第17話 オーレンの亡霊
悠斗達がエミリアに連れられて地下室に突入してから1時間が経過した。
「次はユート兄ちゃんが鬼だよ!」
「よーし! みんな逃げろ逃げろー!」
「ふっふっふ。俺は生まれてこの方(普通の)鬼ごっこで負けたことがないのだ。覚悟しろよチビ共!」
悠斗は孤児院の子供達と庭で遊んでいた。悠斗はノリノリで子供達を追いかけ回す。
と言っても、調査に飽きたというわけでも調査が終わったわけでもない。地下室に入ってから数分もしない内に、子供達がエミリアを探し始めたのである。エミリアは地下室の周りに子供を近寄らせるわけにもいかず、かといって調査を丸投げにするのも躊躇った。そこで悠斗が子供達の遊び相手を買って出たのだ。
アンジェリカは子供達が近寄らないように地下室の入り口で見張っており、実質調査をしているのはエミリアと愛梨の2人だけである。
「ごめんなさい。子供達の相手までさせてしまって……」
「いえ。多分悠斗君、その内調査に飽きるだろうから……」
あまり主張をしたがらない性格の2人は遠慮がちに会話しながら調査を進めた。
愛梨は杖に光を灯そうとしたが上手く行かず、カンテラを借りて辺りを灯している。地下室には古くなったオルガンや、農作業に使うであろう農耕具が布を被って眠っている。
「それにしても本当に広い地下室ですね。灯りを点けて荷物を退ければ子供達も遊べそうなくらい」
「ええ。恐らく何かの目的があって作られたと思うのですけど……私には分かり兼ねます」
地下室は大広間と言える程広く、柱が8本立って支えている。
隅々まで調査していくと、愛梨が不自然な部分を発見した。
「風……?」
ふわり、と。自分の前髪を浮き上がらせる存在を見つけ、愛梨は足元に注目した。
石畳の間に微妙な隙間があり、そこから風が吹き込んでいる。
エミリアを呼び、詳しく訊いてみる。
「確かに隙間が……。普段はこんな奥まで来ないので気付きませんでした。前に調べた時も、その、怖くて細かいところまで見れなかったもので」
「少し剥がしてみてもいいですか?」
「構いませんが、何人か人を呼ばないと……」
「よいしょ……っと」
愛梨は魔力を込め、2m四方もあろうかという石畳を引っぺがした。厚さも数cm程度あり、その重さは愛梨のような少女はもちろん、大の大人でも1人で動かすのは困難だろうとエミリアは思っていた。
「…………へ?」
それ故に、目の前のシュールな光景に対してエミリアは唖然として固まる。
「ほら、やっぱり下に空間が……って、エミリアさん?」
愛梨は自分のしたことに対して違和感を持っていないせいで、エミリアが口を開けてフリーズしているのを不思議に思った。
「あ、はい! こほん! ここから何処かに続いているのでしょうか?」
エミリアは気を取り直し、地下室の下に続いていた空間について頭を働かせることに集中した。
「人が通れそうですね。ひょっとしてここは戦争になった時の避難場所なんじゃないでしょうか?」
愛梨は学校の授業で習った日本の防空壕を思い出していた。この世界に空襲というものがあるかは分からないが、魔法はある。遠方から一方的に攻撃する術があるのだ。王都が戦火に飲まれれば地上は焼け野原になるだろう。その時に民を護り、逃がす為の空間と通路。そう考えれば合点がいく。愛梨は自分の考えをエミリアに伝えた。
「なるほど。確かにかつての王、戦神ゲオルグは武帝アルスと最後まで戦線を張り合ったと言っています。戦火から民を護る術として避難所と脱出経路を……なるほど」
エミリアは口の中で繰り返し、何度も頷いた。
「では夜中に聞こえる声というのは、ひょっとして戦争で死んでしまった人の幽霊さんじゃ……?」
エミリアは顔を青くして愛梨の横にささっと距離を詰めて辺りをキョロキョロと見回す。
「そ、それは少し違うかも知れません。声らしき音が聞こえたのは最近で、しかも真夜中だけ。幽霊ならもっと昔から声が聞こえたはずです。こう考えるのはどうですか?」
愛梨は一つの仮説を立てた。
最近、夜中に誰かがこの通路の出口の近くまたはこの通路内で何かをしている。その音や会話の声が地下室を通じて聞こえてきたのではないか。
「地下室から地上までは結構な距離もあるし壁や扉で音も篭る。それでも聞こえるということは相当大きな音を立てているということですね」
「幽霊さんじゃなさそうなんですね」
エミリアはそのことに大層ホッとして胸を撫で下ろした。その仕草でエミリアの胸が僅かに揺れるのを愛梨は見逃さなかった。
ちなみにエミリアの胸はシスターらしく包容力に満ちたボリュームをしている。愛梨がチラリとシスターの胸を見る目は洞穴のように真っ黒だった。
