第2章10節 祝福されない子供
全快したオキュラスの転移で、タカヒロ達は星逢町に戻った。陽鞠の身柄も自力で動ける状態になったのならいつまでも病院に置いておくわけにはいかず、しばらくは拠点でオキュラスが監視することになった。
創造主の意志を宿す彼女の能力で地球に戻った時、空を覆っていたのは一面の藍色。
タカヒロの家に着く頃には、すっかり日が沈んでいた。七時を回った暗がりの中、赤い屋根の家がぽつんとそびえ立っている。
インターホンを押すと、長い髪をシュシュで束ねた母親が玄関に顔を出した。
わずかに浮かんだ心配の表情は、すぐに穏やかなものへと戻る。
「母さん、遅くなって悪い。学校帰りに色々、想定外のことがあってさ」
「あんまり遅いから心配したけど、無事で良かったわ。ソリスちゃんと一緒だったのね」
ソリスは銀色の髪を揺らして頷く。
「中に上がって。夜も遅いし、親御さんに連絡できるようなら泊まって行ってもいいのよ?」
「えっと、わたしは大丈夫」
「でも、夜遅くに女の子を一人で帰すのは忍びないわ」
ソリスが普通の少女ではないことも彼女は知らない。田舎基準では七時を回れば、出歩く者もほとんどいない夜分だ。そんな時間帯に女の子を放り出すことはできないのが田舎事情だ。
穏やかそうに見える女性の強情さに、折れたのはソリスの方だった。
「泊まるかは分からないけど、上がって行こうかな」
「遅くに出歩くのも危険だし、泊まって行っていいんだぞ?」
リビングのソファに座ったソリスは、出された紅茶に口を付ける。春先の夜をうろついて冷えた身体に、紅茶の湯気が滲みた。
祖国でも落ち着ける瞬間のなかった少女は、背もたれに身体を預ける。
目を閉じて疲労を実感していると、不意にタカヒロがソファの真横に立った。ソリスの方をじっと見つめながら、どう切り出そうかと視線を右往左往させている。
「あのさ、ソリス。……役目を放棄するようなこと言ってごめんな」
そのことについて謝罪されるとは思っておらず、ソリスは目を見張った。
彼女は祖国の命運を握らされて、この惑星へと飛来した。逼迫した事情を抱えた彼女に、これまで守ってくれた行為を無下にするような対応をしたのは事実だ。
「……謝ることじゃない。タカヒロだって星玉を拾ったことで、面倒事に巻き込まれたんだし」
「それでも嬉しかったよ。こんな自分でも――カタナシの俺でも、役に立てることがあって」
ソファの肘置きに浅く座り、柔らかな口調で続ける。
「俺を認めてくれて、ありがとな」
言ってすぐ恥ずかしくなったのか、タカヒロは両頬を叩いて肘置きから降りる。
「今日は風呂入って寝るから! また後でな、ソリス!」
「う、うん……」
驚いたソリスを置いて、タカヒロは洗面所へと走って行った。
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度重なる戦闘と体力の消耗で疲弊したらしく、風呂から上がったタカヒロはくたびれていた。始めて他の惑星の土を踏んだ疲労もあるかもしれない。十一時には部屋に引っ込んだ彼とは対照的に、眠気の来ないソリスはリビングに残った。
「ソリスちゃん、布団敷くからリビングで寝てもらってもいいかしら?」
「うん、それでいい。ありがとう、タカヒロのお母さん」
布団をリビングの端に持って来た母親は、ふわりと微笑みを返す。
「いいのよ、ソリスちゃんはお客様だもの。ねぇ、まだ眠くないなら少しお話しない?」
ダイニングテーブルに座り、彼女は正面の席を指し示した。
そこにソリスが腰を下ろすと、
「あの子がこの町でどう思われているか、もう息子からは聞いたかしら」
テーブルに頬杖を突いて、そう切り出してきた。
その問いが何を意味しているのか、今なら分かる。この町に祝福されない、忌み嫌われる子供。
「……カタナシ、だっけ。そのせいでタカヒロはクラスでも、先生にも無視されてる」
「どうして、あの子がカタナシと呼ばれているか知ってる?」
「父親が分からないからだって、言ってた」
離婚でも死別でもなく、ただ生まれた時から父親がいないとしか聞いていない。
彼が自身の出自のせいで茨の道を歩まされていると分かって、追及するのは憚られた。
