4ヶ月後: 異変
それから一週間は、何もない平凡な日常が続いた。
長谷川先輩は相変わらず毎朝通学路に現れるし、歯の浮くような台詞を吐いている。ただ、今までのような必死さがなくなり、かなめに話しかける声には、少し低く深い声が混ざるようになった。
当のかなめも、それまでの、警戒の混ざった「我関せず」の態度から、先輩の話に耳を傾けている風に変わっていた。
俺はというと、先輩に「どうすれば認めてもらえるのか」といったことを問われ、「先輩が先輩でなくなればいい」という嫌味混じりに「その髪型と服装をどうにかしろ」と半ばやけくそで言ってしまったところ、先輩がそれに完璧に対応してきたものだから、シスコンの度が過ぎている、と友人達(だけでなく恐らく学校中)から非難轟々で肩身が狭くなった。
今朝も、道行く生徒達の視線が痛い、気がする。
先輩は髪を清潔感のある長さまで髪の毛を切り、色も暗くして、ピアスを外し、ネックレスも外し、制服をきっちり着るようになった。
―かなめに近寄ることを拒否する大きな理由である「チャラい」件が易々と解消されてしまったのだ。かなめに対する口調や態度も大分落ち着いて来た事から、二人が並ぶと、彼氏彼女に見えなくもない。
「自分ってものがないんですか。」
自分が要求したということを棚に上げ、はやとは苦し紛れに問う。
「別に、格好にこだわりがあったわけじゃないんだ。だから、見た目を変える程度で少しでも信頼を得られるならいくらでもするさ。」
覚は明るく笑う。その姿に、理不尽を強いたはやとの方がばつが悪くなる。
まさか本当に言う通りにしてくるなんて思っていなかったのだ。
「先輩。先輩はどうしてそこまで―」
言いかけた瞬間、かなめと覚が同時に同じ方向を見た。
かなめがはやとの袖を思い切り引っ張り、三歩ほど後ろに下がらせると、かなめの横を歩いていた覚が即座に前に進み出て、何かからはやととかなめを守るように立ち塞がった。
気がつくと、かなめは自分の背をはやとの背につけて、後方を睨み付けている。
まるでパズルのピースがはまるように
突然、腑に落ちてしまった。
かなめが俺の後ろを歩くのは、内気だからじゃない。
かなめは、俺を守るために俺の後ろを歩いているんだ。
前から現れるかもしれない何かに神経を集中させ、後ろから来るかもしれない何かからは身を挺して守るために。
「かなめちゃん、ジャミング行ける?」
「30秒」
かなめはポケットから小さな灰色のデバイスを取り出すと、軽く握りしめる。
目に見える何か変化が起きたわけではなかったか、二人は少しだけ警戒を解いたようだった。
覚が周囲を見渡し、片手を軽く上げた。
「僕は後処理をして行く。かなめちゃんははやとと一緒に学校へ。あの学校のセキュリティレベルなら問題ないはず。」
かなめは小さく頷くと、はやとの袖を引っ張り、はやとを先導する。
「はやと、学校いこう。後ろはふりかえらないで。」
はやとは訳も分からず従う。背後では、いくつかの足音が現れ、覚のいる辺りに集合したようだった。
かなめはずんずん歩いていき、はやとを振り返らない。何も説明しようともしない。
―そもそも、かなめの力はこんなに強かったか?
普段のややぼんやりとして緩慢な動きからは想像もできない力と俊敏さだ。
ざわつくはやとの心に呼応するかのように、学校まであと少しのところで、雨がポツポツと降り始めた。
ふたりは傘も差さずに、ひたすら歩き続ける。
校門に入ったところで、かなめが動きを止めた。
目を見開き、どこか遠くを見つめている。全身が雨でびしょ濡れになり始めていることも構わず、全く動かない。
まるで、ここではないどこかを見つめているような。
思わず、はやとはかなめの手を握りしめていた。
「かなめ、どこにもいくな」
泣きそうな顔をして、人目も憚らず、はやとはかなめに懇願した。
そして、祈るように、心の中で叫ぶ。
ごめんなさい。ごめんなさい。これからは、もう逃げない。かなめの話をしっかり聞く。かなめに何があったのか、かなめが何と戦っているのかを知って俺に何ができるのかを考える。頑張るから。何でもするから。どうか、どうか、かなめを連れていかないで下さい。
かなめは少し驚いたように息を飲んだが、すぐに平常の顔に戻る。はやとに向き直り、そっとはやとの手を包み込んだ。
「……教室に行ってて」
はやとの手を引き剥がすと、だん、と踏み込み、一気に加速して走り去った。
「かな」
かなめの腕を掴もうとしたはやとの手は空を掴み、驚きに目を見開く。
かなめの背中は、ぐんぐん小さくなっていく。
どう考えても、常人の速度ではない。体力検査で、かなめの足の早さは普通よりも遅かったし、筋力も平均には届かなかった。なのに。
「…追い付けない。」
はやとはしばしその場で立ち尽くした。
元々1日分くらいしかなかった絵のストックがもうない




