31 終わりよければ、全てよし
久しぶりにマリーベルの夢を見たのは、ルシオ王子と私の結婚パーティーの前夜のことだった。
若くして命を落とした妹に、私はずっと多少の後ろめたさを感じずにはいられなかった。だって、今私が手にいれたもののいくつかは、本当は彼女のものになるはずだったもの。
夢の中で、何を話したのかはあまり思い出せない。だけど何故か、妹の笑顔だけが頭に焼き付いていて。
それはもしかしたら――私の都合の良い思い込みかもしれない。今となっては、確かめようもない。元より誰にも分かるはずがない。それでも、あの子がこの日を祝福してくれているようで、無性に泣きたくなった。
私にないものを全部持っていた。それでいて、誰より優しく公正で、非の打ち所のない妹。本当はずっと、誰より憧れていた。あんな風になりたかった。
完璧だった妹に、少しは近づけただろうか――。その答えを、私はもう知っている。
「昨晩はよくお眠りになれましたか?」
「……ええ」
「それはようございました」
朝の支度を手伝ってくれる侍女は、にっこりと笑って「今日は大切な日ですから」、と付け加えた。
何から何まで世話を焼いてくれる人間がいるというものはまだ慣れない。公爵令嬢として実家で穀潰ししていた頃にも、ある程度の身の回りの世話をする使用人はいたが、やはり王族になると格が違うと感じる。私の場合は、薬室の雑用係として宿舎で生活していたから、余計にそう思うのかもしれないが。
「モニカさまの花嫁姿、楽しみにしておりますわ。結婚式の時は、拝見することができませんでしたから。きっとお綺麗でしょうね……」
「そう……かしら」
そこまで期待が大きいと、こちらのプレッシャーが半端ない。うっとりと声をもらす侍女に、段々自信がなくなっていくのを感じた。
――大丈夫。大丈夫なはず。
衣装合わせの時は、王妃も王女も誉めてくれたし。段取りも頭に叩き込んである。結婚式の時に比べればばっちり……なはず。
しかし王妃が言い出した結婚パーティーは、内々で済ませた結婚式の時とは違い対外的な披露を目的としているので、招待客も多い。故に、下手な失敗は許されない。場合によっては、国の威信にかかわることもある……それなのに。
「もしかして、緊張されていらっしゃいます?」
「そ……そうね、少しは」
「大丈夫ですよ。王太子殿下に全て任せておけば、きっと心配はいりませんわ」
何も知らない無邪気な侍女に、「その王太子が心配なんだ!」と、言ってやりたくなるのをこらえて、曖昧に笑った。
実はこの結婚パーティー、ルシオ王子とは詳細をほとんど話せていない。というのも、私たちが本当の意味での夫婦となってから約一月、彼と会ったのは数えるほど。特にここ数日は全く顔を合わせていなかった。
忙しいのだとは聞いている。夜を共にすることが少ないことに関しては、互いの気持ちを確かめあった後ではそれほど不安には思っていない。しかし、それでこの結婚パーティーは大丈夫なのか……それが不安で仕方なかった。
夕方になってパーティーが始まる直前のこと、控え室で顔を合わせた王子は、いかにも固い表情で口数が少なく、緊張している風だった。私の不安は更に大きくなるが、王子はこちらを気遣う言葉もない。
そうして始まった私たちの結婚パーティー、しかしそれは意外にも滞りなく進んでいった。
主役の挨拶を無事に終えた後、会場である王宮の大広間はしばし歓談の時間となるが、その間も次から次へと私たちに挨拶に来る者は絶えなかった。隣にいる王子とはほとんど会話する機会もないまま、時間は過ぎていく。
――やっぱり、らしくない。
表面上は当たり障りなく対応しているように見えるが、やはり緊張のせいなのか王子の言動には違和感が拭えない。
いつの間にか、自らの緊張も忘れて王子のことばかり考えていた私は、途切れぬ招待客たちの隙をついて彼を広間の外へと連れ出した。
「――モ、モニカ!? どうしたんだ、早く戻らなければ……」
突然の私の行動に王子は驚いていた。
周囲を気にするように彼は言ったが、ひとたびパーティーの喧騒を抜け出してしまえば、そこにふたりの邪魔をするものはない。
「殿下こそ……大丈夫なのですか?」
「私は別に……なんともないが」
「嘘です。先程からずっとこちらを向いて下さらないではないですか」
至近距離でじっと王子を見つめれば、嘯いた彼の瞳がゆらゆら揺れる。
「……っそんなこと」
「それに、最近は忙しいと言って、ろくに会っても頂けません。私のこと、嫌いになってしまいましたか?」
王子に限ってそんなことはないと思う。いや、ないと思いたいけれど……ここまで上の空だと不安にもなる。
しかし、小さな疑いはすぐに否定された。
「――ち、違う! そうじゃないんだ……すまない。そんな風に不安にさせるとは思わなかった……」
ずっと女性が苦手で、会話すらままならなかったという王子は、うぶな少年のように顔を真っ赤にさせて必死に言った。
つられて私も赤くなる……というか、色恋に関しては、私もたいしてレベルが違わないわけで。
「今日のパーティーのことを考えたら……緊張して、他のことを考える余裕がなく……」
「え? 今日のことをずっと……ですか?」
こくり、と頷いた王子には思わず目をぱちくりさせてしまった。
緊張しているのだろう、とは思っていたが、まさか彼を数日に渡って悩ませる原因だったとは。
不器用にもほどがある。だけど――そんな王子が嫌いじゃない。
「さすがに大げさですよ――殿下ったら」
「大げさではない。今日は私たちの二度目の結婚式だ」
私は笑いをこらえきれず笑みをもらしたが、王子の真面目な表情に思わずどきりする。
「そう……ですね」
しばらくの間、どちらが言葉を発するでもなく見つめ合った。そのうち、広間に曲が流れ出したことに気づく。ダンスが――始まったのだ。
「モニカ、広間に戻ろう」
「は、はい……」
王子の声で我に返った私は、慌てて頷いた。
主役の踊りは最も注目される。いつの間にかいなくなっていた、では話にならない。
広間に戻れば、私たちは一気に招待客たちの視線に晒された。皆が私たちの一挙一動に注目している。再び戻ってきた――緊張感。
「モニカ――手を」
不意にそう言った王子が、微笑みながらこちらに手を差し出す。
「私と踊ってくれるか?」
その姿に、言い様のない懐かしさを覚えた。
――そうか。全てはここから、始まったんだ。
あの日、取れなかった優しい手。
それは今も変わらず目の前にある。そう思えば――自然と笑みがこぼれた。
「……はい、喜んで」
――親愛なる、マリーベル。
でき損ないの私は、決してあなたのようにはなれない。
だけど――私は私なりの人生を、一生懸命に歩んでみようと思う。
だから、きっと見守っていてちょうだいね。