「この町は出自の不明な子供に厳しいのよ。でも、父親って何かしらね」
その人は紅茶のカップに手を添える。
温かな湯気と深みのある紅茶の香り。苦味のある香り、だった
「あの子の父親が誰か、私も知らないの。戸籍上は誰も登録されていない。血縁が父親を決めるなら、あの子の父親を知る機会は永遠にないかもね」
「タカヒロの母親、なのに……?」
「あの子は精子提供を受けて、体外受精で生まれた子供だから」
何を言われたのか理解が追い付かなかったソリスに、彼とよく似た容姿の女性は首を傾げる。
目鼻立ちに面影があり、やはり親子だなと思う。
「精子提供と体外受精、聞いたことはある?」
「……うん。どっちもタカヒロの口から聞いた」
惑星プラメルにその技術はないかと尋ねられた。こちらでは主流ではないのかと。
それに対して自分は、それが普及していたら人工生命体の存在を責められないと答えた。
質問の意図も不明で、その答えに傷付く素振りもなかったが、きっと彼だって何も思わなかったわけではないはずだ。
「この町の人達は、町で暮らすのが当たり前だと思ってる。外で仕事をしても、ここに戻って来るのが普通だってね。そして、家を途絶えさせないように子孫を繋ぐのが当然だって」
「そんなの……」
「私はそれが嫌で一度、町を出た。家を繋ぐとか墓を守るとか、そういうことのために子供を産みたいとは思わなかった。でもね、子供は欲しかった」
息もできない真剣な空気に、ソリスは目線を下げる。
「一人で育てていけるくらいの金銭的な余裕ができて、元々家でできる仕事だったから、子育てに専念する時間も取れたの。それで、あの子を産んで育てることに決めたわ」
自分は誰かと恋愛ができない体質なのだと、母親は語った。
人を好きになれない、好きになれない相手と触れ合うのも気持ち悪い。それでも自分で産み育てた子供を愛してみたいと思ったのだと。
「それでタカヒロが生まれた――?」
「ええ、自慢の息子よ。でも、子供が生まれたと聞きつけた両親が、町の外でひっそり暮らしていた私達を連れ戻しに来たの」
「どう、して」
彼女の視線が一瞬、鋭い光を帯びる。
「町の人間は町で一生を終えるのが名誉だと、あの人達は本気で信じているからよ」
この町の人間の理解しがたい思考には、聞き及んでいないものもまだあったようだ。
「連れ戻されたら父親がいないと分かって、あの子は町中から迫害されるようになった。町の外に逃れようにも、町の人達の目がある以上は逃げ出すのも難しいわ」
タカヒロの母親は頬杖を突いたまま、寂し気に微笑む。
「あの子が私を恨む権利はある。私がこの町の人間じゃなければ――もっと言えば、子供が欲しいと思わなければ、あの子がこんな思いをすることはなかったもの」
「タカヒロは自分の出自について、知ってるの?」
「ええ、知ってるわ。中学に入ると同時に伝えた」
――タカヒロは人工生命体という呼び方を嫌った。
ガングリオが試験管の中で作られた生命体だと知って、あの淡泊なところのある青年は傷付くような反応を取った。あの青年にしては珍しく、感情を表に出して。
「父親がいないことを、いつまでも誤魔化してはおけないもの」
それを知ってからの彼との距離感は、変わってしまうような気がした。
「この町であの子と関わるのは、相当なリスクを負うことになるわよ。親として、あの子と関わったことで不憫な思いはしてほしくないの」
ソリスは伏せていた目を開き、正面に座った女性を見据える。
「これからも変わらずに接する。その話を聞いたことも、タカヒロには言わない」
「身の安全のために関わるのをやめたって、あの子は気にしないわよ? 小さい頃からそんなことばかりで、あの子、仲良くなった子に距離を置かれるのは慣れてるだから」
少女は首を強く横に振る。
「わたしはタカヒロの傍にいる。それはこれからも変わらない」
「そう――。あなたのためにはならないかもしれないけれど、そう言ってくれて嬉しいわ」
普段はどんなに明るく振る舞っていても、タカヒロ自身も逃れようのない差別の目に悲痛な叫びを上げていた。
星玉の主だからではなく、あの少年が心の底から笑っていられるように彼の傍にいようと思った。




