん張って成功させましょう」
隣で田所も渋い顔のままうなずいている。
「つきましては百々君には控室のセッティングをしてもらったり、お茶を出してもらったり、雑用になりますがその辺りをお願いしたいと思っています。百々君の履歴書には喫茶店でアルバイトをしていた記載もありましたし。慣れている人の方がブラック監督への失礼もないんじゃないかと」
「どうする。お前、やる?」
横目で田所が確かめる。
確かに丁度とセクションCTからは待機も命じられたところだ。この役得を突っぱねる理由こそなかった。
「だって、せっかくだもん」
つまりあの階段ダッシュは有名人と謁見するための代償だったのか。違っていたとしても、しごき万歳。天晴無能。体の痛みもなんのその。たとえ二日後が筋肉痛の頂点だろうと世には捨てる神があれば拾う神があるらしい。事実を百々は心底、噛みしめる。噛みしめ今日一番の声を上げていた。
「あたし頑張ります。支配人、やらせてくださいっ」




