3、
翌朝、迎えに来たのは、モランと名乗る、度の強い眼鏡をかけ、如何にも田舎臭が漂う喋り好きな男だ。
ウォルターによると、クロムウェルは《朝早くから出かけられた》とのことだった。また、坑道内は暗いので携帯型のランタンを持っていく様にと手渡される。燐光石という発光する特殊なで作られたものだと聞いた。
気をつけて。という言葉と鍵をモランに渡した。
「廃聖堂調査委員の皆さんをご案内できるなんて身にあまる光栄です」
裏表のない声でそう告げる彼にカミラはささやかな信頼を寄せることが出来た。
「モランさんは民族学者と伺いました」
「ええ、ただ民俗学者というのは趣味のようなもので、普段は岩塩抗で働いています」家族もいますのでと、柔らかく笑った。
「昨夜、岩塩をふんだんに使用した食事をいただきました。どれもこれも美味しいですね」
「ありがとうございます。この辺りは古くからありますが、岩塩で栄えたと言っても過言ではないですからね。特に、今の伯爵様は非常に経営が上手でいらっしゃいます。奥様には非常に手を焼いているようですが」と苦笑いをこぼした。
「そうなんですか? 昨日お会いしましたが、非常に信心深い方と」ちょっとやりすぎだと言う感じはだと、はっきりとは言えない。
「そうでしたが。では、彼女の侍女ルディーも?」
「直接お話はしませんでしたが」
「二人とも悪い方ではないのですが、何と言いますか、少し信仰が行き過ぎている部分がありまして。ルディーはこの町の出身です。彼女の父は岩塩抗で私と一緒に働いていました。しかし、事故で働くことが出来なくなり、彼女が屋敷へハウスキーパーとして勤めたのです。一緒に食事をしたという事なら、二人の様子を見られたのでしょう。ルディーはすぐ奥様に可愛がられ、今の様な状況に。彼女の真面目な部分も起因しているのでしょう。かなり奥様及び聖女様に傾倒しているようで」
「そうでしたか」
モランは口を押さえ、気まづそうな顔を見せた。
「すみません、余計なことを話しました」
「いえ、発見された、アジュールダイヤの腕輪ですが、モランさんは?」
カミラは、話しを変えようと、今回の調査のことについて具体的に話を持ち出すも、モランは顔色が無くなる。
「どうかしました?」
「いえ、すみません。聖女の遺物と言われる腕輪のことですね。見ていただいた方が早いと思いますが、その」カミラは首をかしげる。
「えっと、僕の個人的な意見ですが、なんというか高価なものではあるんでしょうけど、何だか良くないことが起きる様な気がしてならないのです」
「それは、どうしてでしょう?」
「何があるという訳ではないのです。ただ、……そうですね、非常に言いにくいのですが、なんとなく暗いオーラを放っているように見えるのです」
坑道の中はひんやりと湿っている。歩きにくい洞窟の様な場所と思っていたけれど、きちんと整備されており、歩きやすく、明るい。
入り口から、少し行ったところで、金属で出来た非常に厳重な扉がある。鍵は無い。モランはカミラの不思議そうに扉を見る視線に気が付いた。
「ああ、これの扉は防犯のためではなく、万が一、坑内でガスや火災があった時のためのものなのです。この扉をすることで、あっちとこちらの空気を遮断することが出来るのです」
「そうなのですね」
モランは扉をあけ、カミラに先に入るよう促した。
「この辺りは大丈夫ですが、先の道はまだ整備が完全ではないところもありますので足元には気を付けてください」
モランの言う通り、進むにつれて、目線は常下を向く様になった。足場が不安定なため、足元を見ていないと転びそうになる。
「こちらです。あっ、貴方がクロムウェル様ですね」
カミラが顔を上げると、壁に背をもたれ腕を組んだクロムウェルがこちらを見ていた。
いつからそこに居たのだろう。
観音開きの廟門があり、聖女を表すアジュールダイヤの紋章があしらわれる。
