厄年
怖くないのかって……?
怖いですよ! 怖いに決まってるじゃないですか!
おばあさんたちを降ろしてガクガクブルブル震えてましたよ。
東京駅で付け待ちしてたんだって、もう裏野ハイツはご免だからです。無線だって無視しましたよ。
なのに……
乗って来たのはお客さんだ……また裏野ハイツだ。
△△駅そばを流してたんなら、ともかく。
何で裏野ハイツから遠く離れたのに、またあそこへ……。
――おかしい。
ありえないですよ。
ぜったいおかしいです。
……え?
怖いなら帰れば良かったのに……?
いや、だって……。
言ったじゃないですか、今は年末の稼ぎ時だって。
休む暇があったら稼ぎたいんですよ。
わたしゃ、もっと頑張らないとダメなんです。
おとといも6万はいきましたけど、営業所の平均は下回ってたんだ。
あと3年で個人なんだ。もっともっと頑張らないと……。
そりゃあ……
命あっての物種だ。
わかってます……わかってますって。
金より命だ。
わたしゃ、わかってますよ。
でも……
降りたくないんですよ、今は……。
降りちゃいけない気がするんです……。
え?
裏野ハイツに着いたら、もう一回出かけたい? すまないが待っていてもらえないかって……
いいですよ。大歓迎です。
あそこ道狭いから、五分以内に戻ってもらえるんなら……
精算しないで、待ちメーターで待機しますよ。
正直……裏野ハイツはもう勘弁なんですけど。
お客さんを降ろしたら、う〜んと遠くへ行って、次こそ裏野ハイツに関係ないお客様をお乗せするつもりでしたが……。
お声をかけていただけるのなら、喜んで。
乗車拒否はしませんよ。わたしゃ、プロのタクドラですから。
で?
次はどちらへ?
……は?
川か海?
これからですか? もう暗いですよ?
102号室の方を連れて行きたい……?
はぁん……?
行先は、わたしのお任せで?
う〜ん……
……こっからなら、みなとみらいかな?
お台場や海ほたるって手もありますね。
今の季節、海風がキツイけど。
空気が澄んでる分、夜景がキレイですから。
寒さを言い訳に、カノジョとくっつけますよ。もっとこっちへおいでってね。
ロマンチックな夜を……
……え?
デートじゃない?
102号室の中川さんは四十歳の男性……?
ありゃ。
……失礼しました。
でも、デートじゃないなら……
冬の夜に、どういったご用事で水際へ?
厄祓い……?
何でまた今から……?
* * * * * *
「本当は、大晦日がいいんだよね。
けど、そうそううまくいかないんだ。人が関わることだからね、どうしても……。
近年は、大晦日にこだわらず。
年神様をお迎えする前……年末なら何時でもいいって形にしているんだよ。
だってね。
旧暦でいったら、今年の大晦日は来年の一月だ。
昔通りにやろうとしても、どうしてもうまくいかない。
おかしくなる。
無理がでてくる。
――いびつになる。
人とともに、何もかもがうつろいゆく。
だから……
どうしてもやらねばならないことを、
約束の日よりも前に行う……。
今では、そうなっちゃってね。
それは、そうと……
運転手さんって、今……
幾つ……?
ああ、やっぱり。
そうだと思った。
前厄だ。
……違う?
違わないよ。
……そうだねえ。
男は二十五、四十二、六十一歳。
女は、十九、三十三、三十七歳が厄年ってよく言われるね。
男の四十二歳と女の三十三歳は大厄だとも、ね。
でもね、この数え方が定着したのってわりと最近なんだよ。……江戸時代からだったかな?
それよりもずっと前は、厄年も違ったんだ。
……十三、二十五、三十七、四十九、六十一、七十三、八十五、九十九……。
ああ、そう……知らなかった?
ついでに言うとね、厄年って数え年なんだよね。
……さすがに、それは知ってるか。でも、知らない奴も多いよね。自分は今年四十二歳だから大厄だって怯えてたりして。本厄は二年前に、後厄も去年終わってるのにね。
僕はね、別に……
古いものこそ正しい、とは思ってないよ。
人とともに何もかもうつろいゆき、その時代に合わせた正しい形が築かれてゆく。
どんな形であれその時代の者が受け入れたものこそが、信仰だ。
僕としては……
厄年の数え方に拘りはない。
今の厄年も、昔の厄年も。
前厄、本厄、後厄も。
実年齢も数え年も。
全部受け入れている。
全てを厄年と考えて……選んでるよ。
昔は……
厄年はね、別に不吉なものじゃあなかったんだ。
『お役目の年』が『やくどし』だった。
神に仕える名誉ある年だったのに……
それがどうして、災厄が最も振りかかる年と誤解してしまったのか……。
……愚かだよね、人間って。
……運転手さん、大祓って知ってる?
