プロローグ 無能追放と冷たい雨
初投稿となります。 東洋の修仙(仙道)と西洋世界の邂逅を描く、因果応報の物語です。 少しでも心に留まりましたら、評価や栞をいただけますと励みになります。
まばゆい幾何学模様の白光が収まった時、鼻腔を突いたのは――微かに甘ったるい香油の匂いと、冷え切った大理石の埃っぽさだった。
ゆっくりと視界が開ける。 視界に飛び込んできたのは、息を呑むほどに豪奢な大聖堂だった。 天井は果てしなく高く、極彩色のステンドグラスから神秘的な七色の陽光が降り注いでいる。周囲を取り囲むのは、金糸の刺繍が施された豪奢な法衣を纏う数十名の白髭の神官たち。 そして、その神官たちを従えるように、一段高い純白の玉座の前には、豪奢な王冠を戴いた威厳ある初老の王と、胸元を大胆に開けた妖艶な礼服を身に纏う銀髪の美女が立っていた。
「おお……! 成功じゃ! 古代の神聖秘儀『異界勇者召喚』は、ついに成就したのじゃ!」 「神よ、慈悲深き光の神よ……! 我がグラディス王国を魔王軍の脅威からお救いくださる救世主様を、確かにお導きくださったのですね……!」
神殿全体を揺るがすような歓喜の祈りと、老神官たちのむせび泣く声。 その熱狂的な合唱を耳にしながら、俺――曽品浩は、内心で冷や汗を流しながら盛大な溜息を吐き出していた。
(……あーあ。これ、日本のネット小説や漫画で三千回は擦り倒されたテンプレ展開そのまんまじゃねぇか)
俺は台湾出身で、海を越えて日本の大学へと進学した留学生だ。 東京のアパートで暮らしながら、バイト代の半分を同人誌やゲームに注ぎ込み、日夜『いかに汗を流さず楽して稼ぐか』を妄想している、筋金入りの現実主義者にして怠惰なオタクである。 秋葉原のショップで新刊の同人誌と特大サイズのエナジードリンクを買い込み、ホクホク顔で横断歩道を渡っていたはずが、突如として足元に巨大な光の陣が出現し――気がつけば、見知らぬ異世界の大聖堂に立っていた。
ふと横に視線をやると、俺と同じ召喚陣の光の中に、もう一人の男が立っていた。 年の頃は二十歳前後。モデル顔負けの長身に、雑誌の表紙から抜け出してきたような手入れの行き届いたパーマヘア。着ているのは、見るからに数十万円は下らないハイブランドのジャケットと革靴だ。 大学の知り合いでもなければ、友人の友人ですらない。東京の街ですれ違ったことすらない、名前も素性も一切知らない完全なる赤の他人である。
その男は最初こそ「えっ……? ここは……渋谷じゃない……?」と目を白黒させていたが、周囲の神官たちが床に額を擦りつけてひれ伏し、壇上の銀髪美女が潤んだ瞳で自分を見つめていることに気づいた途端――その顔に、隠しきれない優越感と陶酔の笑みが広がった。
(うわぁ……。あいつ、自分が『選ばれし異世界主人公』になったと完全に信じ込んで、早くも酔っ払ってやがるぞ……)
俺が内心でドン引きしていると、銀髪の美女――グラディス王国の第一王女エレーナが、長い絹のドレスを優雅に揺らしながら階段を降りてきた。 その手には、白銀の台座に嵌め込まれた、バスケットボールほどの大きさがある透明な水晶球が捧げ持たれている。
「偉大なる異界の救世主様方。突然の召喚の無礼をお許しください。我がグラディス王国は今、跋扈する残虐なる魔王軍によって滅亡の危機に瀕しております……。どうかこちらの【至高の鑑定水晶】に触れ、神より授かりし貴方様の天賦の器を、我らにお示しくださいませ」
エレーナ王女が甘美な声で微笑みかけ、まずは身なりの良いイケメンの男へと水晶を差し出した。 男はフッと得意げな笑みを浮かべ、まるで映画のヒーローのように大げさな仕草で右手を伸ばし、水晶へと手をかざした。
「なるほど、そういうことか。僕のような特別な人間が選ばれたのには、相応の理由があるはずだ……!」
その刹那――。
――ズドォォォォォォンッッ!!!!
