ようこそ!スードウダンジョンへ!
マッサージ店から宿に帰る途中。
「そういえば、ここホーキンズには温泉があると聞きました」
「え!温泉」
まさか異世界で聞けると思っていなかった単語が神作の口から飛び出して、テンションを上げる。
聞けば、ホーキンズには人だけでなく世界中から様々な技術も集まるため、その技術を駆使した建物も多いそう。温泉はそのうちのひとつで、正確には湧き出るものを使ってはないから銭湯の区分に入るんだとかなんとか。
なんにせよ温かいお湯で体を流せるのはこっちの世界では貴重なことで、おまけにシャンプーやリンスに近い物も存在すると聞いてさらに気分は高まった。
「さっそく行こ?はやくはやく」
「いや……李瑠様、残念ながらそれはできません」
「は?なんで」
「お金が足りないからです」
「え。でも、小屋にあった金目の物を売ったって、さっき……」
「使い果たしました」
コインが入っていたはずの革製の袋は確かに空っぽで、神作のポケットの中に入っていたコイン数枚――金額にすると110ゼンニーが今の全財産だという。
「いくらあったの?最初は」
「質屋で手に入れたのが一万ゼンニーほどです」
「そんなにあったのに…いったい何に使ったのよ」
「極上全身プランに5000、オプション1000、お姉さんへのチップが…」
「分かった。もう言わなくていい。あなたの風俗代に溶けたってわけね」
「面目ありません」
「本当よ。まったくもう…」
神作がこんなにもお金使いが荒いだなんて知らなかった。それも、彼女の欲求不満を解消させるために消えたと分かると、なんとも腹立たしい。文句のひとつでも言ってやろうかと思ったけど、やめた。
現世では何かと抑圧されてきた人生だっただろうし、異世界に来てからも私のために頑張ってくれた事を考えると、そのくらいは仕方ないのかなって気がしてきちゃったから。
知らなくていいことはそのままにして、温泉の入館料がふたりで500ゼンニーほどかかると言われ、楽しみにしてた分だけ行けない事実には落ち込んだ。
「ホーキンズを出て、次の街に行くために必要な馬車の費用もありますし……ここはひとつ、稼ぎに行きましょう」
「稼ぐって……他所者の私達でも出来る仕事があるの?」
「他所者の冒険者だからこそ、挑戦できる場所があるのです。経験値もついでに稼げますから、一石二鳥ですよ」
「へぇ、そんなとこあるんだ……じゃあ、案内して?」
「仰せのままに。……こちらです」
深夜だけどやってるのか疑問だったものの、ホーキンズは夜も賑わう街だから問題ないと説明してくれた。
さっそく案内してもらうこと、数分。
着いたのは、エジプトの神殿を彷彿とさせる砂岩の建物で、頂上に建てられたピラミッドが印象的な巨大建築物の前だった。
「ここは疑似ダンジョンです」
「疑似ダンジョン…」
「はい。1グループ100ゼンニーで挑戦可能で、一番奥に潜むボスを倒し、宝物を入手できればクリアとなります」
「クリアすると、どうなるの?」
「賞金10000ゼンニーにプラスして、限定武器を手に入れることができます」
「10000……100ゼンニーが100倍になるなんて夢みたいね」
「その通り。一攫千金を狙って挑戦する冒険者は多く、途中で離脱してもそれまでの経験値は反映されるので単なるレベルアップにも使える、まさに今の私達には最適な施設です」
ただし、リタイアした場合は賞金を得られないため100ゼンニーは損してしまうことになる。いわばボスを倒せるか、倒せないかのギャンブルといった側面もある場所らしい。
仮に100ゼンニーが返ってこなくてもレベル上げにはまさにもってこいの条件だから、ホーキンズに訪れた冒険者はこぞって挑戦するほど有名スポットなんだとか。
というわけで、さっそく。
「ようこそ!スードウダンジョンへ!」
受付嬢に声をかけると、ハキハキとした元気な態度で出迎えられた。
「ルールは簡単!最下層に潜むボスを倒すだけ!」
説明は簡潔で、言い切った後で岩の扉が重く開かれる。
その重厚感たるや、いよいよ本格的に“冒険”という感じがして、密かに気分を上げた。まだレベル3の雑魚だけど。
神作は普段通りの無表情で、扉が開いてすぐ何事もないかのように歩き出す。後を追って中に入ると、砂岩で構成された通路が真っ直ぐ一本道で続いていた。
「ここ、スードウダンジョンは五層に分かれています。一層ごとにボスが配置されていますが、宝箱を手に入れられるのは最下層のみです」
「へぇ……詳しいね」
「マッサージ店へ行く道中、ついでに調べておきましたから」
どうやら遊んでいただけではないらしく、しっかり下調べも終えていた神作に続いて通路を進む。
「ちなみに、ここにはトラップなんかも設置されています」
数分ほど歩いて、ふと立ち止まった神作はひとつだけ出っぱっていた砂岩の壁を、ためらいもなく押した。