廟門はつる薔薇を支えるウオール状のオベリスクが二つ並んでいる感じだ。オベリスクとは違って装飾はかなり凝った造りになっている。取っ手の部分は鎖と南京錠で繋がれているが、人の手が通るくらいの隙間があり完全に仕切られている訳ではない。その隙間から奥の底深い闇が見える。
「すみません。今解錠します」
モランはポケットからウォルターから預かった鍵を取り出すと、ガチャガチャと、鎖と南京錠を外した。
数段階段を下りるとひらけた空間に出る。が、それほど中は広くない。
漆黒の闇の色が濃く、各々用意してきた、ランタンに明かりを灯す。他の場所とは空気が違う気がした。
祭壇は通り見当たらない。ただ、空間の真ん中に棺が置かれている。
カミラは棺に近づいた。
「その棺の中に、腕輪が入っていたのです」とモランが言った。
木でてきており、触れてみると、動きそうだ。恐る恐る力を込めると、棺の蓋はカミラでも動かすことが出来た。
上部のみ動かし、中にランタンをかざす。
「ひっ」と、思わず声を上げた。その声に、「どうしました?」と急ぎ、モランとクロムウェルが駆け寄ってくる。カミラはあまりにもびっくりしてしまい、声にならない声で棺の中を指差す。駆け寄った二人も中を覗きこみ同様の反応を見せた。
少女が眠っている。
青白い肌、頬だけは薔薇色に染まる。墨染めの黒髪に、黒い睫毛に縁取られた閉じた瞳は、閉じられた唇が今にも開きそうだった。白のジョーゼットでたっぷりと作られたドレスとベールをかぶり、右手は胸元にある短剣の上に置かれる。歴代の聖女はその証として珠石と剣(杖)を持っていると聞いたことがある。珠石はアジュールダイヤを指すと言うのは言わずもがな。
もしかして、この少女は幻の8人目の聖女……、なのだろうかと言う思考がカミラに駆け巡り、有り得ないとすぐ様否定する。
駆け寄ったクロムウェルとモランもしばらくその光景に声を失っていたが、クロムウェルハッとした様に、少女の腕を持ち上げた。脈を測っているのだ。持ちあげられた右手から袖がめくれ、腕にアジュールダイヤの腕輪をはめているのが見えた。
「脈は無い」
「死んでいるの?」とカミラ。
「僕が先日来た時は、この中には腕輪があっただけで……、とりあえず人を呼んできます」
と、モランが意識を取り戻し、冷静にそう言った。
「一緒に行こう」とクロムウェルも立ち上がり、二人は駆けだした。坑道の入り口からそう遠くはないこの空間に人が集まるまでそう時間はかからないだろう。カミラは棺の中で眠りにつく様な少女を見た。
少し冷静になり、モランが先ほど《先日来た時、少女はいなかった》と言っていた言葉を思い出す。入り口は、鎖と南京錠で施錠されている。とすると、他に抜け穴があるのか。カミラは立ち上がり、モランが置いていった明かりを片手に部屋の中を歩き始める。特に、不審な点はなさそうだ。
思ったところで頭に衝撃が走る。誰かに殴られたことはわかった。
意識はそこで途切れた。
――短い、夢を見た。
暗い地下室。
寝かされた冷たい床の感触。
ぼやけた顔の人達がカミラを見てニタニタと笑う。
逃げ出したいのに、体に力が入らない。
忌まわしい。……。
いやなゆめ
ゆめなら良かったのに
自身の体を揺すられ目が覚める。
カミラが目を開けると、目の前にクロムウェルの顔があった。厚くかかった前髪の奥底から光る深い色の瞳が見えて、ドキリとした。
クロムウェルはカミラの心などつゆ知らず、「良かった」と安堵の表情を浮かべる。
「私、どうして」冷静さを取り戻したカミラは、体を起こす。
頭がズキリと痛み、手を当てる。傍らには、壊れたランタン。
「倒れて気を失っていた。頭を何かで殴られたのかもしれない。ケガはないみたいだけど、気分は?」
「ええ、なんとか」
クロムウェルはそれから、棺の方を見て「聖女がいなくなった」と言った。