大聖堂のステンドグラスを粉々に震わせるほどの、眩い黄金の光柱が水晶から爆発的に噴き上がった。 神殿全体が神々しい光で満たされ、水晶の上空に、空中に浮遊する光の古代文字が浮かび上がった。 古代文字のはずなのに、召喚に伴う世界の言語理解機能の恩恵か、その意味が日本語としてそのまま頭の中へと直接流れ込んでくる。
====================
【氏名】:カンザキ・ショウタ(神崎翔太)
【天職】:光の勇者
【魔力適性】:全属性(極等)
【固有加護】:至高の神聖加護、経験値千倍
【固有スキル】:聖剣召喚、森羅万象、限界突破
====================
「す、素晴らしい……! 全属性極等適性に、伝説の天職『光の勇者』……! 神話の時代にしか存在しなかった、完全無欠の救世主様ですわ!」
「おおおおっ! 神よ! 大いなる光の神よ!! グラディス王国に栄光あれ!!」
老王が立ち上がって快哉を叫び、神官たちは涙を流して狂喜乱舞した。
神崎翔太はといえば、前髪をサラリとかき上げ、エレーナ王女の白く柔らかな手を恭しく取ると、爽やかなウインクを飛ばしてみせた。
「ふっ、任せてほしい。僕がこの世界に喚び出されたからには、もう何も恐れることはない。僕の聖剣が、この国のすべての敵を滅ぼしてみせるよ」
「まあ……! なんと頼もしいお方……!」
エレーナ王女は頬を薔薇色に染め、うっとりと神崎の腕に身を寄せた。
(……はいはい、ごちそうさま。鏡の前で三時間練習したようなキザな台詞、素面で言える神経がすげぇわ)
俺が胸焼けを起こしながら壁際で鼻をほじっていると、エレーナ王女が急に思い出したように、冷淡な流し目をこちらへと向けた。
「……そちらの方も、念のために触れていただけますか? 神聖なる儀式の規定ですので」
「あ、はいはい。触ればいいのね」
俺はポケットから手を取り出し、水晶に無造作に右手をペタッと置いた。
もしも何かの間違いで隠しチート能力でも出たら、王族にふっかけて『一生何もしなくても豪遊できる終身年金』と『高級貴族の身分』を要求してやろう――などと、浅ましい皮算用を頭の中で巡らせながら。
――だが。
シーン…………。
静寂。
音一つしない。
水晶は黄金に光るどころか、微かな発熱すらなく、まるで冷蔵庫から出したばかりの冷え切ったガラス玉のように静まり返っていた。
やがて、水晶の表面に、申し訳程度に小さな文字がぽつりと浮かび上がった。
====================
【氏名】:ソウ・ヒンコウ(曽品浩)
【天職】:なし
【魔力適性】:なし(適性皆無)
【固有加護】:なし
【固有スキル】:なし
====================
「…………は?」
大聖堂の空気が、一瞬で絶対零度まで凍りついた。
「……な、何かの間違いではありませんか? もう一度、強く念じてみてください!」
神官長が焦ったように叫ぶ。俺は言われるがままに両手で水晶を揉むように擦ってみたが、水晶はピクリとも光らない。完全にただの漬物石である。
「魔力適性、完全なるゼロ……。天職も加護もスキルも、何一つ持たぬ『無能』……!?」
「馬鹿な……! 神聖なる召喚儀式で、このような出来損ないが混ざるなど……前代未聞じゃ!」
エレーナ王女の顔から、先ほどまでの甘美な微笑みが完全に剥ぎ取られた。
その瞳に宿ったのは、信じがたいものを見るような嫌悪感。まるで、高級レストランのテーブルの上に這い出てきたゴキブリを見るような、底知れぬ侮蔑と冷酷さだった。
「汚らわしい……! 異界からの召喚者が、ただの『寄生虫』だというの!? 神聖なる勇者様の召喚の余波に巻き込まれて紛れ込んだ、ただのゴミクズではありませんか!」
「忌々しいわッ!!」
玉座の老王が、顔を真っ赤に怒らせて乱暴に肘掛けを叩いた。
「我が国の莫大な魔力結晶と国費を注ぎ込んだ秘儀に、そのような泥棒猫が迷い込むとは! 近衛騎士長ガイル! その役立たずの出来損ないを直ちにつまみ出せ! 我が国に魔力も持たぬ無能を養う慈悲などない! 即刻、城門の外へ叩き出して魔物の餌にしてしまえ!」
「ハッ! 仰せのままに、国王陛下!」
玉座の脇から、銀色の全身鎧に身を固めた屈強な巨漢――近衛騎士長ガイルが重々しく進み出た。
ガイルは冷酷な目で俺を見下ろすと、すぐ後ろに控えていた見習い騎士の少年へと顎をしゃくった。
「ロイ、行くぞ。このゴミ虫を城門の外まで引きずり出せ」
「はい、父上!」
十六歳ほどの少年――ガイルの一人息子である従士のロイが、父親に認められようと張り切って俺の腕を乱暴にねじり上げた。
神崎翔太はといえば、エレーナ王女の腰に手を回したまま、哀れみを装ったわざとらしい溜息をついてみせた。
「気の毒だけど……君。日本でどんな生活をしてたか知らないけど、この世界は甘くないみたいだね。初対面の赤の他人だし、悪いけど僕の足手まといになられても困るんだ。どこか人里離れた僻地の泥水の中で、せいぜい慎ましく暮らすといいよ」
「……」
神崎のその見下すような嘲笑の言葉に、俺は怒りを通り越して、内心で冷え切った殺意の混ざった舌打ちを鳴らした。
(初対面の相手に向かって『泥水の中で慎ましく暮らせ』だと? 上等じゃねぇか、この調子乗りイケメン野郎が……)
ロイと近衛兵たちの槍の柄が、容赦なく俺の背中をドカドカと小突く。
「おい、無能! とっとと歩け!」
「我が国には貴様のような飯食い虫に与えるパンの一欠片もない! 即刻、王都の外へと叩き出してやる!」
引きずり出される間際、俺は玉座の国王と、冷笑を浮かべるエレーナ王女、そして勝ち誇る神崎翔太の顔を、網膜に焼き付けるようにじっと見据えた。
世界を救え? 魔王を倒せ?