神社でやってる奴。
知ってるけど、やったことない?
やっぱりね。
そうだと思ったよ。
夏の「なごしの祓い」、大晦日の「年越しの祓い」。
年に二回も機会はあったのに。
一度もやってないから……こんなことになっちゃうんだよ。
その分じゃ、もう何年も初詣すら行ってないでしょ?
穢れたままいろんな人間と接触し続ければ、まあ、どうしたって……
――そうなるよね。
大祓では、その年に犯した罪や穢れが祓い清められる。
参詣者は、紙で出来た人形に息を吹きかけて、全てのよからぬものを人形に移し……神社に託すんだ。
神事の後、その人形を川や海に流してもらう為に、ね。
人形を身代わりに、参詣者の身は清められる。
良い悪いじゃない。
それが信仰なら……
人間が求めることなら……
受け入れるしかない。
僕はそう思っている。
――そろそろ着くか。
運転手さん、102号室の中川さんをつれて来るよ。
彼を、海か川へ案内してあげてくれ……。
全ての穢れをつれていけるように。
言っておくけど。
無駄なことは、しない方がいい。
もう遅い。
逃げても、無駄だ。
運転手さんは自ら、裏野ハイツと関わってしまったんだからね。
101号室の僕。
103号室の田神さん親子。
201号室の長谷川さん。
203号室の結城さん。
……最初の包丁のご婦人は、202号室の方の斎藤さんのお母さんだ。……ぜったい、そうだ。僕にはわかる……。
残るは102号室だけ。
これで、中川さんを送れば完璧だ。
僕らの間に、ご縁は成る。
……結城さんの言う通り、逃げてりゃ良かったのにね。
まあ、あの娘みたいに目が良すぎるのも困りものだし……あなたぐらい鈍い方がいいんだろうね。
――中川さんの後釜にするにはさ」
* * * * * *
タクシーの怖い話?
お客さ〜ん、今、それ聞いちゃいます?
真夏ならいざ知らず、この年の瀬も押し詰まった真冬日に、物好きですねえ。
車の中に何か来ちゃっても知りませんよ?
シャレにならない何かがね……いいんですか?
あ〜 そうそう。
消える女は、有名ですよねえ。
それとよく似た話に、消える男ってのがありまして。
ここだけの話なんですけど……ほんとうの話なんです。
……それでも聞いちゃいます?
知り合いの知り合いの知り合いの運ちゃんの話なんですが……
……もう二年ぐらい前のことだったかな。
深夜、海ぞいで男の客を拾ったらしいんです。
ん? 川だったかな?
まあ、ともかく水辺ね。
客は、中年の男。
男は無口でねー 行先だけ告げると黙っちゃうの。
運転手はね、あれ?って思うわけ。男の顔に何となく見覚えがあるような気がしてさ。格好も、自分とよく似てる。タクシー会社の制服みたいだ。
けど、あれこれ話しかけてもまったく駄目。客はうんともすんとも答えてくれないの。
そのうち、運転手の方も黙っちゃってさー
車内がシーンとしちゃって。
それからどれぐらい経ったのか……
ふと気がつくと、寒い。車内が耐えがたいほどの寒さになってる。
エアコンの故障か?
運転手は、ルームミラーでお客さんの様子をうかがうんだけど……
そこに映ったのは何と……
――醜く膨れ上がった溺死体。目は空洞、水苔や藻もびっしりくっついている。
慌てて振り返れば、男が居る。うつむきながら座っている。
なのに、何度見直しても……ルームミラーに映るのは腐乱した水死体で……。
叫びたいのを必死に堪え、運転手は前だけを見て運転する。
どうにか目的地まで車を走らせて、おそるおそる振り返ると……
男は消えていた。
ただ、男が座っていた座席だけが冷たく湿っていたという……。
怖いですよね……。
で、ね、
ここからが更に怖いんですが……
その幽霊、やっぱ知り合いだったらしいんですよ。
数年前に行方不明になった同僚だったみたいで……。……ええ、後になって、運ちゃんが思い出したんです。そう、わたしの知り合いの知り合いの知り合いの運ちゃんがね。
水辺の事故で亡くなってたんでしょうねえ……。
幽霊の目的地は、何処だったかって?
えっと……
どっかのアパートか、マンションだったような……。
……裏野ハイツ?
そこの102号室に帰りたがってたんじゃないかって……
やだなあ。悪い冗談はよしてくださいよー
裏野ハイツって……
――お客さんの行先じゃないですか。