なんだろうと思う間もなくガコン、と嫌な音が響き渡って、音のした方を振り向けば2メートルほど後ろの天井が開かれていた。
そこから、通路内を全て塞ぐであろう大きさの丸い岩がゴトンと落ちる。
「……このように」
「このように、じゃないわよ!なにしてんの神作!?」
ゴロゴロと地響きを鳴らして迫りくる岩から逃れるため、全力で前に足を踏み出した。
こんな時なのに……というか、トラップを作動させた現況なのに涼しい顔をした神作は私の隣を軽々走り超えて、先へ先へと進んでしまう。
そしてことごとく、怪しそうなトラップを踏んでは歩き、そのたびに矢やらナイフやら何やらが四方八方から飛んでくる。
「ほんと何やってんの!?ばか!」
「うーん、困りましたね。なかなか“あたり”を引けません」
呑気におかしなことを呟く彼女は、飛んできた矢を軽々と避け、穴の開いた地面を飛び越えていく。
私はもう必死で、死なないのが不思議なくらいの状況を間一髪で切り抜けては、恐怖で竦みそうになる足をなんとか動かした。
だけど、神作が真っ赤なボタンを押した瞬間。
「は…っ?」
足元の地面が崩れ落ちて、体が宙に放り出された。
「あ。すみません、まさかそこが作動するとは」
ふざけないでと文句を言おうにも、心臓が浮く感覚と恐怖が胸を締め付けて、言葉が出ない。
焦った様子もない神作は、暗闇へと落ちていく私を助けるためか穴に飛び降りて、空中で手繰り寄せるように体を抱き止めた。
このままでは死んでしまう。地面にぶち当たる未来がありありと想像ついて、目をぎゅっと閉じる。
しかし予想とは裏腹に、私達を包んだのは固い地面の感触ではなく、クッションのような柔らかさだった。
「……どうやら、“あたり”だったようです」
ホッとするのも束の間、神作の腕の中で体を起こした私は周りの光景を見てゾッと鳥肌を立たせた。
“うじゃうじゃ”という表現が相応しいほどの様々なモンスターを前に、青ざめた私とは違い、神作はどこか楽しそうに口角をつり上げ、グッと拳を握り締める。
「きました、ボーナスステージです!」
「どこがよ!どう見ても危機的状況なんだけど」
「分かっていませんね、李瑠様は。トラップを回避しながらモンスターを倒し、ちまちま進んでいくなんて時間の無駄じゃないですか」
彼女曰く、ここは“近道”であり運営側が用意した“良心的な隠しステージ”らしい。
条件は【一層のトラップを全て作動させる】で、初見では辿り着かないここを、どうして知っていたかというと。
「企業秘密です」
と、口元に人差し指を当てて、教えてくれなかった。
どうせ図書館か何かで仕入れた情報だろうとたいして気にも留めず、とにかく数十はいるモンスターの始末をどうしようか頭を抱える。
そんな私の隣で、神作は嬉々として鞘から刀を抜いた。それは日本刀に近いような形状で、そんな武器あったかと首をひねる。
「その刀は?」
「買いました。かっこよかったので」
「……いくら?」
「1000ゼンニーです!」
ホーキンズに来てからというもの、散財癖が酷い彼女に呆れつつ、今は頼りになるからありがたい。
「さぁ、レベルアップの時間ですよ。私も早く温泉に入りたいのでね、こんな所すぐに抜け出してやります」
鞘を投げ、手を広げるように刀を握った神作は、勇ましく喜ばしい声を上げる。
こんなにもテンションを上げている彼女を見るのは初めてで、現世では見ることのなかった表情だと思う。
そこからは、あっという間だった。
襲いかかるモンスターに向かって刃を滑らせては、返り血を浴びるのも気にせず突き進む神作の姿に呆気に取られているうちに、一匹二匹とモンスターは姿を消していく。
私は完全に置いてけぼりで、ただただ狂喜乱舞に刀を振るう神作を眺めていた。
眺めていて、思い出す。
そういえば彼女は誰もが羨むほどの体術使いで、私も現世にいた頃は憧れてたっけ。
運動神経の良さを利用して、異世界では存分にその才能を発揮する神作に、どんどん気持ちは昂ぶり、同時に自分の無能さに辟易する。
「おまたせしました、李瑠様」
最後の一体を倒してから、私の元に戻ってきた神作はすっかりいつもの静かなテンション感で、そっと手を差し出してきた。
「ここから直接、第五層のボスのもとへ行きます。急ぎましょう」
「……私、レベル3のままなんだけど大丈夫?」
心配になって聞けば、なんだそんなことかと言わんばかりの優しい笑顔が返ってきた。
「たとえ弱くとも私がお守りしますから。ご安心ください」
嬉しい言葉だったけど、私は素直に喜べなかった。
ここ数日で、神作は私のレベル上げを諦めて、自分が守ればいいという方向にシフトチェンジしたようだ。それが伝わっちゃったから、余計にしんどい。
現世でも異世界でも、私は守られてばかりだ。