ふざけるな。勝手に人様を異世界に拉致しておいて、役に立たないと分かった瞬間に着の身着のままで放り出すような腐れ国家のために、誰が命を賭けるか。
だが――この理不尽な侮辱と扱いは、絶対にタダでは済ませない。
(覚えてろよ、腐れ王族ども。そして調子に乗ってる勇者様。俺から奪ったものは、利息を百倍にして耳揃えて返してもらうからな……!)
◇
ズザザザッ――!!
「ぐあっ……!?」
冷たい豪雨が容赦なく降り注ぐ泥濘の上に、俺の体は手荒く放り出された。
ゴロゴロと泥水をかぶりながら転がり、膝と肘を擦りむく。
背後には、王都を外界の魔物から隔絶する巨大な黒鉄の城門。
秋葉原で買い込んだ同人誌も特大エナジードリンクも、スマホや財布も、召喚の転送の衝撃でどこかへ消え去っていた。手元には銅貨一枚、パンの耳一つすら残されていない。
そして門の正面に広がっているのは、黒々とした毒々しい瘴気が立ち込め、凶悪な魔獣が巣食うという悪名高き【黒死の森】の入り口だった。
「……けっ。文無しで魔物の森へポイ捨てかよ。本当にケチくさい連中だな」
俺は泥水を手で払い、ゆっくりと立ち上がった。
降りしきる雨は氷のように冷たく、体温を容赦なく奪っていく。腹も減っているし、喉も渇いている。
だが、絶望して膝をついて泣き喚く気など、俺には微塵もなかった。
(のんびりスローライフ? 辺境で慎ましく開拓生活? 寝言は寝て言え。
誰が好き好んで、食うものもない泥水の中でカタツムリみたいに生きるかよ。
この世界が弱肉強食だってんなら、ルールはシンプルだ。『金と力を持ってる奴から、力づくで奪い取ればいい』。
まずは森の端っこで手頃な獲物を見つけて、武器と身ぐるみを剥いでやる――)
俺が唇を歪め、森の茂みへと足を踏み出そうとした、まさにその刹那だった。
ザッ、ザッ、ザッ――。
背後で、城門を閉ざそうとしていた衛兵たちを手で制止し、冷たい雨の泥濘を踏みしめて近づいてくる足音が響いた。
「待て、まだ門を閉めるな」
振り返ると、銀の全身鎧を雨に濡らした近衛騎士長ガイルが、腰の長剣の柄に手をかけながら城門の外へと歩み出てきていた。
その背後には、まだあどけなさの残る息子のロイが、小走りで付き従っている。
「父上……? 陛下のご命令は『追放』のはずですが、なぜわざわざ外へ……?」
息子の純粋な疑問に、ガイルはサディスティックな冷笑を浮かべ、ゆっくりと腰の長剣を引き抜いた。
雨を弾く抜き身の白銀の刃が、鈍くギラリと光る。
「ロイ、よく見ておけ。これが貴族社会の裏の掟だ」
「は、はい……?」
「王命は単なる追放だがな、王都の外で『適性ゼロの異邦人が召喚された』などと触れ回られては、神聖なる王家と召喚儀式の権威に傷がつくのだ。森の獣に食い散らかされる前に、ここで確実に息の根を止めておくのが、王家に仕える忠臣としての務めというものよ。ロイ、今日はお前に、一撃で急所を断つ刺突の極意を見せてやる」
「さ、流石は父上……! 王家の恥を外に出さぬための深慮遠謀、しかと目に焼き付けます!」
十六歳の少年ロイは、自慢の父親を心から尊敬する眼差しで見つめ、無邪気に頷いた。
(……はぁ!? 追放しただけじゃ飽き足らず、口封じの暗殺だと!?
