第2章5節 なぐれ
灰色がかった雲が広がる空が、屋上に弱弱しい日差しを届けている。今にも雨の降り出しそうな曇天だ。日差しが遮られて涼しい風が吹く快適な気候。
教室の鬱屈した空気を吐き出し、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込む。
俺の唯一の友人は、購買で買って来たフライドポテトを頬張っていた。
「睦月はフライドポテト好きだよなぁ」
「自分の身体を作るものは、自分の好きなものであってほしいだろう。好きなものを取り込んで生きていけるならそうしたい」
「栄養偏らなきゃいいけどな」
フライドポテトを咀嚼する音が屋上に響く。
睦月は大抵、主食を購買のフライドポテトで済ませる。ポテトが好きというより、偏食家と言えるほどの偏り具合だ。何のこだわりがあるのか知らないが、昔から異様にジャガイモを好んでいる。
「ソリスと知り合いなのかって、もう聞かないんだな」
彼はどこからか屋上に入り込んだアリの行列を眺めていた。
「聞いてほしいのか」
「いやー、俺もこれがどういう関係なのか説明できる自信がない。でも睦月に聞かれたら、誠心誠意答えるつもりではあるんだぜ」
「……ヒロ、アリはどうやって屋上に来るんだと思う」
俺やソリスのことより、今は目の前のアリのことで頭がいっぱいらしい。
長く友人をやっていれば、睦月にとって目先の関心が全てだということは分かっている。
実際、惑星プラメルのことは伏せるとしても、できる限りの真実は伝えるつもりだった。ソリスとも少し話したようだし、完全な無関係という立場でもない。
「通風孔とかパイプに入り込んで、迷い込んだんじゃないか?」
「ここで食物を見つけても、巣に持ち帰れないだろう」
「アリにも帰巣本能ってあるんじゃなかったか? あれ、違うっけ」
帰巣本能さえあれば、食物を見つけて自力で帰ることもできるだろう。規則正しく列を成したアリは、うっかり迷い込んだという雰囲気でもなかった。今まで気付いていなかっただけで、屋上にも頻繁に出没していたのかもしれない。
そう考えて睦月を振り返った時、そこにあってはならないものが視界に入り込んだ。
鋭い鍵爪を携えた黒い化け物。醜悪なそれが、俺と睦月の間に立っている。
足元がくずれ落ちるような衝撃に、心臓がスッと冷えた。
今の俺では対処できない。ただの地球人にアレを倒すことなんて到底――
「逃げろ、睦月! マズいことになったって、ソリスに知らせてくれ!」
化け物は俺一人を狙っている。退散してしまえば、無関係な人間に手出しはしないはずだ。
生徒が大勢いる校舎に、化け物を引き入れるわけにはいかない。未知の生命体が学校を襲撃したとなれば、惑星プラメルの存在も隠しておけなくなる。
ソリスが到着するまで一人で持ち堪えるしかない。
ノコギリのような鋭い歯が剥き出される。腕の一本は持っていかれる覚悟で、顔の前に腕を掲げた。死にさえしなければ問題ないというのなら安いものだ。
そう頭では割り切っていても、掲げた自分の腕は震えていた。
「グルァアア‼」
――化け物の頭部に、彼のかかと落としが炸裂する。
獲物をしとめる邪魔をされた異形は、背後に立つ睦月に牙を剥いて威嚇した。
睦月の手にしていたフライドポテトが、コンクリートの地面に落ちて散らばる。
「駄目だっ、ソレはソリスじゃないと倒せないんだよ!」
「俺が冨楽を呼んでる間に、お前が重傷負ったらどうするんだ」
黒い人工生命体は、俺に明確な殺意を向けている。飢えたライオンの檻に入れられた気分だ。出入口は一つしかなく、飛び降りれば確実に死ぬ。
あの王女様には死ぬなと言われているが、彼女が到着するまで持ち堪えられるかは一か八か。
「倒さなくていいなら、その場しのぎで対処はできる。だから、ヒロ」
彼を狙った鍵爪がコンクリートの地面を抉る。圧倒的な鍵爪の威力を前にしても、彼は怯む気配すら見せなかった。
荒れ狂う異形に負けず劣らずの純粋な殺意。
何を聞かれるかなんて、分かり切っていた。
「――なぐっていいか」
「どうしても逃げたくねえのかよ……っ」
俺を無理矢理にでもドアまで引っ張り、屋上から校舎内へと逃げ込むならまだしも。逃げるどころか立ち向かう意志を示した上で、彼は許可を求めてきた。
衝動的に殴りかかっても良い事態なのに、その約束はこの状況でも適応されるようだ。
睦月は許可が下りるのをひたすらに待ち、迫り来る一撃をかわし続けていた。助けを呼びに行くつもりもないのであれば、時間稼ぎには限界がある。
「分かった、ソイツをなぐれ! 絶対に死ぬなよ⁉」
「了解した」
コンクリートにめり込んだ腕を引き抜く一瞬の隙を突いて、睦月はその腹に拳を撃った。
怯んだ化け物の腕に両腕を回し、睦月は右脚を主軸にして力任せに化け物を投げ飛ばしす。遠心力によって振り回された黒い体躯は、背中からコンクリートに叩き付けられた。
思わずこちらが顔をしかめてしまう派手な衝突音が響く。凄まじい剛腕だ。
それが叩き付けられた部分から、コンクリートの破片が砕け散る。
死に損なったセミのように、ソイツは両手足を出鱈目に動かして呻いた。
「……脊椎からイッたら、気絶くらいするものじゃないのか……?」
屋上に繋がるドアの手前に、掃除用具入れが置いてある。俺はその扉を開けてホウキを取り出し、睦月に向けて放り投げた。
「睦月ッ、これ!」
よろめきながら立ち上がった異形の口に、睦月は迷わずホウキの柄を突っ込む。
喉奥を突かれた化け物は、異物を吐き出そうと嘔吐く。
口腔にホウキを突っ込まれた化け物を、我が友人は手すりの向こう側へとブン投げた。
黒い外来生物は真下へと垂直落下。手すりから身を乗り出し、地面に叩き付けられた化け物の様子を確認する。あらぬ方向に曲がった手足は痙攣し、気絶もできずにのたうち回っていた。
「見てるだけで喉痛くなってきた……。喉やられて苦しんだりするのな、アレ」
「どんな生き物でも、食物を摂取する部分は皮膚が薄くできているはずだ」
コンクリートの破損が一見分からないように、破片を陥没した箇所に掻き集めて誤魔化す。清掃員の人が掃除に来るかもしれないし、隠蔽しておかなければ。
「そういや聞こうと思ってたんだけどさ。施天ノ神ってカタナシの子供しか憑代にしなかったとか、そういう通説ってあった?」
「通説はないが、うちの蔵から出て来た手記にはそう書かれていた」
何回か久我家にはお邪魔しているが、家の裏手に木造の蔵があった。古びた蔵だとは思っていたが、施天ノ神について書かれた手記が眠っていたとは。
「俺の先祖が憑代になったことがあったらしい。そこに、施天ノ神がカタナシしか憑代にしなかったと取れる記述があった」
「カタナシって子供が生まれたら、赤子のうちに殺されるのかと思ってた」
「憑代になったことで、村民も無下にできなくなったのかもな」
だからだろうか、睦月がカタナシに対する偏見を持っていなかったのは。
「ってことは、知らないだけでカタナシの末裔が結構いるのかもしれんな」
「手記を見つけたのは姉さんだったんだが、興味ないからって俺に丸投げして行った」
睦月が苦々しい表情で語る。
「お姉さんのことは今でも苦手なんだな」
「何回、骨折られたと思ってるんだ」
久我家に行くたびに仲良くしてくれる睦月の姉は大学生で、現在は町の外にアパートを借りて暮らしている。地元に戻って来るたびに弟で遊んでいくようで、睦月はあまり良い思い出がないようだった。
「よし、と。この件はソリスに報告しておくか」
オキュラスの連絡先を貰う時、ついでに貰ったソリスの連絡先にメールを入れておく。屋上で化け物に襲われた、と。
屋上から教室に戻ると、ソリスは「詳しく説明しろ」と口パクしていた。
とりあえず放課後に、という意志を込めて顔の前で両手を合わせておく。
「――まさか屋上に出没するとは思わなかった。屋上が屋外カテゴリーに含まれるなんて」
「俺もビックリなのだぞ……」
学校から少し離れ、人の目がなくなったところでソリスと合流する。
銀髪の王女は俺の全身をじっと眺め、顎に手を当てた。
「無傷っぽいけど、逃げてきたの? よく校舎まで追って来なかったね、人工生命体」
「睦月が屋上から投げ飛ばした」
「は……? ただの地球人が?」
話だけ聞いたらそうなるだろう。彼女のように蹴りで黒い体躯を踏み抜くパワーはないが、睦月も相当な膂力を持ち合わせている。
「それなりにヤバい部類の地球人だぞ、アイツ。睦月も自分の怪力ぶりに振り回されてるし」
「自分の怪力に振り回されるってなに?」
「本人によれば力加減できないらしい。普通にドアを開けようとしてブチ破っちまうかもしれないし、グラスを持ったら不可抗力で粉々に割っちまうかもしれないらしいぜ」
「生きてたら自然と、力加減が身に着くものじゃないの?」
身に着かなかった結果が、あの男なのである。
「無意識で上限が判断できないから、睦月はよくコップ割ったりするんだけど。同じくらい下限も判断できないから、力加減ミスってよく転ぶんだよ」
「極端……」
「ペンを持とうとしても、へし折るか力加減弱め過ぎて落とすかのどっちかだし……。私生活に支障は出まくってるな」
コップを割れば、破片が指に刺さることもある。ドアを破れば、反作用で手の骨にヒビが入ることもある。だから、睦月はいつでも包帯を巻いているのだ。
本人の筋力が凄まじくても、皮膚や骨は通常の人間と同様。うっかり上限を見誤ろうものなら反動で痛い目を見る。
体質的なものなのでどうしようもないし、あの極端な筋力は睦月が苦手とするお姉さんも同様だった。久我姉弟の話では母親も怪力らしいので、遺伝的なものだという。
「っ、言ってる傍から、あれ」
ソリスが土手の一ヶ所を見つめ、臨戦態勢に入った。
土手からカサカサと草の擦れる音がして、黒い影が進行方向に現れる。
黒光りする体躯に鍵爪を備えた化け物が、土手の方から二体同時に現れた。
「また二体同時、に――」
黒光りする化け物が、二体どころではなく次々と集まってくる。どこにこれだけの数が隠れていたのかと思うほど大量に。ざっと数えても二十体はいる。
ソリスが俺を庇って、前に踏み出した時。
「『プラメルの第二王女と星玉の主で間違いないな? こんな辺境の惑星で出会えて光栄だ』」
群がる化け物達の合間から、黒いローブを目深に被った人物が姿を現した。




