第58話
「……え??凪緒って、酔ったの初めて?!」
「うん……」
そんなに驚くこと? だって私、まだ合法的にお酒を飲める年齢じゃないし……
白夜は顎に手を当て、何かを思い出すように言った。
「そういえば俺、十二歳のときにこっそり家の酒を飲んでさ。急性アルコール中毒で病院に担ぎ込まれたんだよな。」
副会長が慌てて彼の口を塞ぐ。
「……何を武勇伝みたいに語ってるんですか?!視聴者に悪影響でしょう!」
「むぐぐ……」
そういえば、前世の十年間ですら、私は一度もアルコールに触れたことがなかった。
前世は敵だらけだった。攻略小隊の要として、片時も気を抜けなかった。
危険はどこにでも潜んでいる。警戒を解く資格なんてなくて、ほんの少しでも隙を見せれば――死ぬ。
……だから知らなかった。
私、酒弱すぎる……。
ただ屋台でもらった果実酒をほんの少し飲んだだけなのに。
酔拳とか習えば、かなり節約できそう。
「頭……痛い……」
酔いが覚めたあと、むしろ頭痛はひどくなった。
脳震盪はまったく良くなっていないし、二日酔いまで重なっている。それに……尻尾の先まで焦げてハゲた。
うぅぅ、私の尻尾……!
とはいえ、狐族の弓使いにとって尻尾は重要な感知器官だ。だから応急処置はちゃんと用意してある。
『伝説級・犬科専用育毛液』を塗れば、数時間で元通り。
もう大半は回復していた。
少し離れた場所では、囚人服に足枷という姿で労働改造中の<天堂>ギルドの連中が、それを見てさらに暴走していた。
「……なんで尻尾が生えてくるんだよ?!どんな魔法使った?!」
「俺の頭にもそれくれよ、この野郎!!」
ごめんなさい、犬科専用です。人間には効きません。
治癒魔法にも育毛系は存在しないので、どうか安らかに。
「なあ!いいこと思いついた!今後あいつらに街で会ったら、狐娘の頭を一発ぶん殴って酒を飲ませれば――」
<夜明>と<余火>の一部メンバーが、やけに真剣な顔で作戦会議を始めた。
私は口をぽかんと開けたまま、目がじわじわと恐怖に染まっていく。
「……あなたたち、悪魔なの???」
地獄が空っぽなのも納得だ。悪魔はこの世にいる。
「もう……殴らないで……本当にバカになっちゃう……」
私は震えながら頭を抱えた。
想像するだけで恐ろしい。周囲の喧騒と残ったアルコールのせいで、頭痛はさらに悪化する。まるで千夏が何十人も並んで殴っているみたいに――
「……ん?」
ふいに視界が暗くなった。
誰かの腕に引き寄せられ、外套が周囲の視線と騒音を遮る。
突然の静寂。
限界まで過負荷だった神経が、すっと落ち着いていく。なぜか、安心した。
この香り……淡いジャスミンの匂い……
燈里?
「もう、その辺にしておきなさい。怖がってるでしょう。」
燈里の声はいつも通り冷ややかで、彼女が口を開くだけで周囲の温度が少し下がった気がした。
頬に当てた氷嚢みたいで、心地いい。
「はは、ごめんごめん!あの傲慢な強盗どもが制裁されてるの見て、ちょっとテンション上がっちゃってさ……今まではあいつらが好き放題してたから!」
燈里はそれ以上何も言わなかったが、外套を少しだけ強く巻きつけた。
周囲の熱気は相変わらずだ。
こんな環境は、狐族の敏感な神経や聴覚には拷問に近い……けれど、この外套が壁のようにすべての騒音を遮断してくれている。
同時に、その香りが教えてくる。
――私を十年追い詰めた宿敵が、すぐそばにいると。
前世の危機の記憶が警鐘を鳴らす。逃げろ、と。
でも、疲れ切った身体は、まるで動かなかった。
…
……
…………
どれほど時間が経ったのか。
私は夢の底から、はっと目を覚ました。
もぞりと身じろぎし、"毛布"の隙間から耳と片目だけを覗かせる。
星明かりが海岸に降り注いでいた。
海神祭の装飾も、災後復興の作業も、すべて完了している。
静かだった。
一日の準備を終え、冒険者もNPCもすでに去り、明日の開幕に備えて休んでいるのだろう。
残っているのは――私と燈里だけ。
顔を上げると、すぐ近くに彼女の横顔があった。
木にもたれ、遠くの海を見つめている。
氷像のように、静かだった。
声をかけるより先に、耳元で落ち着いた声が響く。
「気にする必要はない。血族に睡眠は不要。」
身体はすっかり回復していた。
理性も戻ってきたせいで、急に恥ずかしくなる。
私は慌てて抜け出し、顔を真っ赤にした。
「ありがとう……」
「食料の鮮度を守っただけ。気にしなくていい。」
「……」




