表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者の名を継がなかった最後の弟子 〜くたびれ元勇者候補と、看板を下ろす旅〜  作者: 雨宮かなめ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/4

第2話 弟子帳にない最後の弟子

 鍵は、エナの首にあった。


 朝晩の買い出しのたびに預けられ、そのまま返しそびれた、ロアンの小屋の鍵だった。その鍵穴は今、赤い封印紐の下にある。


 扉には白い管理札が下がっていた。王国の印。昨日までなかったものだ。


「鍵をお持ちでも、弟子帳にお名前がない以上、単独では入れません」


 入口脇の係官が言った。


 責める声ではなかった。帳面を読む声だった。


 エナは首の紐を握った。指が白くなる。鍵は掌の中で、いつもと同じ形をしていた。


 形だけは。


「立ち会いのもとであれば、遺品確認は可能です。どうぞ」


 封印紐が外され、扉が開いた。


 雨上がりの匂いが土間から流れ出る。


 狭い小屋だった。勇者の屋敷ではない。土間には昨日の靴跡が乾いて残り、外から持ち込まれた泥が筋になっていた。


 左の作業机には弟子帳と遺品目録が広げられている。右の棚には薬草袋と古布、そして底の黒い鍋。奥の炉には灰だけがあった。


 火は、もうどこにもなかった。


 机の前に、若い門弟が立っていた。


 本家の喪章をつけている。弟子帳を胸の前で抱え、ちょうどエナの動線を塞ぐ位置だった。


「晩年のお世話をされていた方ですよね。確認は棚の側からお願いします」


 門弟は軽く頭を下げた。


 抱えた弟子帳だけは、エナの動線に残っていた。


 エナは棚の側へ回った。


 回りながら、机の弟子帳が見えた。最後の名前の下の余白が、昨日と同じ白さで開いていた。


 昨日、処分箱からは戻した。


 けれど、それは廃棄を止めるための仮記録だった。


 封印された小屋から外へ持ち出すには、別の理由が要る。


 係官が目録に線を引いていく。


「棚上段、薬草袋。保存。古布、処分。鉄鍋──」


 筆が止まる。


「展示不適。廃棄候補」


 係官が赤い札を取り出した。


 札には、太い字で【廃棄候補】とあった。糊を引かれ、鍋の腹へ寄せられる。


 エナの体が先に動いた。


 札と鍋の間に、長い袖ごと手を差し込んでいた。


「……触れないでいただけますか」


「触れたのはそちらです」


 言い返せなかった。


 ただ、手は退かなかった。赤い札は半分だけ糊が残り、係官の指先で所在なく揺れた。


 エナは鍋から手を離さないまま、机の上の木札を見た。


 入口で音がした。


 ガルドが敷居に蹴つまずいていた。


 昨日と同じ濡れた外套。寝癖はむしろ悪化していた。土間に入るなり柱に寄りかかり、そこが自分の席のように収まる。


 酒の匂いが、小屋の湿気と混ざった。


 エナは少しだけ鼻を寄せた。師匠の薬湯より、ひどい匂いだった。


 門弟が眉を寄せ、係官が咳払いをした。


 ガルドはどちらも見ていなかった。棚の鍋と、エナの袖だけを見ていた。


「話を進めます。昨日の、看板裏の木札を」


 係官が机に未処理依頼札を置いた。


 雨染みと釘穴のある、あの札だ。


 門弟が覗き込み、すぐに首をひねった。


「師の字は、私たちにも読めません」


「公文書の癖ではないですね。判読不能として記録を」


 ガルドが柱から離れ、札をつまみ上げた。


 逆さだった。


 エナは無言で歩み寄り、札の向きを直した。


「……読めねえ」


「師匠の字は、慣れれば読めます」


 真顔で返し、札を受け取る。


 それから窓際へ寄った。曇りの光でも、机の上よりは字が起きた。


 線が潰れている。


 だが、潰れ方に癖があった。


 「北」を一画目から潰して書く癖。買い出しメモの「北の八百屋」がいつもそうだった。


 「火」の払いだけ妙に長い癖。薬草袋の走り書きで見た。


 日付の「三」が、横線二本にしか見えない癖。あれで何度、朝の粥の当番を読み違えたか。


 エナは鍋の底の焦げを見て、もう一度札を見た。


「北門裏。火種。……子ども。三日目の、夜まで」


「失礼ですが、本当にそう書いてありますか」


 門弟は弟子帳を抱え直した。目だけが、札とエナの顔を往復している。


「三日目」


 エナはまばたきを止めた。


 看板が外されたのが一昨日。葬儀が昨日。


「三日目って、今日です」


 師匠は、急がなくていい仕事に日限を書かない。


 係官の筆先が、目録の上で止まった。


 すぐに、ペンを持ち直す。


「依頼の存否は確認が必要ですね。ただし遺品の持ち出しは──」


「これは、未処理依頼の確認に必要です」


 エナは棚の鍋を指した。


「火種を確認するなら、この鍋が必要です。師匠は、火種をむき出しで運びません」


 形見だから、とは言わなかった。


 言えば負けると分かっていた。


「正式な譲渡はできません」


「譲渡ではなく、持出です。理由と返却予定日を書きます」


 係官が門弟を見た。


 門弟は弟子帳を抱えたまま、札とエナの爪を見比べ、何も言わなかった。


「……一時持出には、理由と返却予定日の記入が必要です」


 係官が申請書を机に置いた。


 エナは鍋を先に抱えた。


 片腕で底を支え、空いた手でペンを取る。鍋が重みで傾き、申請書が肘の下でずれかけた。


 門弟がとっさに鍋へ手を伸ばす。


 片手だった。


「雑に持つな」


 低い声だった。


 ガルドは柱の脇から動いてもいなかった。


 だが門弟の手は止まり、両手に直ってから、机の端を押さえるだけに変わった。


 エナは書いた。


 理由、依頼確認。


 返却予定日、明日。


 持出者の欄に、煤のついた指でペンを握ったまま、二文字。


 エナ。


 弟子帳の余白は白いままだった。


 だがこの紙の、この欄は、もう白くなかった。


 小屋を出る。


 背後で封印紐が結び直される音がした。


 首には鍵。腕には鍋。喪服の内側には、折らずにしまった依頼札。


 鍋の重みで、エナは半歩よろけた。


「重いぞ」


「知ってます」


 空は暮れ始めていた。


 北門の方角から、市の終い鐘が遠く聞こえる。


 三日目の夜は、もう始まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