7 崩壊(前)――――佐知子
雨は思ったよりもかなり早かった。
道のりの半分を少し越えたところで、こらえきれなくなった涙がこぼれるように、ばたばたと大きな雨粒が落ちてくる。
たまらず私は道沿いの児童公園に駆け込んだ。砂場の横に、小さな日除けのあずまやがある。その下にどうにか辿りついた頃には、白っぽいむき出しの土に細かい砂利が薄く敷いてある公園の地面も、水を吸い込んで全体が濃い色に変わりはじめていた。
荒くなっていた呼吸を意識して鎮めながら、私は公園を見渡した。
あの頃と何も変わっていない。ただ、花壇も、少し古びて錆が目立つようになった遊具も、全体がほんの少しだけ、きゅっと縮んだように見えた。
私の背が伸びたせいだろうか。
この公園で遊んだのは六年生の五月が最後で、八月にはここを離れてしまった。それから、二度と訪ねたことはなかった。
◇
六年生の五月、運動会の頃。
紅白の二チームに別れて対戦形式で行われる運動会の花形プログラムに、クラスで選ばれた高学年がリーダーになって行う応援合戦があった。私は、仲良くしていたナツキちゃんに誘われて、柄でもないのに、応援リーダーを務めることになってしまった。
当時流行していたアイドルのダンスを覚えなくてはいけなくなって、放課後の練習だけでは足りず、学校の帰りにこの公園でナツキちゃんから猛特訓を受けていた。
そんなとき、ふと、公園の前を通過する車に目が留まったのだ。住宅街の中の細い道なので、車は徐行していた。父の車だったが、父は助手席にいて、見知らぬ女性がハンドルを握っていた。その女性がちらりとこちらに視線を向けた気がして、私は妙にどきっとした。
父のほうは夢中で何かを話しているような仕草で、公園に私がいることには気が付いていないようだった。
もともと私は、外で遊ぶより図書館や児童センターにいる方が多いタイプの子どもだったので、父はそこに私がいるなんて、思ってもみなかったのかもしれない。
あれ。お父さん、こんなところにいるなんて、今日は仕事じゃないのか。それとも、やっぱり休日出勤で、あれは仕事先の人なのかな。
漠然とそう思ったのを覚えている。
父があんな風に笑顔で誰かと会話していることにびっくりしたからかもしれない。
父は少し離れた市の学習塾に勤めていた。土日は模試や講習で忙しいため平日が定休日なのだが、仕事が忙しいと言って休みのはずの日でも出勤していくことが多いようだった。
そもそも夜型の仕事なので、朝は寝ているし、帰宅するのは私が眠ってしまってからだ。何日も父と顔を合わせないことがあっても、それが日常になってしまって、私は父が休日なのか出勤日なのか、あまり気にも留めなくなっていたのだが、その日は、本来は父の休日のはずの曜日だった。
家にいるときの父はいつもいらいらしていた。私は彼の機嫌を損ねないように、物音を立てないで行動する癖が身についていた。母がいつも困ったように、お父さんは仕事のリズムが他の人と違って疲れているから、昼間でも家にいるときはゆっくり休めるように、サチは静かにしていてね、と言っていたからだ。母とは小さな声で話すし、テレビも音読の宿題も、父が出かけるまでは後回しにしていた。
父は同じ家にいるけれど、私には基本的に無関心で、母にはいつも怒ってばかりいた。叩いたり、怒鳴ったりはしないけれど、母のすることにはなんでも一言か二言、バカにしたような口調で文句をつけるのだ。そして、急に不機嫌になって黙り込んだりする。私にとっては、いつはじけるかわからない風船のような人だった。ありていに言えば、いないほうが気楽な人。
ナツキちゃんのパパみたいに、ママと仲良しで冗談が好きで明るくて、何でも面白がってくれて、たくさんかわいがってくれるお父さんなら、一緒に過ごしても楽しいかもしれないけれど、うちのお父さんなら、別にいいや。そんな程度の冷めた気分だったように記憶している。
母は私以上に、家にいるのが辛かったのだろう。私が四年生になった年の後半くらいから、週に何度かパートの仕事に出かけるようになった。父はそれもまた気に入らないようで、ささいな家事の不出来を非難したり、母の仕事や給料が、父のそれに比べて取るに足らないものだと、手ひどくけなしたりした。
父が母に仕事をやめさせたいと思っているのは子どもの私にもはっきりわかったけれど、父はその一言を面と向かって言うほどの勇気はないようだったし、母も遠回しの嫌みを取り合うつもりはないようだった。なんといっても、父が私に私立の中高一貫校へ進学させたがっていたことを考えると、父一人の年収では無理だというのが、母の大義名分になっていた。
その頃から、家の中の空気は加速度を増して冷たくなっていった。図書館や児童センターに行ったり、お隣に入り浸ったりして、私もできるだけ家にいないようにしていた。
