宮廷行事
12月23日、調馬宮ではハプスブルグ宮廷行事の馬術大会が行われた。
24人の乗馬名人が騎馬騎士の格好で、愛の女王らを前に槍やサーベルの技を競い合う。
騎士たちは馬を疾走させ、長槍で的を突き落とし、トルコ人形めがけて槍を投げ、敵味方に分かれて騎馬合戦を演じる馬術スペクタクルだ。
(何で私が愛の女王役なのだ?)
メッテニヒにのせられたデオンはドレスとハプスブルグ宝具を身につけて、23人の貴婦人たちと共に出場者に色目をかけた。
「あの宝石ならあと3回は遠征できる……」
観客のプロイセン士官がため息をついた。
12月26日、いっこうにドイツ領土問題が解決出来ないことで激高したデブ公は腹でテーブルをひっくり返し、ヴュルテンベルクへ引き上げた。
世話になった市民たちには気前よく礼を振りまいていた。
そこで王の好感度は爆上げされた。
12月30日の夜、ウィーン駐在ロシア大使ラズモフスキー伯の大邸宅が炎上した。
豪邸は一気に火が廻り、消防隊と警察、軍隊が出動する騒ぎとなった。大勢の野次馬の中にフランツ帝が駆けつけ大使に声をかけた。
「何であんなに燃えたのだ?」
「フランス式暖房が、壁の内側の暖房用パイプか一気にだめになった模様です」
絵画と美術品を失って憔悴しきった大使に代わりに、侍従が答えた。
「だからフランス流は嫌いなのだ」
フランツ帝のつぶやきにメッテルニヒが慌てた。
1815年は厳しい寒さで明けた。
デオンは震えながら排尿して、長く風呂へ入った。後にサラマンダーマシロを抱いたデオンはヨーゼフ2世が残した書斎へ行き、読書で過ごした。
大寒期なのに王宮では新春の大舞踏会が催されるというので、ウィーンのダンス熱にデオンは呆れた。
1月4日には英国外相のカッスルレー卿主催の晩餐会があった。デオンは招かれ、軍服にサラマンダーマシロを腕に乗せ、10時過ぎに着いた。
タレイランとメッテルニヒも来ていた。
「これはデオン殿、また妙なものを連れて来ましたね」
タレイランが茶化した。
「マシロは最高の暖房だ。凄い数の諸侯が集まったんだな」
「なんか美味いものないか?」
マシロは舌を伸ばした。
「あれはシチリア王子にバイエルン王太子やウージェーヌ殿までおいでですか」
メッテルニヒがデオンを迎えた。
「ウージェーヌ?」
デオンは額が大きく口髭の中年の男を眺めた。
「元イタリア副王でナポレオンの養子デオン、ジョゼフィーヌ皇妃の連れ子です。姑のバイエルン王は面倒な人をお連れして正直、困っているのですがね」
デオンはウージェーヌ・ボーアルネーに向いている間、本人が近寄った。
「あなたが再会の英雄、シュヴァリエ・デオン殿ですね。父の軍にあなたがいたらロシア遠征が楽だったでしょうに」
「そのころの私は元の古い身体を2年前に離れておってなぁ。死んだ後の記憶はないし、あんたの父親が皇帝になった年に私は牢屋の中だし、自分を良くしてくれなかった故郷、フランスをどうしてあんなに帰りたかったのか、それすらわからないや」
デオンは嫌味で答えた。
デオンの周りに貴顕たちが集まって「何か面白い話はないか?」と催促された。
「なら1763年2月10日のパリ条約での私の外交的手腕の話でもしましょう。……この宿命的な最終提案の指令と条項の内容を知ることは、我々の宮廷にとって極めて重大なことに違いないと、私は閣外相補佐官が、銘酒の大愛好者であり、大酒飲みであることを知っていました。そこで今度は私がニヴェルネ公爵に合図をしました。
ただちに公爵は、問題をより充分に語り合うために彼を誘って食卓につかせました。彼にトンネールの銘酒数本を味わわせたいと思いました。ついでに言いますと、我々はこの銘酒を活用して、海外の酒飲みを1人ならず誘惑しました。酒に気をひかれたウッド氏は、まんまとワナにかかり、公爵と彼がなみなみと注がれたコップを飲み干している間に、私は例のカバンを持ち出し、そこからエグリモント卿の外交文書を抜き、丸写しをして、すぐにヴェルサイユに発送しました。
私からの文書特使は、ウッド氏の特使より24時間も前に到着しました。よって、ベッドフォート公爵が討議を始めようとしたときには、当然生じてくるべきあらゆる困難な問題に前もって対処し、英国大使の最後通牒を知っていたショワズール氏とプラスラン氏はたちまち大使を示談へと追いやりました。
和平予備交渉は翌日ただちに調印されたのです」
こうした虚言めいた話でも暇を持て余していた貴人たちは喜んで聞き入っていた。
メッテルニヒはご婦人方を口説きまわっている。
「比類なき外交能力もあるのだから、父の補佐にあなたがいてほしかった」
ウージェーヌが感嘆した。11時に食事が出され、デオンとウージェーヌは席についた。
タレイランはトランプ遊びに興じていた。
食後に軽いスコットランド音楽が流れ、デオンはメッテルニヒが口説き落とす予定のご婦人をさらってダンスに興じた。
「他人の獲物を取るとはさすが!」
