一話 求人にスピリチュアルな方が来た
ぺらりと捲った履歴書の氏名欄が目を引いた。
"フィルネリア・レグナシエル"
こんな離島の求人に応募してくる中で片仮名の名前を見ることなんてほとんどない。
ましてや英語圏でも珍しいような名前だ。
見間違いかと思って目を擦ってもう一度見ても堂々とそこに居る。
...どういうルーツの名前だろうか?
大分珍しい気がするが、まあいないとも言い切れないか。
経歴の欄には聞いたこともない学校や恐らく会社の名前が書かれているが、むしろ海外の学校なんて知っているものの方が少ないのだからそれも仕方ない。
まあ、仕事を真面目にやってくれるというなら文句は言ってこないだろうと楽観的に履歴書を通した。
「あ、あの。なにか?」
言葉遣いも礼儀も、受け答えも問題ない。第一印象としては、これで文句言ってくるやつがいたらむしろこちらから願い下げだ、と言うことだった。
そう、だった。
「いえ、すみません。大丈夫です。」
じっと見つめられて不安そうにしていたので申し訳ない気持ちになるが、聞きたいことは山ほどある。
「あの...そちらの守護霊のような方は?」
ぷかぷかと彼女の周りを小さな人型の霊が浮かんでいる。
仕事のストレスでおかしくなったわけではないと思いたい。
こちらが興味を示したとわかったのか、ぶんぶんと小さな手を振っている。
「あ、い、いえ!この方は守護霊というわけではないのですが...私が契約していただいている精霊様になります。」
なるほど、分からん。
なるほどなるほど。そう来ましたか。これは一気に雲行きが怪しくなってきた。
可能性としては三つだ。
一つはここが夢だと言うこと。
軽くペンで手を突いてもちゃんと痛いが、夢だと自覚できるなら痛みを感じられる可能性もある。
とはいえ、今日の行動を起きてから今までしっかり思い出せるあたりこの可能性は少ない。
いかに鮮明な夢だとて、時系列を破綻なく構成できるなんてそんなのずるだ。
二つ目は、本当におかしくなっている可能性。
ただこの場合も問題がある。
自分がおかしくなっているのはまあ最悪いいとして、相手もおかしくなっていて、その上で奇跡的に会話が噛み合っていなければならない。
もしそうだとしたらとんでもない確率である。
そして最後に、いや正直これも信じがたい話ではあるのだが、ここが現実である場合だ。
というかこれが一番可能性としてはありえないが、ここが夢でなく自分がまともである場合、もはやこれしか残っていない。
「えーっと、精霊様と言うのは?」
「日々のお供物の代わりに、私のお願いを聞いてくださる存在です。」
しっかり説明してくれるあたり合格にしたい気持ちは山々なんだが、肝心の精霊様の話がまだ飲み込めていない。
「それは、えっと、私や貴方の勘違いとかではなく?」
「勘違いではありません!精霊は皆精霊王様から契約を認められていますから!」
精霊王様。つまり精霊と精霊王様がいて、精霊とは契約できて、お願いを聞いてくれると。
「それはすみませんでした。それでお願いというのは具体的にどのような...?」
そう聞くと、なにかをその精霊に語りかけ、腕を組んだ精霊がうんうんと頷いている。
「この部屋でしたら、ここからこの建物の外に跳ぶことができます。」
是非笑わなかったことを褒めていただきたい。
こと此処にきて、もはやこの話を信じているかは関係ない。
これはいわば宇宙人とのファーストコンタクトのようなものであり、とりあえず相手の話に乗ることが重要で、もし嘘なのであればその時のことはその時考えればいいのだから。
が、あまりにも突拍子のない話すぎて笑ってしまいそうになる。
「でしたらそれを体験することは?」
好奇心が私を突き動かして、ついそれを聞いてしまった。
「はい、可能です。お願いしますか?」
「是非。」
食い気味に頷くと、彼女は妖精に語りかける。そして彼女の体から霧のようなモヤが精霊へと流れていく。
「これは...」
「魔法に必要な魔力をお渡ししています。そろそろできると思います。」
魔力。冬にサウナから上がった人にしか見えなかったが、魔力。
えも言われぬ感情を覚えながらも待つことほんの数秒間。
「では、いきます。」
ふっと体が引っ張られる感覚と目に刺さる眩しい光。
思わず目を閉じてしまい、次に目を開けた時には何度も見たこの建物の玄関先だった。
間違いない。間違いなく、あの部屋から一瞬でここに来た。
...迂闊に聞いたが早まったかもしれん。正直半信半疑で聞いたところはあるが、本物だった。
「どうですか?」
「...とりあえず戻りましょう。」
万が一今の景色を見た人がいたらどうなるのか。
誰にも見られていないことを祈るか、私と同じように光に目をつぶされていてくれと願わざるをえない。
「あれ?水野さん外出てました?」
「はい、ちょっと二人で外に。」
受付の女性に見つかるが、この程度であれば勘違いで済ませられる。
幸いにも、この建物には内部に監視カメラの類はない...と思う。
少なくとも見えるところには無い。いざとなれば知らぬ存ぜぬで切り通せるだろう。
部屋に戻るまでの間、胸の中を歓喜が渦巻いていた。
正直に言おう。いや、多分エルフだよね?
そのことを尋ねるのは簡単だ。
精霊や魔法、聞いたことのない学校、日本どころか世界でも聞かない名前。
言い逃れできない証拠は恐らくこれからも積み上がっていくことだろう。
だがわざわざそのことを聞く必要はあるのか?
エルフだったとして、まあ法的や政治的な問題が発生するような気がするが一介の市民の私にとっては関係ない。
むしろそんなことを詰めたとして私に何の得があるというのか。
精霊や魔法だなんていう普通に生きてたら絶対に見られない存在を見ることができたのだから、みすみす逃すような真似をする必要はない。
「それで...ええと、フィルネリアさんでいいですか?」
改めて履歴書を見返して尋ねる。
「はい。」
「こちらの求人に応募されるということでいいんですね?」
「はい。」
こちらからの問いに素直に答えていく。
「では、改めてご説明いたします。汐乃島での果樹園での作業のお手伝いという形になります。お給料はこちらで、その他の労働条件についてはこのようになっております。」
「尚、住居とお食事につきましては勤務先のほうでご用意いただけるそうですが...大丈夫ですか?」
「はい、よろしくお願いいたします。」
みすみす逃すような真似はしない。その言葉に偽りはない。
エルフであると確信しておきながら職場に、それも住み込みで送り込むなど正気ではないと思われるかもしれないが、幸運なことにこの求人は私にとって世界でいちばん信用できる職場から出されていた。
この職場は私の実家なのだから。