無人の家は冷たい。だけど、家族が帰ってきた家はもっと冷たかった。母は私には明るく接しようとしていたけれど、いつも疲れはてて無理をしているのは明らかだった。家事をするときにはどんよりと暗い顔をしていたし、ちょっとしたことですぐいらいらしたり、ぼんやりと考え込んだりしていた。
父も次第に、家にいる時間がさらに減っていった。元々少なかったのだが、ほとんど、私や母と顔を合わせないようになっていった。夜遅くに帰ってきて、母が用意してある食事を食べる。朝は家族と顔を会わせないように遅く起きて、着替えて家を出ていく。
大人になった今振り返れば、ちゃっかり食事や洗濯は全て母任せだったあたり、どこまでも甘えた人間だったな、と思う。
六年生になっても、父と母の関係は改善するどころか、どんどんぎくしゃくの度合いが増していった。このまま、同じ家に住んでいるけれど関係のない人って感じになっていくのかな、と思っていた。
公園の前の道を車で通る、父と見知らぬ女の人を見かけたのは、その矢先のことだった。
その数日後の週末、無事に晴れた運動会の日にも、父は、休めない仕事が入っていると言って見にこなかった。だが、翌月曜日、母がパートに出かけた後の家で、学校が代休だった私がごろごろしていると、ふいに父がリビングに入ってきた。
『佐知子。運動会には行けなくて悪かったな』
妙な猫なで声に、私は首筋の毛が逆立つような気がした。
『置いてあったプリントを見たよ。応援団で、ダンスをやったんだって?』
『うん、まあ』
『せっかくだからさ、ちょっとやってみせてくれよ』
『なんで』
『昨日、父さん仕事だっただろ。会社で、娘の運動会なのに行けなかったって話してたら、そこから、会社の人も、娘さんのダンス見たい! スマホで撮ってきてくださいよー!って言われちゃってさ』
『え、やだ。なんで、お父さんの会社の人に見られなきゃいけないの。別に上手くもないし、今パジャマだし』
『そんなの、着替えたらいいだろ。別におしゃれなんかしなくていいよ。運動会のダンスなんだから、学校のジャージで』
この時、おかしいと察するべきだったのだと思う。
けれど、私は、父の機嫌を伺いながら生活することに慣れきっていて、父のことは大嫌いだったけれど、父の意向にそむき続けるのは極端に苦手だった。
しぶしぶでも、一曲踊れば、後は放っておいてくれるだろう。
そんな諦めの境地で、私は父の要求に従った。
その中にほんの少しだけ、ナツキちゃんのパパみたいに、私の父もほめてくれるだろうか、誇らしく思ってくれるだろうか、というばかみたいな小さな期待があったことも、否定はできない。
『こんなんで、何かの参考になるの?』
『塾の先生だから、学校で実際にどんなことをやってるかって、みんな気になるらしいんだよ。それに会社に新しく入った人が、ダンスが得意らしいんだ。今どきの子たちがどういうのをやってるのか興味があるって』
『それって、若い女の人?』
『ん? そうだけど、どうして?』
『なんとなく、私のダンスに興味があるっていうなら、同じ女の人かなって』
とっさにごまかしたけれど、ぴんと来た。一瞬目にしただけだったけれど、この前、車に乗っていた人じゃないだろうか。父が若い女性とあんな風に会話をできるほど親しい知り合いになるなんて、職場以外には考えられない気がしたし、父の勤めている学習塾は小さな規模の会社で、若い女性の従業員なんて、そんなにたくさんいるとは思えなかった。
『でも、動画サイトで振付を覚えてきた子に教えてもらって、子ども同士で勝手にやってるだけだよ。塾の人には参考にならないんじゃないの』
『これでいいんだよ、普通っぽいのが。そうだ、運動会のごほうび、考えなきゃな。ダンスも踊ってもらったし。あの遊園地に行くのはどうだ、ユニコーンがどうとかいう名前の』
私の気弱な反論にも、父は妙に上機嫌だった。だが、動画を撮り終えると、そのままスマホに夢中になってしまった父からは、案の定、それ以上のほめ言葉もねぎらいの言葉も返ってこなかった。
父が仕事に出かけてから、パートを終えて帰宅した母に、その時のやりとりを何気なく話した。流れで、父と女の人が車に乗っていたのを目撃した一件も話すことになってしまったけれど、職場の同僚だというのなら、何か仕事の用事があったのだろう、と思って、さして気にも留めていなかった。父が思い付きのように言った、遊園地に行くという約束だって、私は一ミリも真に受けてはいなかった。あの様子なら父はどうせ、一時間後には忘れていただろう。
二か月後、その一件が大問題を引き起こすことになるなんて、その時は思いもしなかった。