デオンはウージェーヌに気に入られ、後の晩餐会などでたびたび会うことになった。
1月21日はルイ16世の命日であった。
聖シュテファン大聖堂でルイ16世とマリー・アントワネットの追悼ミサが施行された。
大聖堂は屋根が黄色と濃紺のタイルモザイクが敷いてあり、ハプスブルク家のワシのモザイクが描かれていた。
南塔がとびっきり高く、ウィーン名物のランドマークである。
デオンはタレイランから招待された。
無事にフランスへ帰国する代わりに、ルイ16世に忌々しい女装で過ごすことを強要され、マリー・アントワネットから女装一式を賜っていた。
少なくてもデオンは二人をそう認識していた。
タレイランが連れて来た音楽家によるレクイエムに細密肖像画イザべによる内部の飾り付けがミサの神聖さを演出した。
宮廷指揮者としてアントニオ・サリエリがレクイエムを指揮していた。
しかし、式典とフランス人司祭の追悼演説が長く、抱っこしてよだれを垂らしていたサラマンダーマシロと共にデオンも居眠りした。
「野蛮人に倒れた夫妻はほんと痛ましい! 私こそ、最も忠実な家臣です」
タレイランが誰かに話していた盲言に目覚めたデオンは驚愕した。
1月22日の午後、雪がこんもり積もった王宮内広場で、金色の胴体に青いビロード、内装が鮮やかな馬橇が30台揃った。
「今日は宮中行事の橇遊びだから飛んで見ようぜぃ」
サラマンダーマシロはデオンの頭上に乗った。
「また寒い行事が好きだねぇ。暇だから行くか」
デオンは毛皮コートを着込んで庭へ出て麒麟に乗った。
ホーフブルク王宮へと飛翔した。
宮廷主催の橇遊びとは、市内を走りぬけシェーンブルン宮までの道中を楽しんで、観劇と舞踏で夕方まで過ごした後、松明の光に導かれながら再び宿舍の王宮へ帰る趣向だ。
毛皮コートの貴人たちが儀仗兵の1隊を従え鐘を鳴らした馬橇が市中へ走ろうとしたら、1台の馬車に道をふさがれた。
「すげー、イタズラか酔っぱらいか?」
「ちょっと、聞いてみるか」
デオンは御者台にいた2人に麒麟を近づけた。
「邪魔なので道を空けてくださいな」
「貴様、何者だ?」
「シュヴァリエ・デオンです。あれ、広間で派手な服装でいたあなたは?」
「英国大使のスチュワートた! 外交官特権を知らないのか。誰も私に手出しできないぞ!」
「ああ、私もそれができれば英国で苦労しなかった。いいなぁ、ちゃんとした外交官は……」
デオンは足止めされた馬橇に怒り心頭のプロイセン王とどこかのご婦人がいて、市民たちが橇の周りに集まった。
彼らはささやき、笑い合っていた。
「俺たちの税金で遊んだツケだ」
「ザマァみろ!」
「Good Job!」
デオンはスチュワートを讃え、麒麟を少し上昇させて静観を決めた。
「市民の笑い者にされた方が面白いぜぃ!」
サラマンダーマシロもはしゃいだ。
「おおい、女神、いや英雄よ。そいつをどかせてくれないか」
プロイセン王が叫んだ。
「外交官特権で手出しできません。どうか市民の笑い者になってください!」
デオンが叫んだ。
「いいぞ!」
市民たちが歓声をあげた。
「だいたいプロイセン王が、ザクセン領にこだわらなければ、ウィーン会議がこんなに長引かないのです。つまらない野望はお捨てください!」
デオンはプロイセン王に一喝した。
「そうだ、そうだ!」
「デオン様の言う通りだ!」
「プロイセンとロシアが物価高を招いたんだぞ!」
「スチュワート、粘りぬけ!」
市民は拍手喝采した。デオンは市民たちのコールで高揚した。
「おのれ、一介の騎士が他国の王に楯突くとは」
後にスチュワートが寒がって、通せんぼは数時間後に解かれた。
翌日、フランツ帝は次の報告書で吹き出した。
リッター・デオン、プロイセン王を罵倒して市民に拍手喝采を浴びる。
新聞でも、英国大使の橇遊び妨害と見出しが出ていた。
デオンはプロイセン王にしたことが記事に書かれていて少しだけ、誇らしくなった。
不良債権となったオーストリア紙幣を外国の賓客も自国内からかき集め、発行先へ押し付ける訳だから、経済が停滞して、インフレが続く一方だった。
オーストリアはロンバルディア地方をフランスから取り返したものの、ナポレオンが革命を輸出してから、イタリアの民族主義が根付いてしまった。
ウィーン政府は大軍を常駐させて、将兵の給与は4分の3が紙幣で支払われていた。
続々と紙幣がオーストリア国内に還流し、2月にはオーストリアの経済が危うくなった。
2月上旬、ナポレオンの配所替えとミュラの廃位問題がフランスの主導で決着した。
ザクセン・ポーランド係争を終えてイタリア問題に移しつつあった。
列国首脳のあいだではナポレオンの配所替えの話が持ち出され、タレイランとメッテルニヒも英国もエルバ島ではイタリアに近すぎると警告を表明していた。
「なら奴をセント・ヘレナ島へ流してしまえ!」
11月の頃に、バイエルン王からあがった島の名前は、おびただしい密使を放っているナポレオンに知らないはずがなかった。




