私の人生はあなたのものです
「はぁ〜……きもちいい!」
久々の湯船は、最高だった。
体も髪も洗える石鹸のおかげで全身綺麗さっぱり。朝方近い時間だったからか、他に人も少なくてのんびり入れた。
神作もこれまでの戦いや諸々あった影響か、疲れ果てた体と心を温泉で癒やしていた。
あんまり裸を見てると嫌がられるから、チラ見程度で留めて、彼女が自画自賛するように鍛えられた肢体にはちょっと興奮した。
ここにいれば、あの体に抱いてもらえる日も近いかもしれない。だって結婚も、子供だって作れるんだもの。
後は、神作自身に「結婚したい」と思わせるだけ。
「ね。神作?」
「はい」
豪快に腕を開き置き、目元にタオルを乗せて天を仰いでいた神作に近付きながら声を掛けたら、わざわざタオルを外してまで答えてくれた。
少し眠そうな顔をした彼女の腕にしがみついて、上目遣いで見つめる。
「せっかくだから、背中…流してあげ」
「結構です。お気遣いなく。もう洗い終えていますので」
言い切る前に断られ、悔しさから唇を噛む。
だけど、こんなことで諦めない。冷たくあしらわれるのも、ある程度は予想もしてた。
「じゃあ……私の体、洗ってくれる?」
「先ほどご自身でやられてたじゃないですか。また洗うんですか?」
「うん。神作に洗ってほしいの。……隅々まで」
わざと耳元に近付いて囁くと、神作の目が細待って眉間に小さなシワが寄る。
彼女がむっつりスケベなのは、風俗の一件で判明済み。それなら、私からの色仕掛けも有効なはず。ただでさえ、通りすがりの男も魅了しちゃうくらい整った顔だし、スタイルも良いし?きっと飛びついてくれるでしょ。
強かな企みを持って言ったのに、神作の反応はいまいち盛り上がらないものだった。
「洗うのは構いませんが……李瑠様が企むようないかがわしいイベントは発生しませんよ」
「チッ…」
「あれ。今、舌打ちしました?」
「いえ?なんのことかしら」
そう断言されては、こちらもやりづらい。
腹立つことに微塵も動じてない神作はまた目元にタオルを当て、浴槽のフチに頭を預けた。
「だいたい、この私が全裸なのよ。ちょっとは意識してくれない?」
「李瑠様の幼い頃から腐るほど見てきた体です。今さらなんとも思いませんよ」
「ひどい。私は神作の体、何万回見ても興奮するっていうのに」
「……そろそろ上がります。身の危険を感じたので」
お湯に浸かっているのに、なぜか体をブルリと震わせた神作は自分の肩を抱きしめながら立ち上がった。
「さすがに人前で襲うほど焦ってないわよ」
「冗談です。あまり長く入ってのぼせてはいけません。李瑠様も上がりませんか」
「……そうね。そうする」
本当はもう少し入ってても良かったけど、火照りきった相手の頬と、今にも寝落ちてしまいそうなほどとろんとした瞳を見て、限界なんだなって察した。
ふたりで脱衣所に出て着替えを済ませ、休憩所も兼ねているフロアに出ると、神作は帰るのではなく受付嬢に声を掛けた。
「牛乳をください」
「……牛乳?」
「はい。お風呂上がりは牛乳と決まっているんです。李瑠様も飲みますか」
「うん!」
喉も乾いてたし、ちょうどいい。
私のお風呂上がりはいつも神作が淹れてくれるハーブティーと決まっていたけど、ここ異世界ではそんなもの無さそうだから、代わりとなる牛乳の瓶を受け取って蓋を開けた。……というか、異世界にも牛乳はあるのね。
フロアに置かれている椅子に腰を下ろして飲もうとした私の隣で、神作は腰に手を当てて瓶に口をつけた。
「お行儀悪いわよ、立って飲むなんて」
「……庶民にとっては、これが当たり前なんです」
「そうなの?」
「はい。子供の頃はよく、母に連れられて行った銭湯でこうして牛乳を飲んでました。みんなやりますよ」
「えー……本当に?」
「はい。李瑠様もぜひ、やってみてください」
まさか庶民にそんな習慣があったなんて。知らなかった。
きっと異世界に来なかったら知ることもなかった神作の子供の頃の話も聞けて、嬉々として隣に立つ。
疑心暗鬼になりつつ、豪快に瓶の中身を喉に通した神作の真似をして、私も腰に手を当てて牛乳を一気飲みしてみた。
正直、味や風味は同じで、普通に飲んでも変わらない。
「……なんか、いいわね」
「ね。おいしいでしょ」
だけど、普段よりも砕けた笑顔と口調の神作を見せてもらえたことも相まって、気分は良かった。
「さぁ、帰りましょう。寝て休んだら、いよいよ次の街ですよ」
「うん!次はどこに行くの?」
「ギルドの街、ウォーリアルです」
帰り道、簡単に教えられた次に向かう予定の街――ウォーリアルにはギルドと呼ばれる場所があって、そこでは職業となる役職と仕事を得られるらしい。
仕事は主にモンスター討伐だったり、素材の収集で、役職はその職業によって能力値や使えるスキルが変わるという仕組みなんだとか。