カミラはふら付きながら棺の前まで足を進める。棺を覗き込むと、先ほどの少女は消え棺の中にアジュールダイヤの腕輪が残されていた。カミラは腕輪に手を伸ばした。金細工は花と植物をかたどり、真ん中に見事なアジュールダイヤ。その周囲をパールが囲んでいる。金額にすると相当なものだろう。そして、聖女の遺物となると、価値は計り知れない。
クロムウェルはそんな事などまるで気にも留めないような感じで、「少しその腕輪拝見出来ますか?」とカミラに手をさし伸ばす。「ええ、もちろん」腕輪を手にしたクロムウェルは様々な角度から腕輪を眺め、特に留め金の部分を何度も開けたり閉めたりした。
「すごいな。留め金がしっかりしている」と、感嘆の声をあげる。しばらくそれを見て、再度、カミラの手の中に返した。
「一体、僕らがいない間に何があったのか話してくれないか」モランと数人の若者カミラの方に近づいて来た。中には、フィリップ伯爵家の使用の姿もあった。カミラは先程の経緯を話した。
「私が意識を失っている間、棺の中にあった少女の死体も無くなってしまったようで」
カミラは自身で話をしながら狐につままれた気分になる。
誰かに襲われたのだ。殴られた記憶はある。だけど、それが誰なのか。
「入口からここまでは、私もここまで歩いてきましたが、それ程距離もなく、一本道でした。誰かが潜んでいるような場所だってなかったと」
「もし、潜んでいたとしたら、僕らが気付くはずだ」とモランは言った。
「まさか死体がひとりでに歩く訳が無いでしょうし」
「もしかしたら、我々が出た間にすでに誰かが潜んでいて、君を殴り、棺の中に居た少女もろとも連れ去ったのかも。それか、隠し通路が別に?」
「ええ、私もそう思ったのですが、そういったものはなさそうでした。通路も隠し部屋も。お二人が出ていかれた後、この中を見て歩いていたのですが。まあその時に、やられてしまったのですが。だから、その後どうなったのか検討もつきません。少女は消えてしまったのでしょうか」
「そうなると、これさっきの少女は聖女?! なのか」とモランは呟く。
「ですが、八人目はいないとされております。それに、聖女様だって、生身の人間です。この百年もの間、生きているのなんて、物理的にあり得ないと思われます。それに、なぜ、アジュールダイヤの腕輪だけがここに残されたのでしょう」
そう、話していると騒ぎを聞きつけた、フィリップ伯爵家の使用人が集まってきた。中には、ウォルターの姿もある。
「ウィンスラー様、クロムウェル様、お怪我はございませんか?」
ウォルターをはじめとする使用人が二人に駆け寄る。その中にルディーもいた。皆、外出用の黒いマントをすっぽりとかぶっている。クロムウェルは立ち上がり、伯爵夫妻の居所を聞いた。
「申し訳ございません、手が離せない案件があるとかで、ですがこちらに向かっております」と弁明した。フィリップ伯爵はその通りなのだろう。しかし、エリザは何をしているのだろうか。
クロムウェルはそのまま「そこから一歩も動かないように」と言い、ルディーの正面に立つと、「コートを脱げ」と言った。
「何を言っているの?」と、カミラはたしなめる。
クロムウェルは問答無用で、再度、外套を脱げと言う。脱げば全てがわかると。あまりにも強い物言いに一同は騒然とした。
「クロムウェル様」
「君は黙って」カミラの窘める声もクロムウェルには届かなかった。
ルディーは忌々しい表情を見せ、背を向けて逃げようとしたところ、伯爵家のフットマンにおさえられた。
その際、外套がめくれ上がると白いジョーゼットがのぞいた。ルディーはクロムウェル真直ぐ見上げ、ふーふーと息を荒げた。
「外套を脱げ」
再度のクロムウェルの言葉に、観念したように、コートを脱ぐとその下はお仕着せではなく、見覚えのある白いドレスを着ていた。カミラとモランは目を見開く。
「君がこの棺の中に入っていた。間違いないね」
「……。はい」と静かに答えた。