シンジ・カナメ:「4ヶ月後」
昼は、失敗しちゃった。「ソシキ」はオートロックの場所が多かったし、ほとんどがジョウミャクニンショウだったから、いまだによくブツリロックをかけわすれてしまう。はやとに見られちゃったのは、本当に失敗だった。
―手元が一瞬、赤く染まっているように見えた。まばたきをすると、手は元通りになった―
長谷川せんぱい…覚さんは、たぶん本当に「ソシキ」を知ってる。仲間でよくやってたあいさつを知ってたから、たぶん本当にそう。たたかいばっかりの生活で、なかまとは「ブキをもってない」ことを見せるのがいちばん安全でいちばん大事なあいさつだった。
―無数の手が現れ迫ってくるが、それも瞬間的なもので、かなめは意に介さず思考に没頭した―
でも、1ヶ月も声をかけ続けてきて、何のヨウキュウもしてこなかった。何が目的でちかづいてきたのかがわからなくて、こわい。だから、これからもだまっててもらおうと思って、「ソシキ」で教えられたようにやろうとした。
―今度は、無数の目が現れ、こちらを睨み付けた、気がした。これも、頭を振ると、すぐに消えた―
でも、上着をぬいだ時、覚さんはとってもびっくりして、あせって、泣きそうな顔をした。
わたしにはそれが何でかわからなくて、でもどうしてかごめんなさいって言いたくなって、でもばらされたらどうなるか考えてたらこわくて、部屋を出ようとした覚さんにあしばらいをした。
むりやりにでも、言うことを聞いてほしかったから。
―足元を、波のように、血が流れてくる。そこから無数の手が伸びてきた気もしたが、もはや見慣れてしまった光景に、かなめは身じろぎもしなかった―
今のわたしじゃ、なにも守れない。がんばるけど、たぶん無理。だから、少しでもこの時間が続いてほしい。
そのためにできることはなんでもやりたい。
―――
放課後、教師に呼び出されたはやとは頑なにかなめも連れていくと主張したが受け入れられず、かなめは自分の教室ではやとの帰りを待っていた。
昼の出来事について反芻しつつ、かなめは小さくため息をついた。
「そろそろ、かな」
衿元に手を入れ、服の中から繊細な長いチェーンのついた筒状のネックレスを取り出す。
筒の上部を軽く押すと、小さな針が下部から飛び出した。それを首に押し当てると、再度上部の突起を押さえた。
パシュ、という乾いた音がして、かなめは止めていた息を長く吐き出した。
ここ最近ずっと視界に映り込んでいた、実際には存在しないものたちが全て消え、視界がクリアになった。聴覚もクリアになった感覚があるが、何よりも頭の霧が急に晴れた。手足の血液が循環して、筋肉も自在に操れそうな感覚さえある。
その刹那、扉のすぐ外に、男性の気配を感じとる。
―見られていた?
かなめは俊敏な動きで椅子から立ち上がる。
左手で窓の鍵を解錠すると同時に、姿勢を低くして右手を制服の背中に差し込んだ。
服の中には、肥後守のような細いナイフが仕込まれている。相手と切り結ぶのには向かないが、ないよりはましだし、素手相手であればいくらかのイニシアチブを握れる。
そのままの姿勢で、じっと教室の扉を睨み付ける。
観念したような気配と共に、扉が開く。
「ごめんごめん、僕だよ。覚だよ。驚かせて悪かった。」
困ったような笑顔で、覚は両手の平を軽く上げたまま入室してくる。
かなめは同じ姿勢のまま、静かに覚を見つめる。
「君の様子を見に来ただけだったんだ。でもそしたら、君がそんなものを使ってるのが見えたから…」
首から下げた細い筒に二人の視線が移った。
「いつから、使ってる?地球に戻ってきた時、君の主治医は何も言わなかったのか?」
かなめはしばらく沈黙したが、後ろめたそうに斜め方向に視線を彷徨わせた後、口を開いた。
「先生は、これの存在を知ってる。でも、この4ヶ月、ケッチュウノウドが下がらないから、どうしてだろうってずっと言ってた。」
「つまり、君はこれをずっと定期的に使ってるってこと?」
かなめは沈黙で答える。
「組織で戦闘員達に与えられるこれがどんなものか、君には分かってるよね?戦うことが怖くなくなって、身体能力が飛躍的に上がる。でも依存性も高くて離脱症状もひどいものだ。体を確実に蝕んでいくものだろう?」
覚は苛立ちを隠せず続ける。
「君はせっかく帰ってこれたのに、幸せになるつもりはないの?体を壊してまで全部隠して…。皆と生きていこうとは思わないの?」
覚は、かなめが苦しそうに、悲しそうに顔を歪めていることに気づいて口をつぐんだ。
「こわい」
はっとして、かなめを見つめる。
「はやとは、知らない。わたしが何をして来たか。これから何が起こるのか。はやとはここで、地球で、何も知らないで生きてきた。だから、言ったらどうなるのか分からないの。…こわいの。」
泣き出しそうなかなめを見て、覚にはもう何も言えなかった。苦虫を噛み潰したような顔で、拳を壁に叩きつけた。




