炎の妖精 イグニス
ヴァルゼが去った後。
炎花の神殿には、静かな風だけが吹いていた。
崩れた柱。
焼け焦げた地面。
倒れていた騎士たちも、少しずつ立ち上がり始める。
「勝った……のか」
春はその場に座り込んだ。
全身が限界だった。
剣を握る手も震えている。
「春!」
リリィが飛びつく。
「無事でよかったぁ……!」
「ぐぇっ、苦しい……」
レオナが槍を肩に担ぎながら笑った。
「でもやるじゃん」
「お前な……」
ユナも近づいてくる。
「……無茶しすぎ」
そう言いながら、そっと春の腕の傷へ触れた。
青い光。
痛みが少し和らぐ。
「治癒魔法?」
「少しだけ」
春は驚く。
「ユナって、なんでもできるんだな」
ユナは少し目を逸らした。
「別に普通」
その時だった。
神殿の奥から、赤い光が溢れ始める。
「……!」
リリィが振り返る。
「炎花の精霊花です!」
崩れた神殿の扉が、ゆっくり開いていく。
中にあったのは。
巨大な赤い花だった。
炎でできた花弁。
中心では、小さな火が揺れている。
熱いのに、不思議と怖くない。
むしろ温かかった。
フェンリルが「ワフ……」と静かに見上げる。
レオナはその光景に息を呑む。
「間に合った……」
春はゆっくり花へ近づいた。
すると。
炎花が、まるで春を待っていたかのように輝き始める。
「また来るのか……?」
白花の時と同じ感覚。
春が花へ触れた瞬間。
──ゴォォォ!!
炎が舞い上がる。
世界が赤く染まった。
気づくと。
春は、炎の空間に立っていた。
周囲には無数の火の粉。
まるで星空みたいだった。
「ここは……」
すると奥から、誰かが歩いてくる。
長い赤髪。
燃えるような瞳。
鎧を纏った女性。
その背には、巨大な炎の翼。
春は息を呑む。
「あなたは……」
女性は静かに笑った。
「私は《炎花の精霊 イグニス》」
彼女が歩くたび、花火のように火花が散る。
イグニスは春を見つめた。
「面白い勇者だ」
「え?」
「普通なら、敵を憎む」
イグニスの瞳が揺れる。
「だが、お前は救おうとする」
春は少し黙った。
ヴァルゼの最後の言葉が頭を離れない。
“守りたかっただけだ”
敵なのに。
悲しそうだった。
春は拳を握る。
「俺、分からないんだ」
イグニスは静かに聞いている。
「魔王軍が悪いやつらなら、なんであんな顔するんだ」
春の声は真っ直ぐだった。
「苦しそうで……悲しそうで……」
イグニスは小さく微笑む。
「お前は優しいな」
そして空を見上げた。
炎が静かに揺れる。
「かつて魔王ゼルヴァは、この世界を守る英雄だった」
春の目が見開かれる。
「……英雄?」
「そうだ」
イグニスの声には、悲しみが混じっていた。
「誰よりも世界を愛した男」
春の胸がざわつく。
女神フローラも同じことを言っていた。
魔王は、ただの悪ではない。
「なら、なんで……」
イグニスはゆっくり目を閉じる。
「それを知る時、お前は選ばなければならない」
「選ぶ?」
イグニスは春へ近づく。
そして胸へ手を当てた。
「世界を守るか」
炎が強く燃え上がる。
「それとも、“魔王を救うか”」
春の心臓が大きく鳴った。
その瞬間。
炎が春の身体を包み込む。
熱い。
でも、不思議と苦しくない。
剣が現れる。
フローラルブレードが赤く輝いた。
《炎花の加護 獲得》
春の身体に、新しい力が宿る。
燃えるような力。
勇気。
闘志。
そして──
誰かを守り抜く強さ。
イグニスは微笑んだ。
「進め、勇者・春」
その姿が炎の中へ消えていく。
最後に残ったのは、一つの言葉。
「真実は、北の“黒花城”に眠る」
炎が弾けた。
そして。
春は元の神殿へ戻っていた。
「春!!」
リリィたちが駆け寄る。
春はゆっくり目を開く。
剣には、新たな赤い紋章。
風、白、炎。
三つの加護。
だが春の心は、別のことで揺れていた。
――魔王を救う。
その言葉が、胸の奥で静かに燃えていた。