しかも十六歳の自分の息子を連れてきて、丸腰の人間を試し斬りにして『人殺し英才教育』気取りかよ、このクソ親父が!!)
ガイルの全身から放たれる本物の殺気に、肌の産毛が逆立つ。
ここは法も秩序も通用しない、弱肉強食の異世界。
「おい、出来損ない。大人しく首を差し出せ。苦しまずに一突きで送ってやる」
ガイルが嘲笑混じりに切っ先を突きつけてくる。
だが――俺は膝をつくどころか、口の中に混ざった泥水をペッと吐き捨て、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべてみせた。
「へっ……随分とお上品な騎士様だな。追放だけじゃ飽き足らず、丸腰の人間を後ろから刺して『王家の威信』かよ? 反吐が出るほどご立派な騎士道精神だな、おいクソ親父」
「……何だと?」
「息子にカッコつけたいなら、もっと骨のある魔物でも相手にしろよ。小汚い路傍で丸腰のガキ刺してドヤ顔してんじゃねぇぞ、無能親父」
「き、貴様……口の減らぬ蛆虫がッ!!」
ガイルの顔が怒りで真っ赤に沸騰した。
溺愛する一人息子の目の前で無能呼ばわりされた屈辱に、完全に理性を吹き飛ばされたのだ。
「その減らず口、二度と叩けぬようにしてやるわッ!!」
シュッ――!
雨を切り裂く鋭い風切り音。
ガイルの腕が一閃し、抜き放たれた白銀の刀身が、一切の躊躇なく俺の胸元へと突き出された。
――ドスッッ!!!!
鈍く、重い破壊音が胸腔に響き渡った。
冷酷無比なる鋼の切っ先が、皮膚を切り裂き、胸骨をバキリと砕き、激しく脈打っていた心臓のど真ん中を――容赦なく真一文字に貫通した。
「ごふっ……!?」
肺胞が血で満たされ、口から熱い鮮血がゴボリと溢れ出した。
激痛。
焼けるような、全身の神経を逆撫でする圧倒的な激痛が脳髄を灼く。
視界が急速に色を失い、白黒の砂嵐のように明滅し始めた。
(あ……が……痛っっ……!?
嘘だろ……? 異世界に喚び出されて、無能扱いされて……初日にいきなり路傍でぶっ刺されて死ぬのかよ、俺……!?)
ドサリ。
支えを失った体が、泥水の中に崩れ落ちた。
胸に突き刺さった剣を引き抜かれる感触。傷口から噴き出す鮮血が、冷たい泥水と混ざり合い、赤黒い輪を描いて広がっていく。
泥の中に顔を沈める俺の頭上で、ガイルが得意げに愛息を指導する声が、遠のく意識の向こうから微かに響いてきた。
「見ろ、ロイ。これが急所を一撃で断つ刺突の極意だ。剣を引き抜く時は刃をわずかに捻れ。そうすれば傷口が塞がらず、確実に失血死させられる……」
「す、すごいです、父上! 一分の狂いもない見事な太刀筋……! 僕も早く父上のような立派な騎士になりたいです!」
「ハハハ、お前ならすぐになれるさ。我が愛する息子よ」
ガイルが息子の頭を愛おしそうに撫で、長剣についた俺の血糊を外套の裾で拭う。
ドクン……。
ドクン…………。
心臓の鼓動が、急激に間隔を広げていく。
全身の血が抜け、体温が氷のように冷え切っていく。
憎悪も、怒りも、後悔も、急速に冷え固まり――やがて、曽品浩の生命活動は、完全に停止した。
肉体の死。
魂が肉体の殻を離れ、底なしの暗黒の深淵へと沈み堕ちていく。
――だが。
五感のすべてが途絶え、絶対の虚無に包まれた、まさにその刹那であった。
ピコォォォォォン…………!
澄み切った、無機質にして絶対的な【電子アラート音】が、魂の最深部に鳴り響いた。
『――【システム起動】』
『検知完了:宿主【曽品浩】の完全なる心肺停止・生体機能の完全停止を確認』
『死の臨界突破を契機とし――異世界適応型【仙人システム】が正式に覚醒しました』
暗黒の死の深淵に、網膜に直接投影されるように青白いシステムウィンドウが展開する。
『宿主の理不尽なる被殺害事実を検知』
『パッシブスキル【身代わり因果律】が発動します』
『――加害者【ガイル】の現世における【最愛の者(最も大切な人間)】を身代わり生贄として強制ロックオン完了』
『対象の体内因果エネルギーを反転し――強制爆殺シーケンスを実行します――』