閑話休題、一応の結論を出した2人は地下室を去ることにした。シスターもこの件にばかり時間をかけていられない。詳しくは明日話し合うということで、その場はお開きとなった。
「よければ夕飯を召し上がって行かれませんか? お礼も兼ねて、今夜はここに滞在していただきたいのですが……」
「分かりました。仲間と相談してみます」
愛梨はアンジェリカと悠斗に相談してみた。2人共快諾し、アンジェリカは事の顛末を話すと宿への連絡と色々準備があると言って孤児院を一旦離れた。悠斗はと言えば、子供達と完全に打ち解けており、今夜は泊まると聞いて子供達は大はしゃぎしていた。
「うふふ。皆あんなに嬉しそうに。ユートさんは優しい方なんですね」
エミリアも子供達の笑顔に顔が綻ぶ。
その日の孤児院はいつもより元気な声が飛び交った。
☆
夕刻:市場
陽が傾き始めた頃、アンジェリカは市場を練り歩いていた。宿には宿泊はしないが部屋取りだけはしておいて欲しいという旨を伝え、迷惑料代わりに幾らか多めに支払っておいた。ウルは宿の人間に遣いを出させて孤児院へ届けてもらった。そんなこんな用事を済ませ、この市場へと赴く。
市場と言っても露店ではなく、王都の中央に建てられた大型の家屋の中で幾つかの店が立ち並んでいる。夕飯の買い出しに賑わっている食料市を尻目にアンジェリカは装飾品などを取り扱っている一角に向かっていった。その内の一つの店舗に目をつける。
「いらっしゃい」
店に近付くと、店の者らしき好々爺が柔和な笑顔で出迎える。店の奥に座っていたが、杖をついてわざわざ出迎えてくれた店主にアンジェリカは薄く笑って会釈し、商品を物色し始めた。
「お嬢さん、何をお探しで?」
「耳栓みたいな防音効果のあるものが欲しいわ。孤児院に泊まるから子供達の騒ぎ声で目を覚ましそうだもの」
アンジェリカは子供達と戯れて大騒ぎする悠斗を脳裏に浮かべ、心の中で苦笑した。
「ほう。あの孤児院で……。アルは元気でしたかな?」
「アル?」
アンジェリカは孤児院の子供達の名前は何人か聞いていたが、アルという名前は聞かなかった。
「赤い髪の少年です。とても元気で、騒動の渦中に常にいるような子ですから目立ったかと思いますが」
アンジェリカは子供達の顔を思い浮かべたが、その特徴に該当する子はいなかった。
「いえ、見なかったわ。何せ今日初めて孤児院に寄ったものだから、まだ全員の名前と顔を把握できてなくて……」
「そうでしたか。もし会えたら、ヨゼフがよろしく言っていたとお伝え下され」
店主はそれだけ言うと店の中に置かれた椅子へと戻っていった。
アンジェリカはそのことを頭の片隅に置きつつ、特に魔法もかかっていない耳栓を購入した。
「さて、次は……と」
アンジェリカは最後に店主に頭を下げ、他の店へと歩き出そうとした。
「よぉ、あん時のお嬢ちゃんじゃねえか!」
聞き覚えのある声に、アンジェリカは歩みを止める。振り返ると、初めてオーレンに来た時に絡んできた剣闘士を名乗る男達のリーダー格らしき1人だった。アンジェリカは距離を取り、静かに魔力を練り始めた。
「おっと! 勘違いしねぇでくれよ! もう襲ったりしねえって! あのユートとかいう坊やに誓ってな」
露骨に警戒の眼差しを向けてくるアンジェリカに対して、男は両手を上げて無抵抗を主張した。
「……何の用?」
アンジェリカは警戒を解かず一定の距離を保って尋ねる。
「いやぁ用事って程のモンじゃねぇんだけどよ。あんだけ腕っ節のいい男は久しぶりに見たからな! 是非闘技場にこねえかと思ってよ」
男は悠斗の暴れっぷりに感心したらしい。流石は剣闘士。闘争に生きる男と言ったところか。
「自分を叩きのめした相手を逆にスカウトするってわけね。見た目通り中々逞しい根性してるわね。いいわ。ユートに掛け合うだけ掛け合ってあげればいいんでしょ?」
さっさとこの場を去りたくなったアンジェリカは男の意を汲み要求を先読みする。
「話が分かるじゃねえか! 闘技場でサイモンに用があるって伝えりゃ分かるからよ! そんじゃ頼んだぜ!」
男はそれだけ言うとずんずんと地を鳴らして去って行った。
「……はぁ。なんか用事を済ますつもりが逆に増えてるんだけど」
アンジェリカは深くため息を吐き、足早に買い物を済ませた。
☆
同刻:孤児院前。
エミリアに留守番を頼まれた悠斗は愛梨に子供達を任せて孤児院の前で人を待っていた。厳密には、人が連れてくる生き物を待っていた。
「ガウ! ガウ!」
「ウル!」
声の方を見ると、中年の女性がリードに繋がったウルに引っ張られながらこちらに歩いてきていた。