「細かいことはまた、着いてから説明します。今日はとりあえず、もう休みましょう」
「うん!次の街も楽しみね」
「はい。明日は武器や食料なんかを調達してから、馬車に乗って向かう予定です」
宿に着いてからは、よほど疲れていたのかすぐにベッドに入った神作と一緒に私も寝転んだ。
「疲れてる?」
「……少し。ここに来てから、休みなく動いていたので」
「風俗でいい思いもしたし?」
「おかげで、レベルは爆上がりです」
私の気持ちに気付いていながら他の女を抱いて、悪びれもせず「ははは」と乾いた笑い声を出した神作を、ちょっと殴ってやろうかなんて憎たらしく思った。
だけど、そんなことはしない。付き合ってもない……今は主従関係ですらない相手に、縛り付ける資格も立場もないからだ。
「……神作は、どんな子供だったの?」
虚しい気持ちで悶々としたくなくて、温泉でちらりと聞いた幼い頃の話を聞き出そうとしてみれば、彼女は天井を見上げて小さく口を開いた。
「どこにでもいる、普通の子供でした」
どんなことでも卒なくこなし、文句のひとつも言ってこなかった今の神作からは想像もつかない言葉で、情景さえ浮かんでくれない。
こちらから聞かずとも詳細を話してくれる気になったのか、神作はため息混じりに言葉を続けた。
「ただ、幼少期からいずれ召使いになるための心得は学んでおりました」
「……召使いになるための、心得?」
「はい。主のために生き、主のために死ぬ。自分の人生だと思うな、お前は誰かに使われるために生まれたんだと。父によく言われていました」
中学に上がるまでは、ある程度の自由を与えられたものの、その間にも様々な訓練を受けたことも教えてくれた。
家事や料理などの身の回りの世話から、護身術や私を守るための武術、とにかく知識を叩き込まれ、学校や友人関係との両立が大変だった、と。
なんでもない事のように話されたけど、聞いていてずっと罪悪感で心を抉られた。
私のために……真行寺家のために、そこまで人生を犠牲にしてたなんて考えてもなかった。
仕方ない事だとは分かってる。神作家は真行寺家に代々務める召使いの家系で、産まれてしまった以上、役目からは逃れられない。それは私も、神作も一緒だ。
「名前の由来も、“使われる人間”だから“使”です。ちなみに兄は召使いの“召”でショウと読み、弟は難しい方の“遣”でケンと読みます。私だけ捻りがないのは、唯一の不満ですかね」
「……私は、その名前自体が嫌い」
冗談めかして言う神作に怒った声を出して、顔は自然とムッとなる。
「神作の人生は、神作のものなのに」
もちろん、家の事情が無ければ神作はこうしてそばにいないし、私のことも気にかけてくれないって、分かってる。私が彼女と出会い、恋に落ちたのも全ては繋ぎ合わせてくれた憎むべき“家系”のおかげだってことも。
それでも納得いかなくて、誰にもぶつけられない怒りを文句に乗せて吐いた。
私の言葉を聞いた神作は一瞬だけ目を見開いて驚いた表情をして、その後すぐいつもの真顔へと戻る。
「……いえ。李瑠様」
そして、体勢を横向きに変えながら私の腰に手を回して、そっと抱き寄せた。
「私の人生は、あなたのものです」
植え付けられた洗脳の影響か、はたまた本心からくるものか。
分からなかったけど、手を取って甲に浅く口づけを落とした彼女の目に嘘は混じっていなくて、どこまでも真剣な瞳に射抜かれた。
「それ……プロポーズ?」
「さて、どうでしょう」
「そんなこと言うと都合いい風に解釈しちゃうけど、いいの?」
「私はあくまで、事実を伝えたまでです。その後の解釈はお任せします」
淡々と言い切った後であくびを噛み殺した神作は、また天井に体ごと顔を向ける。
「もう眠すぎて死にそうなので、寝ていいですか?」
「あ……うん。それは、もちろん」
まだまだ聞きたいことはたくさんあったけど、本当に眠そうだったから我慢する。
おとなしく神作の腕に抱きつく形で、目を閉じてすやすや寝息を立て始めた端正な顔立ちを見つめた。
「神作の人生は、私のもの…か」
それなら好き勝手していいんじゃない?……なんて、私にはどうしても思えない。
神作が本当の意味で私を好きになって、神作自身がそばにいたい、人生を共にしたいと思ってくれなきゃ意味がない。今のままじゃ、ただの操り人形だ。
せっかく異世界に来て、しがらみも何もない世界にいるんだから、ゆっくりでもいい。彼女の洗脳を解いてあげたい。
自分の人生を歩んでいいんだ――心からそう思ってもらえる日まで、告白の返事は待とうかな。
「好きだよ、神作」
今は眠る相手に言うくらいで、ちょうどいい。
頬に唇を軽く当ててから、自分も寝ようと瞼を下ろす。
私もなんだかんだで疲れてたのか、あっという間に意識は暗闇へと落ちていった。




