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香水瓶を倒して

回想(四)


 ぼんやりと、サイドテーブルに置いた香水瓶を指でたどっていると、ふいに闇の気配が満ちた。『死神』だ。もう、見なくても分かるようになっていた。何か言ってやろうと思ったが、口がうまく動かず、変な声が漏れただけだった。

「よい。声にせずとも分かる」

 そう言われて戸惑ったけれど、色々と試すうちに、話しかけるように考えれば、通じるようだと分かった。


(こうなることを、知っていたの。)

「さすがに、そこまでは知らぬ。おおよその死期は承知しているが。死神とは、よく言ったものよな」

(約束のメッセージは、遺書と別に考えていいのよね?)

 わたしは、この『死神』と契約することに決めた。『死神』の決めた仕事を、死後、行うことを条件に、望む時期、望む相手に、望む言葉を確実に、且つ出来うる限り自然に伝えるという契約。5件までで、言葉の長さは問わない。

「むろんだ。ただし、その遺書については、契約外となる。何か、事故があってなくなってしまう可能性は、否定しない」

 わたしは、一瞬、あの秘書のことを思ったが、ある可能性を考えるのをやめた。あの人だって、本来ならば、おかしなことをする人ではないのだ。仕事ならば尚更だ。

(かまわないわ。届くと信じましょう)

 わたしは、それならと、民営のタイムカプセル郵便サービスを利用することを提案した。『死神』に保障してもらえれば、何があろうと、例え会社が潰れたって、わたしが決めた時期に届くだろう。そういう契約だ。

 本当なら、メッセージは手書きするつもりだったが、麻痺のせいで、無事な右手で書いても、字が下手になってしまったから、電子メールで文書ファイルを送って依頼することにした。ネット社会って素晴らしい。兄が、家族用のカードを作ってくれているので、わたしはネットショッピングができる。あまり高額でさえなければ、ほとんど確認すらされない。わたしたち兄妹(きょうだい)は、お金にだけは困ったことがない。


 ただ、最初に渡す手紙だけは、手書きして枕の下に入れておくことにした。姿勢が保てないので、書くのはとても大変だった。枕の下に入れることすらも一苦労だ。

 あとは、教えられた言葉を唱えれば、終わりだった。出来ることなら、少しでも綺麗な状態で、この生を終えたかったが、こうなっては、もはや無理だった。半分だけが崩れてしまった顔は、麻痺が消えなければ戻ることはないし、生きているだけの体力もないようでは、どうしようもなかった。麻痺のせいだけでもなく、身体が動かないのだ。


 死が近づいている。


 わたしは、やっとのことで香水瓶に指を伸ばした。林檎の形をしていて、軸の部分が栓になっている特注品だ。中の赤い香水は、布に染み込ませれば、少しの間だけ、内蔵が弱った病人特有の、すえた臭いを誤魔化すことができる。

 栓を抜いて、ガーゼハンカチの上に香水瓶を転がす。濃厚な香りが立ち上がった。オゥ・ド・ペシェ。罪の名を冠した意味深な香水。

 それは、この最期にできる唯一のお洒落だった。

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