「はいお待たせ。ウルちゃん連れてきましたよ」
「あんがとおばちゃん! いい子にしてたかウル?」
「ワフ!」
冒険者稼業に忙しかった悠斗はウルと一緒にいられる時間が少なくなっていた。
始めは宿に置くだけだったが、店主の嫁がウルを大層気に入り、無償で世話を引き受けていた。(それでも申し訳ないと思って餌代は払っていたが)
ウルは構ってもらえなかった分を取り返そうとするかのように悠斗に飛びついた。
「本当に行儀の良い子でね。こっちの言ってることが分かるんじゃないかってくらい賢いのよ! ご飯も決まった時間までちゃんと待ててねぇ。ウチの息子じゃこうはいかなかったのに……」
店主夫人はウルの可愛さ余ってアレコレと喋り出す。
「おばちゃんそればっかし! もう10回は聞いたぜその話」
悠斗は嬉しそうに話す夫人を見て笑みが溢れた。
「あら、長話しちゃってゴメンねぇ。それじゃあ宿に戻るわ。夕飯の仕込み、旦那に任せっきりだから」
夫人はそう言ってすたすたと去って行った。悠斗は見えなくなるまで手を振り、それからウルを連れて孤児院に戻った。
「わー! わんちゃんだ!」
「ユート兄ちゃんの? すごーい!」
「白くてきれーい! フワフワしててあったかーい!」
「ガウ! ガルルル……」
ウルは早速子供達のおもちゃとなった。もみくちゃにされてじたばたと暴れるが、子供達にとってはじゃれついてるようにしか見えない。終いには諦めたようになすがまま弄られている。
「魔狼と言えども子供達の元気パワーには敵わないか」
「ちょっと可哀想、かな……?」
悠斗はその様子を微笑ましく眺め、愛梨はウルに同情する。
「みんな、ウルも今日は泊まってくからよろしくな! あんま毛とか尻尾とか引っ張ると噛まれるから気をつけろよ!」
「はーい!」
子供達は一斉に返事をし、再びウル弄りに没頭した。
「分かってんのかね……?」
そんなこんなでウルはエミリアが帰ってくる頃には煙が出るくらい撫で回されたという。
☆
オレンガスト城:兵士宿舎
力の国と呼ばれるオレンガスト王国で、小さく、しかし深刻な闇が広がり始めていた。
「……これで何人目だ?」
ロレンツは目の前に倒れ伏した兵士を見る。
兵士は死んでいた。宿舎の裏で倒れているのを別の兵士が見つけ、報告されたロレンツが駆けつけた。他の者は3人以上の組となって各自宿舎で待機を命じてある。
「……3人目です」
報告した兵士がロレンツの傍らで絞り出すような声で答える。ギリ、とロレンツが歯軋りをするのを兵士は聞いた。
オレンガスト王国が誇る騎士団。その騎士団内で連続殺人事件が起こっている。発生時期は数日前。理由も、犯人像も、手がかりがほとんどないままオーレン騎士団は3人もの盟友を失った。死因は刺殺。レイピアのような刺し傷が胸に一つ、背中まで貫かれているだけである。
公表はできない。オーレン騎士団は力の国であるオレンガスト王国の中でも特に戦闘能力に優れた集団なのだ。そのメンバーが暗殺されたと知られれば人々の不安は強烈なものとなるだろう。被害が広がらない内に水面下で解決を急がねばならない。そんな状況下で既に3回の暗殺を許しているとあって騎士団の緊張も尋常ならざるものだった。
「…………すまん」
ロレンツは兵士の亡骸を抱え、開かれた瞳孔を閉じてやろうと手を伸ばし、ふとその手を止めた。
「待てよ……。ベイト! 確か魔法国からの貢物に妙な水晶が紛れてたよな?」
「はい。なんでも、他人の記憶を見ることができる……ああ!」
ロレンツの言葉に兵士も合点する。
「不幸中の幸いってか……問題は『今の』国王がそいつを素直に貸してくれるか、だがな」
ロレンツは気を引き締め直し、服の切れ端を破いて兵士の亡骸の目を轡のように縛って覆う。
「悪いが、もう少しだけ生きててくれ。死人に口なしじゃあ、お前だって死んでも死にきれんだろ? ベイト! 明日の朝一番で謁見の間に行くぞ!」
ロレンツは不意に差した光明を逃すまいと、より一層眼光を鋭くする。
☆
「おお、怖い。これは見つかればタダでは済みませんねぇ」
喪服のような黒いスーツを身につけた男が城門の上から兵士宿舎を見下ろす。
「しかし死体を回収されてしまいましたか……。今まで通りすぐに葬ってくれればこっちも『回収』がラクなんですけどねぇ」
男は口に張り付いた笑みが消え、不服そうな表情を浮かべる。
「……少し危険ですが賭けをしてみますか」
それだけ言うと、男の姿は闇に溶けて消え去った。オレンガストの静かな夜を、細い月が弱々しく照らした。
愛梨のゴリラ化が深刻