第68話
すべてが、あまりにも唐突だった。
白夜は呆然と、叩きつけるように落ちてくる巨大な翼を見つめていた。短い人生の記憶が、走馬灯のように脳裏をよぎる。
「俺……白夜せんべいになるのか……?」
自嘲気味に笑い、配信中のカメラへ向かって別れのジェスチャーを送る。そして訪れる結末を、静かに待った。
泣き声、悲鳴、罵声が耳を満たす。
そして――
ん?
腐り落ちたような空の下、いつの間にか、小さな影が静かに弓を引いていた。
目立たない矢が、一本、また一本と放たれ、音もなく腐敗した空へと突き刺さる。
矢は完璧な間隔を保ちながら、龍翼の全面に、彼女だけの陣式を刻み込んでいった。
そして――
世界を包み込む、眩い白光。
人々が再び目を開いたとき、空を覆っていた腐った龍翼は跡形もなく消え去り、雲ひとつない空から、白い雨粒がやわらかく降り注いでいた。
「今の……何が起きたんだ?」
「幻覚か……?」
「ここは……天国? それとも地獄?」
「――どちらでもない」
戦いは、まだ終わっていない。
「子狐!?」
その影は、もはやマントに身を隠してはいなかった。
彼女は海面を踏みしめ、時間の力がその残影を無限に引き延ばしていく。
「あれは……神器?」
SEEKERの古参プレイヤーたちは、一目で装備の正体を見抜いた。
「まさか……全身が神器だと!?」
「ありえないだろ……!」
海が大きくせり上がり、異様な水柱が海面から立ち上がる。まるで海龍湾そのものが空へと持ち上がろうとしているかのようだった。
伝説の海神が、ついにその巨体を起こす。
王都の人々は初めて目にした。
天を衝く骸骨の全身に刻まれた、無数の死霊符文を。
それは――すでに死んでいた。
そして、すべての符文の中枢。
心臓部。
そこには、見覚えのある真紅の魔法陣が、安定して脈動していた。
「……アンカー、なるほどね」
最後に弓を引き絞る。
背後で時間に凝固した無数の残影も、同時に弓を引き絞る。
狙いはただひとつ。
冷え切ったその心臓。
弦を放ち、私は振り返る。
矢が命中するのを待ちはしない。
無数の矢は、ゆっくりと、しかし確実に、長い歳月を越えるようにして心臓へ向かって進んでいく。
結末は、すでに決まっている。
「……」
私はガウに跨り、遠くの森を見据えた。
矢の速度が、徐々に加速していく。
世界は静まり返り、王都の人々は息を呑み、瞬きもせず空を見上げていた。矢が心臓に到達する、その瞬間を待ちながら。
「行こう」
私はガウの背を軽く叩く。
「ガウ……」
だがこの陸行鳥は、何かを察したように喉の奥で寂しげに鳴き、人々の方を振り返った。
「……行け!」
拳を握りしめる。
「今行かないと……私は……」
何かが、目から溢れ出した。
ガウの背に、ぽたりと落ちる。
轟音――!
矢が心臓を貫いた。
爆発の光は、夜空を彩る最上の花火のように、海神の命と邪悪な法陣へ、最後の幕引きを捧げた。
背後で、驚愕と歓声が一斉に弾ける。
生還の喜びが、ついに現実となった瞬間だった。
「……子狐ォォォ!!」
白夜の声が割れ、解説台の拡声装置を通して、空と大地を震わせる。
『凪緒! 凪緒!! 生きてる……私たち、生きてるよぉぉぉ――!』
パーティーチャンネルに、千夏の泣き声が響く。
『すごすぎるよ! 本当にすごい! 海神まで倒しちゃうなんて! 今夜は……今夜は絶対に盛大な祝勝会だよ!』
泣きながら笑う千夏の声が、ひっきりなしにチャンネルから流れ込む。頭が痛くなるほどに。
『昨日ね、いっぱい……いっぱいお菓子も買ったの! パーティーゲームも! 今夜は徹夜で騒ごうよ!』
『それから――』
私は「パーティーを退出する」を実行した。
マントのフードを深く下ろし、密林へと歩き出す。
その姿は――
完全に、すべての視界から消え去った。




