妖精の歓楽街
ネオンの代わりに光るキノコが、雨上がりの裏路地を妖しく照らしている。
妖精界の歓楽街の片隅。看板のない小さな店のドアが、キィと鳴った。
「……開いてるか」
どんぐりの笠で作られたハットに、落ち葉カラーのトレンチコート。
襟を立てて店に入ってきたのは、この街の裏側を知り尽くしたような、哀愁漂う顔つきの妖精の男だった。
だが、その体長はわずか5センチ。
コートの裾からは、隠しきれないふわふわの羽がぴょこんと飛び出している。
「いらっしゃい。……今日はひどく濡れているね」
マスターである私が、指抜きサイズのグラスを磨きながら声をかけると、男はカウンターの特等席にどっこいしょとよじ登り、深くため息をついた。
「都会の冷たい雨さ。……いつものやつを頼む。とびきり甘くて、熱いやつをな」
「かしこまりました」
私は火にかけていた特製ミルクをグラスに注ぎ、スッと滑らせる。
ここは悩める妖精たちの吹き溜まり。だが、提供するのは強い酒ではなく、甘くて温かいホットミルクのみだ。
男は小さな両手で器用にグラスを傾け、ハードボイルドな低い声で語り始めた。
「俺はあえて、破滅に向かう美学ってやつを信じてるのさ……。安全な道なんて、クソ食らえだ。風向きってやつは、常に俺の逆を吹きやがる」
「……カブトムシ・レースの最終レース、また外したんだね」
「言うな、マスター。今日は大穴のノコギリクワガタに、冬を越すための木の実を全ツッパしたんだ。……見事に散ったよ」
どうやら公営ギャンブルで有り金を溶かしたらしい。男は「フッ……」と自嘲気味に笑い、ミルクをグイッと煽った。
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ。
「……ぷはぁ。五臓六腑に染み渡るぜ。この街の苦さを中和してくれるのは、あんたのミルクだけだ」
男はハットのツバを下げ、ニヒルに笑って見せた。
——しかし。
その小さな口の周りには、真っ白なミルクのヒゲがべっとりとついている。
ふわふわの頬の毛と相まって、もはやサンタクロースのような、最高に愛くるしい顔面になっていた。
「……どうしたマスター。俺の顔に何か、ヤバい組織のマークでもついてるか?」
「……いや。今日も最高に決まってるよ」
私は吹き出しそうになるのを必死に堪え、そっと、おしぼり代わりの柔らかい花びらを差し出した。
男は「フッ、サンキュ」と渋く答えながら、両手で花びらを受け取り、ゴシゴシと顔を拭く。
その両頬をぷっくりと膨らませて顔を洗う仕草は、完全にヒマワリの種を食べ終えたハムスターであった。
「釣りはとっておきな」
男はカウンターにピカピカの五円玉を一枚叩きつけ(この店では超高額紙幣だ)、トレンチコートをバサッと翻して夜の街へと消えていった。
「……かっこいいけど、やっぱり可愛いんだよな」
私は残された五円玉を見つめながら、甘いミルクの香りが漂う店内で、静かに微笑んだ。




